90人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
翌朝は思いのほか晴れた。ウゴたちがいなくなったせいか、村はどことなく静かだ。
「いい天気ね」
イヴェットが窓の外を眺めている間に、サリーナはくるくると動く。明るい陽射しに包まれた小さなテーブルに朝の茶が整った。湯気の立つポットに素朴な焼き菓子。いつもならここでサリーナも席に呼ばれるのだが、今日はまだだ。
イヴェットの機嫌は悪くない。むしろ今朝は表情から張り詰めた様子が消えて、サリーナは安心していた。危機的状況には変わりないが、監視が解けただけでも心持ちは違うだろう。
預かった手紙を早くモンテガント公に送らなければ。村長に聞けば、手配の仕方はわかるはずだ。
頭の中で他の雑用もこなす算段をつけながらお茶を注ごうと茶器に手を伸ばすと、
「ねえ、サリーナ」
イヴェットに止められた。「お茶の前に、少しいいかしら」
座るよう促されてサリーナは着席した。改まって向かい合うと、朝陽の中、イヴェットの髪も頬も艶めいて、まばゆいほどに美しい。
イヴェットとして愛されること、魔導士としての栄誉。幸せになる道がいくらでも選べた令嬢だったのにと思うと、運命のいたずらが口惜しい。つい表情を曇らせて、サリーナは慌てて笑顔を取り繕った。
イヴェットはサリーナに微笑を返してから、目を伏せて口火を切った。
「あの手紙のことなのだけれど……」
「手紙? ……! どうして、それを……」
狼狽えるサリーナに、イヴェットは頭を下げた。
「部屋を出たのに気づいて、後を追ってしまったの。炊事場での話は、全部聞いていたわ……ごめんなさい」
「い、いえ、そんな」
反射的に首を振ったサリーナは、内心で昨夜の出来事を思い出して羞恥に悶えた。顔も熱いが、それどころではない。
「手紙! そうです、庇護していただけるかも──」
「だめよ。あなたが持っていて」
イヴェットが静かに遮る。
「モンテガント公に嘆願を送らないと言うのですか?」
「ええ」
「なぜです? このままでは、ラビュタンに処刑されてしまいますわ!」
サリーナは身を乗り出した。イヴェットは首を振る。
「これは私とラビュタン──リオネルとの問題。生かしておけないという結論なら、私はそれに従います」
厳かに示された決意。圧倒されてサリーナが頷くと、主人はやっと笑みを取り戻した。
「冷めちゃうわね。いただきましょう」
イヴェットが二人分の茶を注ぎ分ける。湯気とともに茶葉の香りが立つ。勧められるまま、サリーナは口をつけた。
「彼は、責任を感じているのね」
イヴェットは焼き菓子を摘む。
十年前に本物が襲撃されなければ、偽の火竜姫は生まれなかった。
「ウゴたちが元凶を作ったと言えばそうかもしれない。でも、身代わりを立てると決めたのはアンブロワーズの中央よ。関係ないわ、チチェクもモンテガントも」
窓から射す陽の光に目を凝らす。
「それに私ね、少しだけ自信があるの」
イヴェットは少女のようにはにかんだ。
「リオネルは私を愛してる。殺したりできないはずよ」
手のひらで腹部の丸みをなぞる。「自惚れかしら?」
「いいえ! 私も、リオネル様が迎えに来てくださると信じています!」
サリーナは本心から答えた。それでも一抹の不安が拭えないから、横から差し出された手に縋りたかった。でも。
「大丈夫、きっとすぐには結論は出ないわ。あの人、そんなに器用じゃないの。帝国だチチェクだと忙しい時に、私のことにまで気を回していられないはずよ」
イヴェットはサリーナの手を取って戯けた。侍女はただ頷くだけだった。
──シェブルー、領主の館。
リオネルが突然、盛大なくしゃみを放ったものだから、グザヴィエは報告の途中で口を噤んだ。
「失礼。夏の精霊が去ったからな」
リオネルは両手で鼻口を覆った。「続けて」
「は、それで、奥方様は現在もチチェク勢が占拠している村に軟禁されているかと」
グザヴィエは話を終えて判断を待つ。
「レア……」
呟いて塞ぎ込む主君に、将軍は畳み掛ける。
「奥方様を連れ戻すなら、アンブロワーズに背を向ける訳にはいきません」
「わかっている! アンブロワーズは我々の忠義を裏切った。セルジャンに出兵する」
「ではチチェクとは同盟を?」
「王家の証が本物であれば、断る理由はない」
「奥方様の──偽りの火竜姫の処遇は如何に?」
「……セルジャンを落としてから考える」
最初のコメントを投稿しよう!