92人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
ひと呼吸分の沈黙が流れた。
「そういうわけだが、今、イヴェットとサリーナはこちらの手の内にある」
ベルカントが割って入った。偽物だと知っているなら、火竜軍に対して人質としての価値が薄いことはわかっているはずである。
「まさか偽物を同盟交渉に使うつもりでもあるまい。意図を、測りかねますな」
グザヴィエは同意を求めるようにマリユスと視線を合わせた。
「突き返すなら、場所が違う」
低く呟くこの老将の世代には、君主の欺瞞を第三者に暴かれたこと自体が屈辱であろう。イヴェットが自虐したように、刎ねた首を送る先はアンブロワーズ王家が正しいと言っているのだ。
グザヴィエとしては複雑だ。派手な聞こえとは裏腹にひっそりとこの地へ送られてきたか細い少女は、大人しく、ラビュタン王家の言いなりであった。仮にも領主、その体面を保てぬほど内気で、セルジャンに送り返せとお偉方が噂するのをまだ一兵卒だったグザヴィエも聞いている。
挿げ変えられた頭の繋ぎ目を取り成したのはリオネルで、結婚してやっと最近公の場での振る舞いが板についてきたところだ。夫婦仲睦まじい様子も目の当たりにしてきた。イヴェットの処遇を断じられるのは、リオネルしかいない。
「単なる事実だ。あなた方に判断を委ねてはいない。早いところシェブルーに伝えるんだな」
ベルカントは立ち上がった。
「我々は一度自陣に帰り、一足先にセルジャンへ向かう」
「待て、言い捨てて行く気か!?」
グザヴィエが気色ばむと、
「こちらにモンテガント公からの書状があります」
セミフが薄い木箱を差し出した。開けると、封蝋にモンテガントの紋章を押した手紙が入っている。グザヴィエはマリユスと顔を見合わせた。
「彼女たちは拠点の村へ連れて行く。……いざって時、ここよりはマシだろう」
ベルカントに言われて見れば、イヴェットの腹はもう六月はとうに過ぎていそうな膨らみ具合だ。
「安心しろ、手荒な扱いはしない。世話はそこの侍女さんがしてくれているしな。やり直すつもりがあるなら自分で迎えに来いと、リオネル王子に伝えてくれ」
言い終わらないうちに席を立つと、ベルカントは出口に向かって歩き出した。
「待て!」
グザヴィエの声で兵士が慌てて槍を突き出す。行く手を阻まれたベルカントの後に、セミフとサリーナ、イヴェットが追いついた。
「グザヴィエ将軍、ここは、彼の言うとおりに」
イヴェットは宥めるように言いながら、その手に炎を携えた。「私は、行きます」
「どういうおつもりか。あなたは、領主なのですぞ!」
「ええ。レアならば」
手慣れた仕草で渦巻く炎を丸める。
「私は罪人です。でも、この子を産むまでは、死ぬわけにはいかない」
向けられた熱は本物の魔法だ。放つ瞬間を射手に狙わせてもいいが、まだ──取り返しのつかない状況は避けたい。隣でマリユスも歯噛みしているが、帝国側にあり手出しできないとしておいたほうが、確かに今はいい。
「……承知した」
槍を構えた兵士を下がらせ、グザヴィエは四人の後ろ姿を見送った。
最初のコメントを投稿しよう!