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「皆さん、お疲れさまッス! いや~、今日もいい労働をしたッスね!」
この日の最後の客を満面の笑顔で送り出すと、ノルさんは和帽子をすぽんと外し、その勢いで大きく伸びをした。長めの金髪の隙間から覗く尖り気味の耳は、今日も数えきれないほどのピアスに噛みつかれている。いかにもロックバンドのベースをやっている大学生です、と言わんばかりの風体だが、着ているものは落ち着いた濃紺の作務衣だ。視覚のギャップがえげつない。
「お疲れさまです、お二人とも。すぐにまかないを作るんで、片付けをしながら少しお待ちくだせぇ」
ノルさんの軽く弾むような声とは対称的な、重みのある艶やかな声がカウンターの奥から聞こえてくる。キッチン担当のゲンさんが作るメニューは、どれも絶品だ。従業員向けといえど決して手を抜かないというゲンさんのこだわりも相まって、否応なしに期待が高まる。
接客の緊張で強張った顔や肩の筋肉が、まだ食べてもいないうちからほぐれていくような気がして、思わず深呼吸に匹敵するほどの大きな息をついた。
「スーくんも、だいぶ慣れてきたカンジッスね! 最初のうちはガチガチに固まってて、めちゃくちゃおもしろかったんスけど!」
「言わんでいいです、そういうのは。ってか、おもしろいってなんだ」
ほんの数か月前の黒歴史を掘り起こされて、俺の口が自然と富士山級の起伏を描く。だって、しかたないだろう。ホール仕事の得手不得手以前に、そもそも俺は人間というものが苦手だ。
そんな俺が。日本どころか世界でも有名な観光地の、築百年以上の古民家をリノベーションしたカフェで、おしゃれな和服に身を包んで放課後の労働に勤しんでいるのだから、世の中というものは何が起こっても不思議じゃない。
「それにしても忙しいッスね。もうひとりくらいバイトの子がいてくれると助かるんスけど……スーくん、お友達に誰かいい子いないッスか?」
「仮にバイトをしたがる奴がいたとしても、この店は紹介できないじゃないですか。それ以前に、俺に人間の友達はいません」
「相変わらず自虐的ッス!」
俺の本名は、確か筒井数だったはずだ。カズではなくスーと呼びたがる連中が、なぜかここにはたくさんいる。
「ま~、確かに。こんな状況じゃ、フツーの子はびっくりしちゃうッスよね」
この店の特徴のひとつでもある樹齢数百年のトチノキを使った巨大なテーブルを拭き終えると、ノルさんが含みのある台詞を置いてどこかへ行ってしまった。ひっかかりを覚えた俺は、その背中を視線だけで追いかける。
ノルさんが向かった先は、小上がりになった半個室の座敷だ。ほかにも中庭が望めるオープンな奥座敷があるが、それとは別にゆっくり坪庭を眺めたいという常連さんの人気スポットになっている。首から上だけを突っ込んで、誰かに話しかけているようだが、今日はそこへ客を通した覚えはない。不思議に思って後を追い、ノルさん越しに中を覗き込む。
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