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狐憑と相対した狐守がするべきこと。
ひとつ。逃げられる前に触るべし。
ふたつ。とにかく逃げられる前に触るべし。
みっつ。何が何でも逃げられる前に触るべし。
「どれも同じじゃねぇか!」と突っ込んだ小さい俺の、その反応は当然だと思う。けれど、今は違う。
ひとつめと、みっつめでは――全然違う。
バイクで行けるギリギリの所まで山道を駆け上がると、完全に停車する前に白いキツネが背中から飛び降りた。そのまま人型になって駆け出すユキを、空になったデイパックとヘルメットを放り投げた俺が追う。
数時間ぶりに戻ってきた公園は、既に夜の暗さにたっぷりと覆われ、昼間とは全く違う顔を見せている。淡い月の光くらいしか照明は期待できないが、こちらにはユキがいる。目に頼れなくても、在里の居場所は鼻でわかる。――が。
「スーちゃん、どうしよう! おかあさんのにおいが、どんどんうすくなってる……!」
それはつまり、浸食が進んでいるということだ。在里の魂が、この世界から完全に消滅するということだ。
涙声のユキの背中に、何か言葉をかけてやらなければと思いながらも、運動不足の身体と、俺の中にも同じように存在する不安のせいで、思うように口が開かない。
「きゅー!」
代わりに、俺の肩の上から大きすぎる鳴き声が響いた。驚いたように振り返るユキと、視線が合う。「きゅ! きゅ!」と、やたらハッスルしている気狐に目をぱちぱちさせるユキの姿がおかしくて、こんなときだというのに笑えた。
「安心しろ、ユキ。こいつは、過去最高にやる気になってる」
気狐は狐守の心の一部だということを、当然、キツネのユキも知っている。なので、そんな風に穴が開くほど俺を見つめないでいただきたい。顔が、熱い。
「大丈夫だ」
「……うん!」
元気に頷いたユキは正面に向き直り、夜の闇を物ともせず速度を上げる。俺はといえば、情けないことに、その背を見失わないように着いていくだけで必死だった。
あともう少しで、在里がいると思われる広場に辿り着く。てっきり移動して既にここからいなくなっている可能性が高いと思っていたが、なぜかまだ留まってくれているようだ。それが、こちらにとって吉と出るか、凶と出るかはわからない。宿主を確実に浸食できると野狐が判断したなら、逃げる必要はないからだ。
そして、在里の電話から聞こえてきた風の声。竜巻でも発生したかのようなあの音が、ここまで来て全くしないことも気にかかる。自然現象ではないことは、星すら瞬く晴れわたった空を見ても明らかだ。だとすれば、あれは狐憑の能力。電話口で俺にまざまざと見せつけてきた力を、いまさら出し惜しむ理由がわからない。
さぞ、楽しいだろうに。望んでいた肉体がもうすぐ手に入り、宿主の魂がまさに潰えようとする瞬間を目の当たりにするのは、暴れ出したいくらい嬉しいだろうに――!
「……っ」
無意識に唇を噛んでいた。同時に、爪先にも力が込もる。勢いよく蹴り出して段差を飛び降りたところで、先行していたユキの背中に追いついた。そうして、広場の手前で立ち止まるユキの向こうに、夜の黒と同化するように佇む人影を見る。
在里ではない。黒いスーツに黒い帽子。――あれは。
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