母親が間違えて買ってきたんだ

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「お聞きの通りッスよ、野狐さん! オレっちも、アンタのこと信じてるッス! 絶対に、全力で、必死に! オレっちの矢を防いでくれるって!」  焚き火のように赤々と燃える炎をまとっていた弓が、弦が、矢が、細く細く収束していく。やがて、ストローだとかマドラーだとか、それくらいの太さのただの赤い線へと、形を変えた。  派手から地味への変貌は、一見するだけでは退化のようにもみえる。けれど、ノルさんの調整は着実に進んでいるのだと、俺にはわかった。 「カウントいくッス! こー!」 「何でいつも九からなんですかっ」  普通は十からだろ、と続けて突っ込みたくなるところを、ぐっとこらえた。こー、は、今で言うところの九だ。ノルさんは、いつも大和言葉で数える癖がある。 「やー! なー!」  時計の秒針と同じ感覚で、正確にカウントダウンが進んでいく。  どんどん速く、どんどん大きくなっていく動悸と、吹き出した嫌な汗の冷たさを感じながら、俺は在里の――狐憑の様子を窺った。  感情の宿らない目を、静かにノルさんに向けている。状況は理解しているはずだ。けれど、動かない。風の流れも変わらない。  防御にも阻止にも転じようとしない、全くもって無防備な状態を見て、胸のあたりがひりつく。 「むー! もう少し詳しく言ったほうがいいッスか!? オレっちは今、アリサトさんの心臓を狙ってるッス! いー! でもって、野狐さんが現在進行形で結界破壊に割いているリソースまで、まるっと全部かき集めないと防げないレベルの火力にまで高めてるッス! よー! だから本当にお願いするッス! 全力で頑張ってほしいッス!」  確か、(かい)と呼ばれる、今にも矢を放てる状態を保ったまま、ノルさんが説明と懇願の混ざった悲鳴を上げる。相変わらずの暴風にあおられながらも、その姿勢と照準は揺るがない。体幹の強さだけでなく、弓矢全体から漲っている見えない力の圧が、風の抵抗を緩和しているお陰だろう。準備は完全に終わっている。あとは、矢を放つだけだ。 「みー! ひょっとして、まだハッタリだと思ってるッスか!? キツネは人間を傷つけたりしないって!? でも残念、本気ッス! ふー!」  在里を見つめたまま、ユキが俺の服の裾を強く握ってくる。肩に置いた手に力を入れることしか、今の俺にできることはない。 「――だから、アンタのも見せてくださいッス!」  残り、カウントひとつ。  そこで、異変が起きた。 「っ!?」  結界の中で踊り狂っていた風が、一瞬にして、嘘のようにぴたりと止まった。  何からも耐える必要のなくなった俺の身体が、ユキを抱えたまま盛大にたたらを踏む。 「ひー!」  うっかり逸らしてしまった視線を慌てて狐憑に戻すと同時に、極限まで圧縮したノルさんの矢が、ついに放たれた。人の目では捉えられない速度で夜の闇を切り裂いていく赤い流星が、宣言通り、在里の胸に吸い込まれる――直前。  その矢の前に立ちはだかるように、渦を巻いた空気の球体が忽然と現れたかと思うと、そのまま一気に弾け飛ぶ。 「!!」  視界が、真っ白に染まった。遅れて、轟音と爆風。ユキを庇いつつ、顔を守るために掲げた腕の下から、何とか状況を探ろうと目を凝らす。  ノルさんの矢と、野狐の力が接触したことは間違いない。ということは少なくとも、在里の心臓が貫かれている心配はないだろう。けれど、これだけの衝撃を近距離で受けて、ただで済むとも思えない。自分で言い出しておきながら、情けなくも、震えが止まらない。  そうして、次第に薄くなっていく白い煙の奥で――見た。
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