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――狐守に、なる?
シキさんの言葉が、頭の中で渦を巻く。ただただ撹拌されていくばかりで、答えの形がまるで見えてこない。
狐守の遠い祖は、キツネと人間の間に生まれた子どもだと謂われている。
つまり、ユキと同じ境遇だ。けれど、ユキとは逆に、キツネではなく人としての面を強く引き継いだ。そのため、肉体も能力も普通の人間と変わらない。ただ、ひとつだけ決定的に違うことがある。
それが、気狐。狐守の体に流れるキツネの血が、心を得て具現化した存在。
よくはわからないが、そういうメカニズムになっているらしいので、狐守の家系ではない人間が気狐を扱うという話は聞いたことがないし、そんな可能性を考えたことすらなかった。
在里の家系は、狐守じゃない。それは間違いない。
気狐はキツネの血から発現するという絶対の条件がある以上、一般の人間が後天的に狐守になることは不可能だ。
けれど、シキさんは言った。在里は、狐守になるべきか。なってもいいと思うのか、と。
正しく狐守を名乗れるのは、狐守の家系の中でも気狐を生み出せた者だけだ。俺が知らないだけで、キツネの血以外でも気狐を誕生させる方法があるのだろうか。血ではないなら何だ。道具。呪文。いや、そんなものがあれば、狐守はもっと大量に生産されている。もっと難しくて不確かな。思いだとか、意志だとか心――いや、待て。
「……まさか」
心のあるキツネなら、既にいる。信じられないほどの例外が、まだ消えずに残っている。
血から生まれるというプロセスこそ違えど、人を助けるという自我を芽生えさせ、あまつさえ人を好きになるという情緒まで形成している。
後ろを振り向きたい気持ちを抑えながら、腹に力を込めた。目の前の天狐の圧に跳ね返されないよう、語気を強める。
「在里が、あの野狐を自分の気狐にしてしまうって言いたいんですか――?」
ユキが息を呑む気配が、背中にあてた手を通じて伝わってくる。
そんなのは聞いたことがない。何がどうなってそうなるのか、まるでわからない。
「……そんなこと、ありえない」
そう。ありえない現象が、立て続けに目の前で起こっていた。
好意によって同化しようとした野狐なんて、俺は知らない。
宿主から離れて、なおも存在し続ける野狐なんて、俺は知らない。
そして、その野狐に殺されそうになっておきながら、話をしたいと駆けだしていく人間がいるなんて、俺は知らなかった。
イレギュラーな要素と、イレギュラーな要素を掛け合わせたら、結果がイレギュラーになってもおかしくはないのかもしれない。
それに、俺は心のどこかで、もう確信してしまっている。
あいつなら――在里なら、できると。
「再度、問う。狐守」
俺の呟きに否定も肯定もせず、シキさんが淡々と続ける。
「あれは、狐守になるべきか」
「筒井数です。仮にも雇い主なんだから、バイトの名前くらい、ちゃんと把握しておいてください」
つい昨日までの俺だったら、即答していた。狐守になんか絶対になるべきじゃない、と。
案外、シキさんも俺がそう答えることを見越して質問してきたのかもしれない。ほんの数回の接触でも、俺の狐守としてのやる気のなさは、お見通しだったらしい。
――でも。残念ながら、その期待には応えない。
「それを決めるのは在里だ。俺じゃない。あんたでもない」
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