たとえそれが偽りでも

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
◆思い出屋 2◆  カラン……ッ 「いらっしゃいませ!」  都心の中心から少し離れた細い路地。  そこに連なる小さな店の中の一つ。  その店のドアを開けると。  小さなカウンターになっている受付の向こうから、若い青年が元気溢れる声で出迎えてくれた。 「思い出屋にようこそ!ご予約のお客様ですか?」  開けられたドアから入ってきたのは二人の男性。  一人はグレーのスーツをきっちり着こなし、カウンター内にいる受付の青年をまっすぐに見据えて。  少しくたびれたポロシャツにデニムのズボンを履いたもう一人は、スーツの男性の後ろに隠れるように立ち、店内をキョロキョロと見回していた。 「ええ。14時に予約の佐藤です」  スーツの男性がそう返事すると、受付の青年は「どうぞこちらに!」とカウンター前にあるソファに二人を案内した。 ◆◆◆  受付の奥にある小さな応接室兼所長室。  そこに案内された二人の男性を待っていたのは、淡いベーシュのスーツに長い髪を蝶をモチーフにしたバレッタで纏めた、一人の女性。 「ようこそいらっしゃいました。思い出屋の所長、高野です」  受付の奥にある小さな応接室兼所長室。  そこに案内された二人の男性は、高野と名乗った女性に促されるまま、ソファに座った。 「お久しぶりですね高野さん」 「え?」 「覚えてらっしゃいませんか?十五年程前になるかな……富原です」 「十五……富原?あ、もしかして……」  高野が戸惑いから少し驚いた様子を見せると、それまでずっと周囲を落ち着きなく見回していたポロシャツの男性が、富原をじっと見つめだした。 「ああ、佐藤さん。彼女は同じ大学なんだ」 「大学……先生と同じ……」 「ええそうですよ。初めまして佐藤さん。私は富原さんの学生時代の友人で……お久しぶり。懐かしいわ、随分ご立派になられて」 「高野さんはあまり変わらなですね。昔から落ち着いていて大人っぽい印象でしたけど、今も変わらない」 「あら、私って落ち着いてました?大学の頃は結構やんちゃだったつもりなんですけど……」  苦笑を浮かべて富原と話す高野。  だが佐藤が、今度はこちらをじっと見つめている事に気づくと、彼女はその表情をすぅっと……穏やかなものに戻した。 「佐藤さん、本日はどのような【思い出】をご希望ですか?」  高野に話しかけられた佐藤は、びくっと身体を揺らして。  そしてふいっと、高野から視線を外した。 「どうされました……?佐藤さん、私何か、お気に障る事を……」 「高野さん。私から説明します」 「富原君……あ、いえ、富原さん」 「はは、君でいいよ。あなたがその方が呼びやすいなら。偽りの【思い出】を頂く前に、まずは彼の説明が必要だね。佐藤さんは、私の患者なんだ」 「患者?」 「ええ。彼は五年ほど前、車を運転中に事故を起こした。それで彼は大きな怪我を負ったが奇跡的に一命を取り留めた。だが後部座席に座っていた奥さんとまだ幼かったお子さんは……」 ◆◆◆ 【思い出屋】  過労死、自殺の増加が社会問題となった現代。  政府はその対策の一つとして、人々の記憶や感情をある程度なら直接干渉してもいいとの政策を出した。  記憶そのものの改ざんや感情のコントロールなど、本人の人格や価値観に大きな影響を及ぼしかねない事は原則禁止。出来るのはストレス軽減や気分転換になる程度のささやかな思い出を、希望する客に与える事のみ。    そして生まれたのが政府公認の店、思い出屋だった。 ◆◆◆ 「高次脳機能障害を?」 「そうだ。その事故で頭を強く打ってね」  高次脳機能障害は、事故や脳梗塞等の病気で脳に大きなダメージを受けた結果、記憶障害や注意障害、失見当識等の様々な症状が現れる脳の障害。  症状の出方は脳のどの部位を損傷したかにより変わってくる為、様々だが。 「彼の場合は複数の症状を併発しているが、特に強いのが注意障害と記憶障害だ」 「記憶障害……」 「ああ、今の彼は――事故の事も、奥さんとお子さんがいた事も忘れている」 「そうですか……それはお気の毒に……」 「それまで仕事一筋で、家庭を大事にするタイプではなかったらしい。事故があった一番の原因は相手のトラックの信号無視だが、彼の居眠り運転も要因の一つだったと……それで家族を失った事を、彼はとても後悔していたと」 「後悔……?でも、奥さんとお子さんの事は忘れていると……」 「……事故にあった時は、まだ覚えていたんだ」 「え?」 「高次脳機能障害は、認知症と違い本来は進行するものではない筈だが……他にも複数の症状が起こっている事によって、おそらく精神的な事が原因で認知症と似たような症状も起きたのではないかと。事故当時から記憶は所々は抜け落ちていたが、意識を取り戻した時には真っ先に家族の安否を聞いたらしいから。その後にもう亡くなった事を知った時には、相当の精神的ダメージを負った様子だったと……だがその事も、今の彼は……」 「……それで、私達は何をすれば?」 「三日後、事故のあった日なんだ」 「三日後?」 「そう、三日後には奥さんとお子さんの命日だ……彼は家族の葬儀にも出れなかった。だから身体が動くようになったら家族の墓参りに行きたいと、両親に話していたらしい。だが身体の傷が治った頃には、もう……その家族の事は……」 「そうですか……記憶を失くす前に、奥さんとお子さんのお墓参りをしたいと……」 「彼のご両親だけでなく、彼の奥さんの両親にも頼まれた。彼の両親からは亡くなった嫁や孫の命日にだけでも、息子には大切に思っていた家族がいた事を思い出してほしいと。そして奥さんの両親からは彼が家族の事を忘れている事を、墓の下で眠る娘や孫が気づかないようにしてやって欲しいと……」 ◆◆◆  海の見える丘。  そこに眠っているのは、失ってしまった大切な…… 「あぁ……」  涙で霞む視界。  崩れ落ちそうな身体を支えてくれるのは、自分の両親。  そして霞む視界の中にいる妻の両親の間にあるのは。  ああ、この墓石の下に。  もっと一緒にいたかった。  必死に仕事を頑張っていたのも、妻と我が子の為だったのに。  どうしてこんな事に。 「許して……許してくれ……いや、許さないでほしい……お前達の事を死なせただけなく、忘れていた私を……」  どうして忘れていたのだろうか。  もう声を聞く事も、姿を見る事も、愛し合ったり成長を見守る事も出来ない。  それがこんなにも、心だけでなく身体も張り裂けそうな程、辛いのに。  辛い。  けど絶対忘れたくない。  だがそれは無理だと説明された。  数日もすれば、この墓の下で眠る家族の事も、この凄まじい後悔と悲しみもまた消えると。   ここで涙を流す理由も、流した事も忘れてしまうと。  そう思うと、また新たな涙が溢れた。    大切な妻と子の事を、懐かしむことも悲しむことも許されないだなんて。  ああでも。 「来年も……その次の年も……ずっと、この日だけは……」  お前達の為に。  涙を流したい…… ◆◆◆ 「あの人に与えた思い出は、偽りの記憶ですよね……?」 「ええ、そうよ前坂君。私達に出来るのは、法律で許された範囲内で、本人の望む思い出を与える事。今回は本人ではなく、その両親と奥さんの両親が希望した思い出だけど」 「……ですよね。僕らに出来るのは偽りの思い出を与える事で、本来の記憶を思い出させる事は出来ない……」  閉店後の、後片付けの時間。  店内の掃除を終えた前坂のその言葉に、書類を片付けながら話をしていた高野は、その手を止めた。 「納得できないみたいね?前坂君」 「そういう訳じゃないです。これも仕事ですから。でも……」 「こちらで用意した思い出は、彼やその奥さんのご両親四人から話を聞いて作成したもの。確かに彼自身から語られた思い出はどこにも入っていない。それでも、思い出を与えられた直後から、彼は涙を流した……その涙も、あなたは偽りだと思う?」 「……わかりません」 「そう、分からないわ。事故にあう前の彼が本当はどんな人間で、亡くなった奥さんやお子さんを本当はどう思っていたのか、彼のご両親でも完全には解らないように……でも、富原君は言ってたでしょう?彼は事故にあってから意識を取り戻した時、真っ先に家族の安否を聞いたと。そしてとてもショックを受けた様子だったと。失われた彼の記憶そのものはもう戻らないかもしれない。けど、彼に愛した家族がいた事を思い出させるだけでも、何か意味があるのかもしれない」 「でも、その事も……忘れてしまうんですよね」 「元々そういうものだしね。こちらで用意できる思い出は、日々の日常の中でやがて薄れて消えていくほどささやかなものだけ。記憶や認知機能に障害を負っている状態では、三日ともたないかもしれない」 「……偽りの思い出ですから、その方が良いんでしょうか……それとも……所長は、どう思われますか?」 「どうなんでしょうねぇ。でも……ご家族の命日に、彼が失った家族を思って涙を流す事で、彼だけでなく彼を取り巻く人々の心もほんの少しだけ、軽くなるかもしれない。救われるかもしれない……私達には、彼を使った彼の周囲の人達の、自己満足に見えたとしても」 「……来年の命日の前にも、佐藤さんは来るんでしょうか?」 「さあ……あなたは来てほしくないの?前坂君」 「どちらかというと……僕は、来てほしくはないかも」 「どうして?」 「その……上手く説明できませんが、奥さんとお子さんがとても大切な存在だったとしても、忘れてしまったのなら、そのままそっとしてあげても……亡くなった事を知った時の衝撃と悲しみって言うんですか……それを何度も思い知らせるのは、どうかなって……」 「そう……私はね、どちらとも言えないけど……正直複雑は複雑よ」 「複雑……ですか?」 「あなたが言う通り、忘れていた悲しみをまた思い知らせるのはどうかなとは思うし……でも、彼は奥さんとお子さんの事を忘れたくは無かったとも思うし。それに……亡くなった奥さんとお子さんはどう思うのかなって」 「奥さんとお子さんですか?」 「亡くなった奥さんとお子さんは、自分達のお墓の前で泣く彼の事をどう思うんでしょうね……泣いてほしいのか……それとも泣いたりしないでほしいのか。自分達の存在を何があっても忘れないでほしいのか、忘れてしまっていてもその上から偽りの思い出を上書きしないでほしいのか……私に答えなんか解る訳ないけど……ね。つい考えてしまったのよ」  最後は、独り言のように呟くと。  彼女は書類の整理を再開した。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!