散華

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「少将、いえ中将殿……」 「義姉上」  自身を呼ぶ艶やかな声に振り返れば、義姉の熈姫(ひろひめ)であった。美しく、書も和歌も堪能な熈姫は、敏姫が産まれるより前に、上総の飯野保科家から養子として迎え入れられていた。  養父は元々、自分とこの義姉を娶せるつもりであったのであろう。しかし、当時銈之允と幼名で呼ばれていた自分が、この会津松平家の養子に決まった頃、先代の側室の懐妊がわかった。月満ちて産まれたのは女児で、敏姫と名付けられたその嬰児が許嫁となった。  銈之允が元服して容保と名を変え、従四位下侍従兼若狭守に叙任された頃には、三つ歳上のこの義姉への、仄かな思慕を自覚していたように思う。その思いが明確な形になるより前に、熈姫は豊前の中津奥平家との婚儀が決まり、嫁いだ。  それからしばらく、未だ幼かった敏姫に、親愛以上の情が湧くことはなかったが、美しく淑やかに成長するに従い、一人の女性として、愛しく思う気持ちが芽生えた。  しかし煕姫は、嫁いで五年の後、子ができぬという理由で離縁となり、実家の保科家ではなく、養家のここ会津松平家に戻った。熈姫は当時二十三を数える頃であったから、子ができぬというには少し早い。 「私が、保科の家へ戻るべきであったのかもしれませぬ」  隣に座り、位牌に手を合わせた熈姫が呟いた。その言葉に容保は、目を見開いて義姉を見つめる。 「ですが義姉上は、この家のために離縁なされたのでしょう」 「中将殿には、お見通しであられましたか」 「義姉上が離縁なされた時、未だ二十三であられました。それに子ができぬなら、大膳殿が側室を持てばよいこと。離縁の理由にはなりますまい」  大膳とは、従五位下大膳大夫である煕姫の元夫、奥平昌服(まさもと)である。 「いささか、無理は承知でした。ですが、養父上に次いで養母上様もご逝去された折り、敏姫殿はわずか十であられました。ご生母様はお国ですし、他に手立ても無いと存じ、離縁を願い出たのです」 「確かに、他に奥向きを任せられる者もなく、婚儀が滞り無く執り行われたのも、義姉上のお骨折りがあればこそと、感謝申し上げております。病を得るまでは、敏姫殿も義姉上を慕い、何かと頼りにされておりましたな」 「敏姫殿は、繊細で聡く、情の細やかな方でしたから、病の後に、もう少し気をつけていればと、悔やまれてなりません」 「そのようなことは……」 「いいえ。儚くなられる前の日でした。敏姫殿は、私に仰られたのです」
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