散華

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 その日の熈姫は、いつものように義妹である敏姫を見舞った。敏姫は、疱瘡が癒えた後、顔に残ったあばた故に、生来の明るさを失って気鬱がちになり、ついには寝込むようになっていた。自ら起き上がることも難しく、食事も薬さえも喉を通らず、ただ弱っていくばかりであった。  しかし熈姫が顔を見せると、敏姫はお付きの者の手を借りて、ようやく身体を起こした。そうしてか細くなった声を張り上げるように言ったのだ。 「義姉上、産まれてきてごめんなさい」  敏姫の言葉に、煕姫は慌てて首を振った。 「そのようなこと、仰るものではございませぬ。忠恭(まさお)公が聞かれたら、悲しまれます。敏姫殿のご誕生を殊の外喜んでおいででした」  忠恭公とは、先代容敬の神号である。  会津松平家は、初代の保科正之(ほしなまさゆき)が深く神道に傾倒し、吉田神道の奥義を奥義を伝授されたことから、大名の中で唯一、神道の家となった。 「だからこそです。私が産まれなければ、中将様と婚儀を挙げたのは、義姉上だったのでしょう」 「そうとも限りませぬ。それでも私は、奥平家へ嫁いだかもしれませぬ。何より中将殿は、敏姫殿を慈しんでおられます。敏姫殿でなければいけませぬ」  幼い頃の淡い気持ちはともかく、今、容保の心にいるのは敏姫一人である。それは、煕姫の目から見ても明らかであった。  しかし敏姫は、悲しげに目を伏せて首を振り、床に横たわった。そのまま目を閉じて眠り、次の日の朝、目を覚ますことなく逝ってしまった。 「敏姫殿に、あのようなことを言わせてしまい、悔やまれてなりません」  熈姫の頬を、涙が一筋、伝う。 「申し訳ありませぬ、お見苦しいところを」 「いえ。私も、敏姫殿のことでは、後悔ばかりです。特に、兵衛が進言した種痘のことは……ちょうど、それを考えおりました」 「私がそれを知ったのは、敏姫殿が疱瘡に罹られた時でした。もっと早く知っていれば、手立てがあったかもしれません」  確かに、熈姫が奥向きを取り仕切っていれば、表に知られず、密かに敏姫に種痘を施すことができたかもしれない。  だが、全ては後の祭りである。  容保も熈姫も、いつまでも過ぎたことをただ悔やみ、嘆いていられる立場ではない。これから先を考えなければいけない。  二度と同じ不幸が起こらぬよう、家中に種痘を広めることは、今後の重要な務めの一つになるであろう。
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