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2(ボスside)
「何してるんすか、ボス?」
背後から声を掛けられる。ハチだ。
振り返らず、頬杖もそのままに俺は答えた。
「一人チェスだ、見りゃ分かんだろ」
「いや、分かんないっすよ。面白いんすか? それ」
言いながら、ハチが肩越しに俺の手元を覗き込んでくる。
『ハチ』とは、俺が勝手にそう呼んでいるだけだ。だが、本名より気に入ったらしく、最近では本人の方でも自分から『ハチ』と名乗る始末である。
呼び名の通り、忠犬ハチ公さながら尻尾を振って後をついてくる。実に調子の良い少年だ。
「それはそうと、差し入れっす」
ハチは思い出したようにビニール袋をガサゴソし始めた。中から何かを取り出す。見なくても分かる、おにぎりだ。
チェス盤から顔を上げず、視線もそのままに俺は訊いた。
「具は?」
「もちろん鮭っすよ。伊達に”ラックス”を名乗っているわけじゃありませんから。……”ラックス”は外国語で〈鮭〉っすよね? ちゃんと調べたんすよ、こう見えても真面目なんで」
自慢げに鼻を鳴らし、ハチはチェス盤の横に何かを置いた。積み木のように均整のとれた三角形。中央にはゴシック体で『鮭』と印字されている。
「そういえば、あいつ気を付けて下さいよ」
「あいつ?」
唐突な話題に、俺はやっと彼の顔を見上げた。今度ばかりは予想することが出来ない。日に焼けた健康的な顔が、深刻な表情を浮かべてこちらへ向けられている。
「あの、新入りのヒョロヒョロしたやつ。サツのイヌなんじゃないかって、皆目を光らせてるんすから。最近、あいつらもようやく俺たちの危険性に勘付き始めたみたいだし……」
「ヒョロヒョロはお前も同じだろ」
「ちょっと、茶化さないでくださいよ。ラックスの危機なんすから」
ハチが珍しく苛立った声で言う。彼が怒るのも確かに理に適ってはいるのだが、俺にはそれほど由々しき事態と思えなかった。
「まあ、放っときゃいいだろ」
俺の言葉に、ハチが意外そうに目を見張る。
「もしかして、何か考えでも?」
「さあな」
曖昧に返事を返す。食い下がるかと思ったが、ハチはただ「ふうん」と言っただけだった。
「ま、ボスがいいってんなら心配いりませんね。俺たち皆、あんたを信頼してるんで」
「……そうか」
どう答えたものか。思案した挙句、再びチェス盤に視線を落とす。先刻はすんなり身を引いたハチだが、今度は何故か「いや、マジっすよ」と念を押すように詰め寄ってきた。
「誰も表に出さないだけで、心の底では常に感謝してるんすよ。俺だって、あんたがいなきゃ今頃なんの力もないただの家出少年だし。この頃じゃ、あんたのおかげで大人も悪くないなって思えるようになったんすから」
「……そんなこと言ったって、何も出やしねえよ」
「あはは、ツンデレっすね」
駒を置いて、おにぎりのフィルムをバリバリと剥がす。チェス盤の上に、黒々とした海苔の破片が散らばった。
海苔の破片を眺めながら、そろそろかな、と考えた。
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