8人が本棚に入れています
本棚に追加
6(××side)
「そういえば先生、今朝のニュース見ました?」
連載小説の打ち合わせが終わるなり、担当編集者の鈴木君がそう訊いてきた。私が何も言わずにいると、彼はそんなのお構いなしに『今朝のニュース』について話し始めた。
「最近巷を騒がせていた不良集団と地元の警察とが衝突したらしいですよ。しかも、ボスと警官一人が、どちらも行方不明のままなんだとか」
部屋にテレビがない私に対する、彼なりの気遣いなのかもしれない。似たり寄ったりの日常のニュースを、彼はいつも嬉々として披露してくれる。
「へえ。だが、あまり珍しい話でもないんじゃないかい」
「それが、今回ばかりはそうでもないんですよ」
ゴシップ好きのおばさんさながら、鈴木君が声を低くする。私が呆れ半分眉を持ち上げると、彼はポケットからメモを取り出して私の目の前に差し出した。
「なんでも、衝突の起こった路地裏の壁に赤いスプレーでこう書いてあったらしいんです。――『N Lachs, B lax』」
「……へえ」
少し興味をそそられて、私が顔を上げる。
「まるで暗号だね」
「本当ですよ。これじゃあまるで推理小説の謎解きだって、警察も頭を抱えているようで。……どうです、先生? 次の小説のネタにでも」
それはあまりにも不謹慎すぎやしないか。
しかし私が言葉を返す前に、彼は「冗談ですよ」と言って笑った。
「とにかく、次回作も楽しみにしていますよ。先生の作品は、臨場感が桁違いだって読者に大好評なんですから」
鈴木君は、自分のことでもないのに何故か自慢げに鼻をこすった。
しかし、私がビニール袋から取り出した品物を見て、今度は驚いたように軽く目を見張った。
「あれ、今日は珍しいですね。いつも鮭なのに……」
意外そうな彼の声に、私は「ああ」と思い出して頷く。
「鮭にもそろそろ飽きてきてしまってね。ほら、梅の方が刺激があるだろう」
軽く笑って、私はおにぎりのフィルムを剥がした。もうすっかり慣れたものだ。一口かじると、ピリピリとした刺激が舌の表面を走り抜ける。
パラパラと落ちる海苔の破片を眺めながら、会釈して部屋を後にする鈴木君の背中を見送り、私は空いている方の手でこっそり万年筆を手に取った。
――Not Lachs, But lax
最初のコメントを投稿しよう!