最後の誕生日

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 日が沈んで、辺りが暗くなってきた二月の夕方。アパート一室にあるキッチンでは、包丁のトントンと言う音が軽快に響いていた。  今日は私の、二十八回目の誕生日。今はエプロンをつけて、得意料理であるクリームシチューを作っている最中だ。  ジャガイモにニンジン、材料を適度な大きさに切っていると、不意に足元に柔らかな感触があった。 「にゃ~」  すり寄ってきたのは、猫のタルト。白と黒のフワフワとした毛並みの可愛い猫で、足に尻尾を巻きつけようとしているのか、くっつきながら頬ずりをしてくる。 「タルト、いたずらしちゃダメじゃない。今包丁を使っていて危ないから、あっちに行ってて」 「にぁ~」  言いたいことが分かったのか、タルトはすぐに離れてくれたけど、心なしか少し不機嫌そう。数歩動いたかと思うと丸まって床に座り、ジトッとした目でこっちを見てくる。  このかまって攻撃、出されたら気にせずにはいられないんだよねえ。 「そんな顔しないの。もう少ししたら、素敵なお客さんが来るんだから」 「にゃ?」  きっと彼は、今年も来てくれるだろう。私にはその確信があった。  その後タルトはしばらくの間、あっちをウロウロこっちをウロウロ。だけど決して、私の目が届かない所には行こうとしない。  女と猫一匹が住んでいるだけの大して広くないアパートとは言え、もう少し離れることはできるだろうに。どうやらよほど構ってほしくて、ヘソ天をしてアピールしてくる。  だけどまだダメ。シチューができてからね。  そんなタルトを気にしつつも調理は進み、いよいよ完成しようと言う頃。床にペタンと伏せていたタルトが、不意に頭を上げた。  そして耳をぴょこんと立てたかと思うと、急に玄関に向かって走って行った。  どうやら、来たみたいね。私もエプロンをつけたまま玄関に向かってみると、既に到着していたタルトが、ドアに向かって爪を立てていた。 「こらタルト、そんな慌てないの」 「にゃ?」 「そう急かさなくても。分かってる、アナタも早く会いたいんでしょう」  ワクワクした様子のタルトを、そっと抱きかかえる。  この子も分かっているのだ。今ドアの先にいるのが、誰かって。  ドアノブに手を振れて、ゆっくりと力を込める。  開かれたドアの先にいたのは、やっぱり彼。私とタルトを見比べながら、顔をほころばせてくる。 「こんばんは、チセ。それにタルトも、元気だった?」 「うん、私達は相変わらずよ。ユウヤの方も、変わり無いみたいね」 「にゃあ~」  くしゃっとした愛嬌のある笑顔を向けながら、タルトの頭を撫でてくる。。  彼の名前はユウヤ。高校時代から付き合っている、私の彼氏である。  久しぶりに会えたことを嬉しく思いながら、ユウヤを室内へと招き入れる。  すると部屋の中に入ってきたユウヤは、キッチンのコンロに置いてあるお鍋を見て、私が何をしていたかを瞬時に覚った。 「また作ってるんだな、クリームシチュー」 「得意料理だものね。それとも、別の物の方が良かった?」 「いや、良いよクリームシチューで……違うな。クリームシチューが良いんだ。毎年のことだから、これがなくちゃチセの誕生日って気がしないって。もうすっかり定番になっちゃってるからなあ」  何がおかしいのか、くすくすと笑みを浮かべる。  そう言えば、初めてユウヤにクリームシチューを食べてもらったのも、付き合い始めて最初の、私の誕生日だったっけ。十八歳の時だったから、もう十年も前の話。それから誕生日の度に、毎年のように作っていたんじゃ、まあ定着もするよね。  我ながらワンパターンな気もするけど、まあいいか。 「にゃにゃ?」  タルトが小首を傾げながら、不思議そうな声で鳴いている……ような気がする。  ちょこんと座りながらじっとこっちを見上げて、訴えかけるような目をして。そう言えばタルトは、私達の馴れ初めを知らないんだっけ。それで不思議がっているのかな? なんてね。  ――私とユウヤの出会いは、高校の渡り廊下だった。  あれは、入学してすぐの頃だったかな。方向音痴の私は、次に移動しなくちゃいけない教室の場所が分からなくて困っていて。そこで偶然通りかかったユウヤに、声をかけたのが始まりだった。  ユウヤは別のクラスの同級生で、私が迷子になっているって知った時は吹き出していたっけ。  その時は少し腹が立って。それから廊下ですれ違う度に、「今日は道分る?」なんて意地悪を言われて。だけどそんなやり取りが、不思議と嫌じゃなかったのを覚えている。  そしてだんだんと、私はユウヤに惹かれていって。そしてユウヤも、私を想うようになってくれたんだ。  まあ二人とも、お互いの気持ちに気付いていながら後一歩がなかなか踏み出せずに、付き合うまで二年かかっちゃったんだけどね―― 「にゃあにゃあ」  過去話を聞きたがっているのか、それともお腹が空いたから早くご飯が食べたいのか。タルトは二本の後ろ足で立って、両前足の肉球を足に押し当ててくる。それじゃあ、準備をしながらもう少し語ろうか。  ――私達は毎日のように学校で会って。ユウヤは遠回りになるにもかかわらず、帰りは必ず途中まで同じ道を歩いてくれていた。  けど、そんな私達に距離ができてしまったのは、高校を卒業してから。出来たのは心の距離じゃなくて、物理的な距離の方。私は進学、ユウヤは就職して、住む場所が離れてしまい、なかなか会えなくなってしまったのだ。  それまでは当たり前のように隣にいたのに、会うことができない。それがどれだけ辛いかを、あの時初めて知った。  一応、頑張って会おうと思えば会えない事も無い、その程度の距離だったのだけど、お互い忙しい毎日に翻弄されて、時間を作ることができなかった。私達でこうなのだから、世の遠距離恋愛をしているカップルはよくそんな事ができるなと感心する。  だけどね。今からちょうど九年前。私の十九の誕生日。この日もユウヤは仕事で忙しくて、きっと会えないだろうって話をしていた。  一人寂しく過ごす、誕生日の夜。一応ケーキは買っていたけど、それはカットされたショートケーキで。ハッピーバースデイなんて書かれた豪華なものじゃなかった。  けど、一人で食べるんだからそれで十分。寂しくないと言われれば嘘になるけど、仕方がない。  作ったクリームシチューをお皿に移して、一人寂しくいただきます。だけどその瞬間、インターホンが鳴ったのだ。  慌てて玄関に出て見ると、そこには息を切らせたユウヤの姿が。仕事が長引いたけど、今日だけはどうしても一緒にいたいからと、無理をしてきてくれたのだ。忙しいのに、無理しちゃって。  それから二人でクリームシチューを食べて。一つしか買っていなかったショートケーキを二人で分けて。小さくなってしまったけど、きっと一人で食べるよりも、ずっと美味しかったと思う。  で、なんやかんやしているうちに遅くなっちゃったから、ユウヤを家に泊めたんだよね。もっとも、明日も朝から仕事で、始発の電車で帰らなくちゃいけなかったから、甘い展開になんてなる余裕は無かったけど。  本当に泊めただけ。だけどあの日は、最高の誕生日だったと思う。  そして寝る前に、ユウヤは約束してくれた。これから何があっても、誕生日だけは毎年必ず一緒に祝うって――  誕生日は二人一緒に。あの約束は、今でも続いている。
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