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「ねえユウヤ。さっきの……好きな人がいるって話なんだけど」
「ああ、うん。相手は、どんな人なの?」
「会社の同僚で、歳は一個上。話す機会が多かったんだけど、先週言われたの。俺と付き合ってくれないかって」
「ストレートな告白だな。それでチセも、その人のことが気になっている」
「うん……」
ここで嘘をついても仕方がないと、本心を口にする。
だけど彼の告白を受け入れることに、迷いがあるのも事実。受け入れてしまったら、ユウヤに対して抱いていた気持ちは何だったんだっ、て思えてしまうから。
「私は、ユウヤの事が好き。この気持ちに、嘘は無いから」
「うん、分かってる。けど、今一番好きなのは、俺じゃないだろ。良いんじゃないか、それでも。今チセが誰を好きだとしても、過去の想いまで嘘になるわけじゃない。だろ?」
「良いのかなあ。他の人を好きになっても」
「もちろん。そりゃあ、チセが俺のことを嫌いになったって言うんなら悲しいけどさ」
「うん、それは無い」
他の誰かを好きになっても、ユウヤへの想いが過去のものとなったとしても、それでも二人で過ごした日々は、あの恋は特別だったと、心から言える。それはきっと、お婆ちゃんになったとしても変わらない。
そんな私は、不誠実? 難しくてよく分からないけど、過去の想いまで嘘になるわけじゃないって言われて、救われた気がした。ユウヤとの思い出を抱えたまま、前に進んでもいいんだよね。
「一応聞くけど、相手の男はそんな過去に拘る奴なのか? さすがにそんな奴に、チセを任せる気にはなれねーんだけど」
「そんな事無い。ちゃんと優しい人だよ」
「そっか、なら安心だな。けど一つだけ、お願いがある」
「……なに?」
急に真剣な顔つきになるユウヤに、つい緊張してしまう。そして、彼の口から出てきた言葉は……。
「タルトのこと、これからもよろしく頼む」
「…………お願いってそれ?」
呆れて思わず、ぽかんと口を開けてしまう。
そりゃあタルトは元々、ユウヤの猫だったけど。彼女が別の男と付き合うって話をしている時にするお願いがそれって……。
名前を呼ばれたタルトは、「にゃ?」と鳴いて顔を上げて、ユウヤを見ている。
そして私はあまりに真剣にお願いをするユウヤの様子が面白くて、思わず吹き出してしまった。
「ふふっ、あはは。そんなの言われなくても、面倒見るに決まってるじゃない。真顔になるから、何かと思っちゃった。普通こういう時って、『必ず幸せになれ』とか、『長生きしろよ』とかじゃないの?」
「チセを支えるのは、もう俺の役目じゃないだろ。よく考えたら一度もちゃんと、タルトの事を任せるって言ってなかったしな。最後くらいは、ちゃんとしないと」
照れたように頬を染めるのが、とても可愛い。
まさかこんな時に心配するのがタルトのことだなんて。だけどそれは私と、私が選んだ人を信じてくれているから言える事。ユウヤのそう言う所を、私は好きになったんだ。
タルトは「にゃーにゃー」と鳴きながらユウヤの足にすり寄っていき、ユウヤはそんなタルトの頭を撫でる。
「ユウヤ、今までありがとうね。誕生日には会おうって約束、律義に守ってくれていて」
「俺がそうしたかっただけだから。一年に一度だけ会うだなんて、何だか織姫と彦星みたいで、面白かったよ。今は冬だけど」
「バカ。私は織姫なんてガラじゃないわよ」
もう何度も繰り返してきた、くだらない話や笑い合い。ユウヤと過ごすそんな時間はとても愛しくて。だけどもう、終わらせなくちゃ。名残惜しいけど、前に進むために……。
「……チセ」
「なに?」
「最後だから、言っておくよ。俺、本当にチセのことが好きだったよ」
「私も。ユウヤのことが好きだった」
「ありがとう……じゃあな、チセ」
そう言うとユウヤは、嬉しそうにニコッと笑って。そしてスッと消えた。それは瞬きをするくらいの、ほんの一瞬の出来事。
まるでそこには、最初から誰もいなかったように。目の前には空の椅子と、お皿に盛られた手付かずのシチューがあるばかり。
ああ、本当にユウヤとは、もうお別れなんだ。今日が彼と過ごす、最後の誕生日だったんだ。
分かっていたはずなのに、気が付けば一粒の涙が、頬を流れた。
「にゃっ、にゃっ!」
異変に気付いたタルトが、慌てたように足元に寄ってきて、心配そうに見上げてくる。
そんなタルトにそっと手を伸ばすと、フワフワとした体を抱きかかえ、そっと胸に抱きしめた。
「大丈夫。もう、大丈夫だから。ユウヤ、今まで、ありがとう……」
もう二度と会うことの無い、大好きだった人。ユウヤの事を好きになって本当に良かったと、心から思う。
彼との思い出を抱えながら、前に進んでいく。そんな私に、まるで元気を出せと言うみたいに、腕の中のタルトは「にゃん」と、力強く鳴くのだった。
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