最後の誕生日

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 お皿に盛られたクリームシチューをテーブルの上に並べて。向かい合う形で席に着く私とユウヤ。  床に目を向けると、タルトは既に猫缶にがっついている。いつも食べているものとは違う、高い猫缶。特別な日なのだから、タルトにも良い物を食べさせてあげなくちゃね。 「タルト、美味しい?」 「にゃ~あ」  顔を上げて目を細めながら、幸せそうな声で鳴くタルト。そして正面に座るユウヤは、私達の様子を見てクスリと笑った。 「タルトのやつ、もうすっかりチセに懐いちゃってるな。最初は人見知りで、なかなか寄っていこうとしなかったのに」 「あれから何年経ってると思ってるの? 誰だって、少しは変わるわよ」  ずっと変わらないモノなんて存在しない。猫も、それに人も、時が経てば少しずつ変わっていくのだ。例え変わりたくないって思っていても、否応なく……。  ふと、胸の奥にチクリとした痛みがあった。ううん、こんなものは気のせい。気のせいだってば。  そう言い聞かせたけど、晴れないモヤモヤ。目の前には出来立てのシチューがあるのに、私はそれに手を伸ばすことなく俯く。どうして今、『あんな事』を考えちゃったんだろう。ユウヤが来てくれてるっていうのに。  不自然に会話が途切れてしまい、沈黙が訪れる。驚くほど静かで、猫缶を食べるタルトの租借の音が、小さく聞こえるだけ。  すると不意にユウヤが真顔になって、ポツリと一言。 「チセ。誰か他に、好きな奴がいるだろ」 「―—ッ⁉」  顔を上げて、目を見開く。  好きな人と言われて咄嗟に浮かんだその顔は、ユウヤの言う通り彼のものではなかった。  動揺して、唇が震える。だけどそんな私とは逆に、ユウヤは落ち着いていて、穏やかな表情を見せている。 「ごめん、私……」 「勘違いしないで。怒ってるわけじゃないから」 「でも……」 「チセはチセのやりたいようにやるのが一番なんだよ……。」  ユウヤが言った、『死んだ者』という言葉。この五年間一度も口にすることなく、はぐらかしてきた現実だ。  ――全ては五年前のあの日。私の二十三回目の誕生日。  何があっても、誕生日だけは一緒に祝う。そう約束してくれていたユウヤは、その日も私に会うために、このアパートへと向かってくれていた。  だけどその途中で、悲劇は起こった。ハンドル操作を誤った車が、歩道に突っ込んできて。たまたまそこを歩いていたユウヤは、そのまま……。 「不思議なものだよ。生きてるうちは、幽霊なんてまるで信じていなかったのに、まさか自分がなっちまうなんてね」 「全然そんな風には見えないけどね」 「そうだなあ。事故の直後みたいに血でも流していたら、雰囲気が出るんだろうけど」 「やめてよ、トラウマになっちゃう。私あの時、すっごいショックだったんだから」  ユウヤののん気な態度を見ていると、私だけシリアスぶる気にもなれなくて。頬を膨らませて抗議する。  あの日、警察から電話を貰った私は、とても理解が追い付かなかった。  あまりにあっけない、愛する人の死。彼の遺品の中から、誕生日プレゼントに買ってくれていた指輪があったと知った時は、涙が止まらなかった。  それはただのプレゼントではなく、特別な意味があって。左手の薬指にはめるための物だったのに、その手を取ってくれる人はもういなくて。私はただ、泣き続けることしかできなかった。  もしも誕生日に会う約束なんてしていなかったら、事故に遭うことなんてなかったんじゃないか。そんな思いが込み上げてきて。だけどそんな私に、前に進む元気を与えてくれたのはタルトだった―― 「タルト、元々は俺の猫だったのに、今じゃすっかりチセの隣が似合うようになって」  猫缶を食べ終えて、じっとこっちを見ているタルトに優しそうな、だけどちょっぴり寂しそうな目を向けるユウヤ。ひょっとして、ヤキモチ妬いちゃってる?  彼の言うように、元々タルトを飼っていたのはユウヤだった。  あの頃のタルトは、今よりもずっと小さくて。ユウヤはそんなタルトの事を、まるで我が子のように可愛がっていたっけ。  そんなユウヤが育てていた命を、放っておくわけにはいかないと、事故の後で私が引き取ったのだ。 「にゃ~あ」  一鳴きしたタルトは、くるんと丸まって床に座る。  まったく人の気も知らないで、自由な奴め。お前を引き取ってからと言うもの、毎日仕事と世話で、大忙しなんだよ。そうしているうちに、悲しむ余裕も無くなっていったんだっけ。  けどそれから一年経って、私の二十四回目の誕生日のあの日。驚くべき事が起きた。 「あの日ユウヤがやって来た時は、夢かと思ったわ。インターホンが鳴ったから出てみたら、平気な顔して立っていたんだもの」 「その割には、あまり驚いていなかったみたいだったけど」 「それは……何となく、来るような気がしてたから。ユウヤって一度した約束は、何があっても守ろうとするんだから」  死んだはずの人が、いきなり家を訪ねてきたのだから、普通なら腰を抜かしてもおかしくないのかもしれない。  だけど私は、そんなユウヤを部屋の中へと招き入れって。少し大きくなっていたタルトを見せてあげて。あの日は一晩中、他愛も無い話を語り明かしてたっけ。  朝になったらまるで雪が溶けちゃったみたい、ユウヤは消えちゃったけど。 「それから毎年、誕生日の日は必ず来てくれたよね」 「約束だからね。けど、感謝してるよ。霊能者や陰陽師でも呼ばれて、除霊されたらどうしようって、ちょっと心配してた」 「そんな必要ないでしょ。怖くも無いのに、どうして除霊なんてするの?」 「ははっ、あんまり怖がられないのも、幽霊としてどうなんだろうな」  頬にえくぼを作りながら、冗談を言って笑う。それを見て私も、うっすらと笑みを浮かべる。  彼と過ごすこのまったりとした時間が、とても好き。だけきっととそれも、いつかは終わりが来る。  私はスッと真顔になると、真っ直ぐにユウヤを見つめた。
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