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思い出が傷になる。
ボクはあの日──自分の命よりも大切な、かけがえのないものを失った。
あの声、仕草、大きな瞳……もう、キミに触れることも…………。
──生きる希望なんてない。
目の前には絶望──ただ、それだけ。
「気持ちはわかるけど……」
母親の声が聞こえる。下の階からだ。
……しらじらしい。本当はボクの気持ちなんて、これっぽっちもわかっちゃいないクセに。
「もう1週間も学校を休んで……。近所の方も、ねえ、心配して……」
──ほら。これが本音だ。
ボクの痛み、苦しみよりも、世間体の方が大事なんだよ。母さんは。
……マオ。彼女の名前。
1週間前に彼女は事故で亡くなった。
…………本当に、突然の事故だった。
「……こう言っちゃあなんだけど、たかが猫じゃない? そろそろ、気持ちを切り替えなくちゃ」
──“たかが猫”? たかが猫だって……?
ボクは小学生のころからずっと、マオと一緒だったんだぞ?
……近所の野良猫が6匹も子猫を産んだとき、その中の1匹を引き取ったのが──そう、きっかけだったっけ。
それからずっとずっと、ボクの人生は、マオとの人生だった。
子猫のころは、ダンボールでベッドを作ってやった。雰囲気にこだわって、わざわざ近所の魚屋から、マグロかなにかのイラストが描かれたダンボールをもらってきたことを覚えている。……まあ、あまり気に入ってはもらえなかったけど。
すこし体が大きくなってきて、キャットタワーも買ってあげた。1回100円の割りに合わないお手伝いをこなし、お年玉も合わせてコツコツ貯めた4000円で、一番安いのをなんとか買ってあげたんだっけ。タワーとはほど遠い……上下2階建てのシンプルなものだったけど、何度も登って降りて──をくり返しては、一番上にぶら下がっているネズミのおもちゃに噛み付いて遊んでいたのが可愛くてかわいくて。
毎年、誕生日には決まって、ちょっとお高い缶詰もプレゼントしていた。いつものカリカリは朝にお皿にあけても、昼にふっと覗いてみたらまだ残っててさ……その視線に気が付いて、あわてて一口、二口ゆっくり食べはじめるんだけど。缶詰のときはすごかった。ものの数分で見事に完食──どころか、まだ寄こせってな感じでジーっと見つめてくるんだ。ボクも耐えきれなくて、ついついあげちゃうのが甘いよなあ。
──なんて、マオのことを思い出すだけで、涙があふれ出て止まらなくなる。
もはや“たかが猫”なんて言う母親に怒る気力もなく、ボクはただ、ちょうど右手の高さにあるキャットタワーのネズミのおもちゃを、人差し指で弾きつづけていた。
「うううっ……」
泣きながらパソコンの電源を点ける。
彼女を亡くして部屋に引きこもるようになったあの日から、ボクの日課といえば……ネットサーフィン。猫の動画や、飼い主が趣味でやっている写真ブログ、インスタグラムのペット目線で更新されているアカウントなんかをひたすら眺めては、なんとも言えない不思議な気持ちになって、眠りにつくのだ。
……そして今日、運命の書き込みに出逢う──。
『猫は着替えてやってくる』。
この一文が、ボクの人生を大きく変えることになる。
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