一、出会い

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 黒谷の金戒光明寺には、新選組の預主である会津藩の本陣があった。 「ご存じですか。私は今日、非番ですよ」 「そうかい。じゃ、頼まねえよ」  土方が気を損ねたように踵を返すと、沖田は聞こえぬほどの小さなため息とついた。 「……まったく。これじゃ、どっちが子供だかわからないですよ。私からお願いしたのに申し訳ありませんが、また今度お願いします」 「土方さんも、沖田君が警護についてくれれば安心なんだろうさ」 「そこまで私の腕を買って頂いて嬉しい限りです」 「鬼沖田、だそうだね」 「やめてください。斉藤さんまで」 「まあ、気をつけて」  斎藤は喉で笑いながら、当初の予定どおり玄関へむかった。式台を下りて長屋門をくぐる。門衛の隊士が急いで姿勢をただした。 (さて──)  南北へのびる白い道の上を、轍のあとが交差しながら続いていた。  京の冬は寒い。  山あら吹き下ろす風は、身体を芯から凍らせる。  斎藤は太陽を仰ぎ、眩しげに手を翳した。  そのまま坊城通を北へ歩きだした。  この年、新選組は上洛以来二度目の正月を京都で迎えた。  新選組は文久三年(一八六三)、京都守護職である会津藩主松平容保公御預として結成された浪士隊である。主に、市中の不逞浪士の取締りを職務とした。  昨元治元年(一八六四)六月に起こった池田屋事変で、新選組は一躍全国に勇名を轟かせた。  祇園宵山の夜、二十余名の倒幕浪士が参集していた三条小橋袂の旅籠池田屋へ斬り込み、浪士らを殺傷、捕縛したのである。後に、明治維新を一年遅らせたともいわれた、幕末史上名高い事件である。  以降、新選組の雷名に数多くの同志が結盟し、隊の概要は日を追うごとに拡大していた。隊士数も二百名を超え、常備兵力としては数万石の大名に匹敵する陣容となっていた。  また、昨年暮れには、北辰一刀流の遣い手であり、尊皇の志に篤く硯学な人物として名高い伊東甲子太郎が門弟八名を伴って上洛、加盟している。  隊長の近藤勇はこれを厚く遇し、自身に次ぐ参謀の地位で迎えた。  この伊東の参加は、武力一辺倒の集団であった新選組に微妙な変化をもたらしていた。  だが、隊の実務面を一手に握っていた副長の土方歳三は、言を弄することは隊の弱体化を招きかねないと危惧し、対抗措置として新たな職制案を温め始めた。
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