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「もう心配して心配して……そしたら夜中の二時に帰ってきた。帰ってきた時の様子も変なんだ。いつものカアチャンじゃない。どうしたんだ? 何かあったのか? って聞いても、ロクな返事がない。翌日、何だか手紙を郵便局に出しに行った」
証拠になりそうな資料などを、送り返したのだろう。
「その日はオレも休みだったし、前に座らせて聞いたんだよ、カアチャン、隠しごとはなしにしようぜ、お互いに。いったい何があったんだか、教えてくんねえか、って」
その時、彼女は泣きそうな顔で言った。
「あの電話が来たら、『あの人』が来るから、アタシは出て行かなきゃなんないの。あの人が仕事するから、アタシはしばらくカラダに戻ってこれないんだ」
電話がきっかけになって、スイッチが入る。
宅配便が届いたらすぐに中をあらためる。
その中にはだいたい、ロッカーの鍵とこれから襲う相手との接触場所や方法についての指示が入っている。
指示通りに仕事をしてから帰り、翌日には拾ってきた薬きょうを資料や何やらと一緒に封筒におさめ、赤いふたのアラビア糊で封をする。
そうすると、入っていたスイッチが切れるらしい。
しばらくは、記憶が余韻のように残るのだが、みるみるうちに自分が戻ってきて、数日もすると、いやな夢をみていたように霧が晴れ全てが元通りになるのだそうだ。
その『あの人』って何だよ、何をしに行ったんだ、と聞くと彼女は急に真顔にもどり、平然としてこう言った。
「あの人? もちろんヒトゴロシよぅ。ヒトゴロシの仕事は、人を殺すことでしょ」
ぞくっとした。
こんなほのぼのした人から出た言葉とは、とうてい信じられなかった。
夕方のテレビで、更にぞっと寒気を覚えた。
自分の座っている床が突然底なしの穴に変じたような目まいが襲う。
中国の駐日大使が事務次官との会議の後、滞在していたホテルの一室で殺害されていた、というニュースが流れていた。
茶碗を落としてしまった。手がふるえる。
「そん時ね……カアチャン何て言ったと思う?
『あらやだ、チュウキにでもなったのぉ?』
オレはニュース、見たか? ってテレビを指さした。まだホテルのロビーが映ってた。
ところがカアチャン、きょとんとしてる。
内容を聞いていて、あらいやだ、怖いわねえ、って言うんだよ」
もう覚えていなかったらしい。
ヘンな電話が来たんだろう? って聞いても、ああ、何だっけ? 無言電話だったような……って全然覚えてなかった。
「次にヘンな電話がきたら、すぐ教えるんだぞ、いいな、オレが何とかしてやるから」
彼がそう言っても、うんうん、と軽く返事しただけだった。
ダンナは翌日会社に行くと、しばらく転勤は無しにしてくれ、と上司に頼んだ。
給料はぐんと下がるが、カアチャンを守るためなら仕方ないだろ?
煙草の煙を吐きながら、彼はそう言ってサンライズをみた。
「それでも、オレはずっと信じられなかった」
普通の生活が戻ってみると、あの日に感じたショックは、まるで悪い夢だったとしか思えなくなってきた。
次の悪夢は、それから半年くらい後におこった。
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