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「あの女です」
そう言われて、彼は初めて女性に気がついた。
それまでは、ずっと通りかかる男ばかりを目で追っていた。
見かけたところ、何のへんてつもないただの主婦だった。
ふんわりとしたウエーブのかかった髪を緩く後ろで結わえている。
あまり長くないようで、髪の先がぴょんと跳ねあがったようになっていた。
前髪は少し額にかぶっているため、顔つきや表情は彼らからははっきりとは分からない。
八百屋の店先に並んだキュウリをどれにしようか迷っているようで、袋を持ち上げたり、また返したりしている。
「ムラカミ・トシエ、三十八歳。二十九の時結婚して以来、夫と近くのアパートで二人暮らしです」
「子どもは」
「いません」
「トシエ、ってどういう字を書くの」
サンライズを案内してきた作戦課のキサラギは、何でそんな事を急に聞くのかといった顔を一瞬したものの、すぐに真面目な顔で答えた。
「淑女のシュク、にメグミ、です」
淑恵、今度は熱心にイチゴをみていた。
集中している時のクセなのか、カゴを持った方の手を口元に当ててあくびでも押さえるかのようにぴったりと口をおおっている、そしてもう片手は腰に。
ややふくよか、の部類に入るのか、ほっぺたの丸いところと二重あごが可愛い。目じりは下がり気味のようで、鼻も小さくて愛嬌のある感じだ。
年齢よりもかなり若くみえる。
体全体も、ぶよぶよとはしていないが体脂肪率は少し高そうだ。
少し腰をななめ前に突き出すようにして、イチゴがいまや人生最大の関心事となっている様子は、どこから見てもホームドラマの一こまのようだ。
そこへ
「ムラカミさあん」
背後から、別の主婦がやってくる。
「あらぁ~」
二人ははなやいだ笑い声をあげて、そのまま、おしゃべりに花を咲かせている。
「後から来たのは?」
キサラギ、手元の端末を検索して
「ここ二ヶ月のデータにはありませんね……近所の人のようですが。写真、撮ります」
「頼む」
キサラギが車の中からそっと、小型カメラを構えた。
無音で何枚か、連れの写真がとれた。
彼らは車の窓を閉め、その場を後にした。
走り出した車の中で、キサラギが聞いてきた。
「いかがでしたか?」
「まだ信じられない。間違いないのか?」
サンライズはずっと腕を組んだままだった。
「間違いありません、あれです」
キサラギが信号待ちの時にふり返って、言い切った。
「暗殺者、コーダ・デル・ディアボロ。略して『コーダ』の容疑者です」
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