ゲンザイチ

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ゲンザイチ

 まだ夜が明け切らない時間に彼女は目が覚めた。夢なら良いなと、布団の中でお腹を撫でてみた。なだらかなふくらみをまだ幼さの残る小さく細い手に感じて絶望する。医者には診てもらっていないが、彼女は解っていた。タイムリミットが近い事も解っていた。ひょっとするともうリミットは過ぎているのかもしれないという考えは怖すぎるので頭を振って打ち消した。彼女の意志に関係のないピクピクとした痙攣の様な感覚をふくらみの中に感じることが多くなった。父親には言えずにいた。多分殺される様な事態に陥るから。母親には言おうにも言えない。4年前に彼女を残して家を出たから。そしてヒロキにも打ち明けていなかった。唯一の好きな場所が無くなってしまいそうだったから。  教育にまつわる義務や権利が彼女にはまだ少しばかり残っていたはずだが、数年前に父親の怒鳴り声が二度三度玄関先から聞こえて以後、学校関係者は一切来なくなった。以来彼女はずっと家に居た。父親も家に居た。彼女の生まれる前から在宅ワークの父親は、母が出ていってからは毎日途切れることなくお酒とたばこをやりながら田中だかいう人や斉藤だかいう発注先の人の事をブツブツと罵りながら叩き付けるように黄ばんだPCのキーボードを打っていた。作業中に彼女が小さな音でも立てると、罵る相手が発注先から彼女に移行するので、出来るだけ静かに家に居た。  どんなに静かに過ごしているつもりでも父親の怒声と物と平手打ちが何度か彼女に飛んできて、彼女の顔や身体に新鮮な腫れと痣を浮き上がらせる頃には夜になり、彼女が作った(レンジで温めた)晩御飯を父親はお酒を主食に食べると、風呂に入らないまま湿った布団に倒れ込む。食べてもいないチーズバーガーの様な臭いが、ボサボサの髪と髭、染みとほつれだらけの鼠色のスウェット姿の父親から漂ってくる。、彼女の頭の中に『暴力的なごみ』という言葉が浮かんだ。縁の欠けた食器を静かに重ねて台所に持って行き、溜めた水の中に静かに沈める。パッキンが劣化している蛇口の雫を手の甲に受けて溜息をつくと、お腹がピクッと動いた。  今夜、ヒロキに会おう。そう決心して静かに洗い物を始めた。
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