イゴコチ

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イゴコチ

 知らない町の知らない橋の上で、昨晩の急な豪雨がもたらした濁流を眺めている。巾着を握りしめ、結局今に至っても一粒の涙も流れる事がなかった自分のあまりの冷血さに逆に苦い笑いが込み上げる。恐怖は感じていたが思いとどまらせる程ではない。次に赤い色の瓦礫やゴミが流れて来た時にとタイミングも決めている。冬一歩手前の冷たい風が傷の癒えた彼女の頬を強張らせる。  不意に上着の裾を引っ張られる感じがして振り返った。少し目線を下げると小さな男の子が居た。5歳ぐらいだろうかと彼女は予想した。 「すみませ~ん」    と男の子の母親らしい女性が走り寄って来る。 「おかあさんに、いいたいことがあるって」  男の子が彼女に言った。意味が分からなかったが、とりあえず微笑み返した。 「ママがどうしたの?」  男の子に追いついた母親が尋ねると 「ママはママでしょ!おかあさんはこのひと!」  そう言って彼女を指差す。母親と彼女が二人して首を傾げる。男の子が彼女に手招きをするので、しゃがんで男の子と目線の高さを合わせると、彼女の左耳を両手で覆って口を近づけた。 「おねえちゃん、おかあさんだったでしょ?」  ヒソヒソと語った男の子の言葉を理解した。 「そうだよ、おねえちゃんちょっと前までお母さんだったよ、何で知ってるの?」  少し興奮気味に男の子に聞き返す。 「そういってるもん、あかちゃんが」 「赤ちゃんが言ってるの?」 「うん」 「どこで?」 「ん~…かみさまのとこ」 「かみさまいるの!?」 「うん。でね、あかちゃんが、おかあさんのおなかのなかがとてもイ・ゴ・コ・チ?がよかったから、またおかあさんのとこにいきたいって」 「また来たいって?」 「うん。そうやってかみさまにたのんだら、いいよっていわれたからまたいくって」 「本当に?」 「うん。でもね」  男の子が一旦耳から離れ母親にちょっと離れてと言い、母親は怪訝な顔をして二、三歩下がった。それを確認して男の子はもう一度彼女の耳元に近づき、さらに小さな声で言う。 「おかあさんとかにつたえたこと、かみさまにばれたら、ちがうおかあさんのとこにいかされちゃうから、このことはひみつだよって」  男の子は彼女の目の前に来て、指を立ててシ~とジェスチャーをした。 彼女も同じジェスチャーを返した。なんだか楽しく可笑しくなってきて声を出して笑った。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。止まらない。  男の子の母親が2人に近づく。彼女の傍にしゃがみ、彼女の背中にやさしく手を置いて、彼女にハンカチを差し出した。
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