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失恋話8
ぼくは、何か言ってやらなくてはならないような気がして、
「昼間は母親がいて、出て来れないんだろう?」
と、ビルに訊いた。
すると、ビルも、涙ながらに面を上げ、
「そうなんだ。おれもそう思って、あの薄汚い売春宿に行ってみたんだ。
『せめて、夜にはおいで』
って言ってやるつもりで。それが……それが、もうあの子は、その売春宿にいなかったんだ」
ビルは、ウイスキーを煽るとこはせず、その代わりに、爪が食い込むほどに、きつくこぶしを握りしめた。
「いない? 引っ越したのかい?」
あるいは、そんなことなど訊かない方が良かったのかも、知れない。
だが、ぼくは訊いていた。次に待っているビルの言葉など、知りもしなかったのだから。
「いや……。死んだんだ」
そう言って、ビルはウイスキーを一気に、飲み干した。
「死……んだ?」
「ああ……。信じられないだろう? 昨日の夜、母親のヒモとケンカになった客に刺されて死んだんだ……。客が、ケンカを止めに入った母親を刺そうとするのを見て、あの子は母親をかばって……あんな母親をかばって死んだんだ……。わずか五つの幼子が……。こんなことがあっていいのか……? ハロウィンの妖精は、あんな子供まで連れて行ってしまうのか……?」
「……」
涙を零すビルの問いに、ぼくは何も応えることが出来なかった。
「おれは……あの子のことが好きだったんだ……。可愛くて、可愛くて、たまらなかった……。あの子が死んだなんて、どうすれば信じられるというんだ? どうすれば酒を飲まずにいられるというんだ? あの子は……昨年の万聖節に帰り損ねた妖精だったのだと……だから、自分の世界に帰って行ったんだと……そう思えと言うのか? おれには……あの子がもういないなんて思えない……。あの子の赤毛が金髪に変わるのを、おれは楽しみにしていたんだ。きっと、大きくなったら金髪になると……。それを見たいと思っていたんだ。それなのに……」
ビルの涙は涸れなかった。
ぼくもまた、胸に熱いものが込み上げて来るのを感じていた。
ビルの失恋を笑う気分には、なれなかった。
彼は確かに嫌な人間だけど、悪い人間ではなかったのだから。
ビルの泣き声は、いつまでも、いつまでも、続いていた。
それでも、ビルは、きっと信じている。来年のハロウィンの日――死者がこの世に戻って来ると言われているその日に、あの子が必ず、ビルの元へ、お菓子をねだりに戻って来ると……。
了
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