われわれは対等か

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「いま、すいませんって言ったけどね、自分が間違ってるって言われたことに対して、それ本当に納得しているのか?一方的に言われて、それを全面的に受け入れることができたっていうのか?私は違うと思うな。お前はとりあえず謝罪の言葉を口から放っただけなように思われるよ。だめだ。このままじゃ、一方的に責められ反論を許さない攻撃によって謝罪させられた、自分は正しいのに悪人に仕立て上げられたんだ、と、こう被害者然とした思考に陥ってしまうからだ。私は逆恨みなんかされたくないからね。だからこの場の錯誤、悪意、情動について正確に語っておきたいんだ。 今まで、ずっとそうやってズルく生きてきたんだろう。欺瞞に満ちた生き方を他人に押しつけてきたんだろう。弱い人間ってのは皆、そうなんだ。強い人間を悪人に仕立て上げるための手法だけは長けている。 憎悪を義憤と呼んでみたり、無言を美徳とみなしたり。お前の手にかかれば、強者は途端に忌むべき存在に成り果ててしまう。 お前は何一つせず、じっと、ただ黙りこくっているだけなのに、みるみるうちに正義の人に成り上がっていく。 私はいま、その光景を目の前にしている。そうだ、まさにこの瞬間、この場でそれは起こっている。だから、この状況について語っているんだ。 屈辱的だろう。だけど、それは私の問題だろうか。他人を舐めて、対等に付き合うことを疎かにしてきたから、言われて腹が立つんだ。お前の心の弱さが、恨みを募らせているんだ。他人を対等に扱うことができれば、こんな気持ちになることもなかっただろう。 対等というのは、なんと圧力的か。裸一貫で他人と向き合うのは、なんと心細いことか。わかるさ。だから私たちは心の中で、自分の方が偉い、優れている、正しい、と思い込むことでこの圧力から逃れようとするんだ。市井に逃げ込み、誤魔化そうとするんだ。だが、逃げ込んだ先は、さらの逃げ場のない崖そのものなんだよ。崖は遠ざかったりしない。ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。  お前はまだ、この状況に絶望してはいない、これでどうにかなると踏んでいるからだ。こんなもんだ、と思い込んでいるからだ。皆もそうだからだ。お前の周りに街が、人が営んでいるからだ。そこに滞在している者たちはみな、誰一人として、この絶望を感じていない。」
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