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秋空に吹く風と彼女のその姿は、少しだけ痛かった。
「……あー」
さて、諸君は“文章の書き方”をご存知だろうか? 日記でも学校のレポートでも、夏休みの作文でもなんでもいい。とにかく、文章の書き方だ。これは小説や脚本、台本を執筆する際にも大いに役立つと思われるので覚えておいてほしいのだが、その方法は意外にシンプルなのである。
「まずは書くこと、だよな」
そう。つまり、“最初の一文字目さえ書いてしまえば、後はどうとでもなる”のだ。…………え? 嘘をつけ、だって?
たしかに、その気持ちも分かる。疑わしいよな。しかし考えてもみてほしい。
『あ』でも『し』でも『も』でも、なにか書いておくことで、必然的に、紙上にスタートラインが引かれることになる。格好つけて言うならば“物語の幕が上がる”のだ(ちなみに某・二足歩行ロボットはこの話にまったくなんの関係もなく、ただの偶然の一致であるから気にしないように)。
上記から『も』を例に取り挙げるなら、一文字はすでに確定しているワケだから、この時点で日本語の五十音……さらにアルファベット、数字、記号などの数百パターンから書き出しを迷うことがなくなるということであり、次にすべきは『も』に続く言葉を紡ぐ“ワードパズル”だけである。これも難しく考えることはなく、要するに連想ゲームをしていけばいいワケで、適当に『も』ではじまる言葉をマスに埋めてしまえばいいのだ。
以下に例文を記載しよう。
『もしも──』
なんとも意味深な書き出しである。これからなにか大きな事件に巻き込まれるような……そんな期待と緊張に、胸が熱くなること間違いなしだ。
『森の奥にポツリと佇む古びた洋館。ここは──』
これは情景の描写からはじまる。当然、この洋館が物語の舞台であり、ストーリー上、大きな役割を担っているのだろう。読者や相手にシチュエーションをひと目で理解してもらえる、とても親切な書き出しであると言える。
『もっと、もっとだ……! まだ足りねぇ……』
このように、台詞からはじめてみるのはどうだろう? 掴みとしてはまずまずではないだろうか。きっと、主人公は血に飢えた戦闘狂であり、更なる強敵を求めて旅に出るところからシナリオが展開されていくのだと思う。ワクワクするじゃないか。
──と、少し長くなってしまったが、おわかりいただけただろうか? こうして最初の一マス目だけ埋めてしまえば、あとはそれが一行になり、一文になり、最終的に一つの作品になってしまうのだ。イラストを描くときになにも考えずマルから手をつける人がいるが、理屈としてはそれとまったく同じである。理屈としては、な──。
「はぁぁ……ダメだ! 書けん!」
さんざ偉そうに講釈を垂れておいてなんだが、俺は絶賛スランプ中の作家──いや、作家志望のフリーターであり、誰よりこの“書き出し”に悩まされているのは、ほかでもない、俺自身なのである。
「あ……あ、い、い、い……」
これは別に、主人公渾身の必殺技を喰らってもなお、ピンピンと立ち塞がる強敵に恐怖するモブキャラクターの真似をしているワケではない。この原稿の一文字目をどうしようかと思案しているだけだ。
結局、俺みたいに高校を卒業してから大学にも行かず、定職にも就かず、フラフラと──気が付けば二十三にもなって小説家を夢見ている人間には、スタートのきっかけなんて見つけられないのさ。こんな駄文の書き出しさえな。
はあ。こんなときは気分転換に限る。どんなに机とにらめっこしていたって、アイデアなんて浮かぶものか。
「……コンビニで弁当でも買ってこよう」
古いアパートのドアノブに手を掛けると、ぎしし……と木材の軋む音がして、その僅かな隙間からひゅうっと冷たい風が吹き抜けてくる。
「寒っ!」
まだ秋だというのに、どうしてこうも冷えるかね。革のジャンパーの上から腕を擦り、足踏みしながら“試される大地”のあまりに過剰な試され具合を改めて実感していると、隣の部屋に住む伊噴さんの姿が見えた。
彼女──伊噴 くろろは、先月このアパートに越してきたばかりの子だ。年齢は俺と同じか、少し下くらい。整った顔立ちにサラっとした黒髪がよく似合う……正直、どストレートなルックスである。はっきり言って、引越しの挨拶に来てくれたときにひと目惚れしてしまった。
そんな伊噴さんは……いま、仕事終わりなのだろうか? かなりお疲れの様子だ。
いつもなら迷うことなく、ここで挨拶の言葉でも掛けるのだが──。
今日の彼女は、全身アニメから飛び出てきたようなゴスロリファッションに包まれており…………見るからに、その姿は異様であった。
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