〇〇Happy Wedding!(達臣×春)

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〇〇Happy Wedding!(達臣×春)

「俺、結婚することにしたよ」  努めて平坦な声で告げられたその言葉に、瞬きを一つ。  そう口にした彼の左手薬指には、シンプルな指輪が光っていた。装飾がない、細身のリング。おそらく内側に石が埋め込んであるタイプだろう。派手さはないがシンプルさゆえの美しさがあるそれに、彼らしさを感じさせられる。俺の知る彼は、そういうデザインを好む人だったから。  彼の左手から視線を外し、そのまま上へと視線を戻すと随分情けない面をした男の顔があった。眉毛を八の字に下げて下唇を噛むその顔は、おおよそ結婚報告をする男の面ではない。 「え、なに。結婚、嫌なの?」 「馬鹿、そんなわけあるか。四年も付き合った彼女だぞ。プロポーズだって俺からだよ」 「じゃあなんでそんな顔してるの」  ツンと唇を尖らせてわぁわぁと噛みつく男にそう言ってやると、途端に先ほどの情けない面に戻ってしまった。吠えたと思えば再び情けない面に戻るものだから、こちらも同じような表情を浮かべてしまう。望んだ結婚だというくせに、浮かべる表情はちぐはぐなのだから訳が分からない。  俺の知っている彼は責任感のある男だ。中途半端な気持ちでプロポーズなぞ申し込まないだろう。どちらかというと、気合を入れすぎてから回ってしまうような、そんな男のはずだ。 だからこそ、彼の表情が腑に落ちない。俺の知っている彼ならば、本当に結婚したくて結婚するはずなのに。 「お嫁さんに変な条件でも提示されたの?」 「違う。つか、なんだよ変な条件って」 「えー、なんだろ」  プロポーズは自分から。結婚する、と口にしているということは断られてはいない。そうした条件から考えられそうなことをひとまず口にしてみたものの、あっさりと否定されてしまった。  加えて、自分で言っておいてなんだが、変な条件だなんて思いつかなかった。何なんだろう、変な条件って。毎週金曜日はカレーとか?まぁ、曜日感覚を失わない点ではよいのではないだろうか。それにこの人、カレー好きだし。  いやいや、と脱線した思考を元に戻す。彼女側から何かしら言われたわけではないのだろうか。どうにも思い当たる節がないのだけれど、少なくとも何かしらの原因があって結婚に対して何かしら思うところがあるのだろう。  何だろうとは思うのだが、一応俺はすでに何故と問いかけているし、それならば彼からの答えを待ってしまおう。当てようにも思いつかないし、苦し紛れな予想も的外れだったようだし。  うん、仕方ない。黙って答えを待つことにする。じっと彼の目を見て答えを待つ姿勢を見せるが、男は相変わらずの情けない顔で黙り込むばかりだ。 暇つぶしに男が淹れてくれたコーヒーを啜る。マグカップはあの頃のものとは違う客用のものであるのに、中身は俺好みの甘さだった。 「……お前、俺が結婚してもいいのか」  秒針が一周する頃、ようやく男は口を開いた。今日一番の情けない面で、しかも苦さが滲んだ声でそう言うものだから、俺は少しばかり笑ってしまった。  笑うな!と鋭い声が飛ぶが、無理な話だ。だって、おかしいでしょう。この男は、四年も前に自分と別れた男が未だに己にご執心であることに対して気を遣っているらしいのだ。  まったくもって馬鹿な話だ。俺は最初から、気にしなくていいと言っていたのに。 「馬鹿だね、本当に馬鹿」  思わず口に出してしまうほどに、この男の馬鹿さ加減には呆れてしまう。 俺があんたを好きでいることなんて気にしなくていいのに。それこそ、四年も勝手に思い続けているのだから、今更だろう。それとも四年の間、ずっと密かに思っていたのだろうか。だとしても、やっぱり今更だと思う。  そうはいっても気にしてしまうから、この男は馬鹿なのである。俺の一方的な思いをその身に浴びてなんとも言えない顔をする男は、結婚という人生の転機に立った今、どうしても俺という存在を捨て置けなかったのだろう。振り返ったその視線の先、いつまでも男のことを好きでいる俺のことを。 「お前、まだ俺のこと好きなんだろ」 「うん、まぁね。でも気にしなくていいんだって。俺は勝手にあんたのこと好きでいるんだから、あんたも勝手に幸せになればいいんだよ。それでいいんだって」  四年前に別れ話を切り出されたとき、俺は確かにそういったのだ。あんたが誰を選ぼうと、俺はきっとあんたを好きでい続けると。だけれど、そこに責任を感じる必要なんてないのだと。  何度そう言い聞かせても、男は眉根を寄せて視線を逸らすのだ。気まずさやら、ふがいなさでも抱えたような顔をして、黙り込むのだ。  過去は過去と割り切れたらよかったのに、と憐れむような思いで苦笑をこぼす。そうすれば、今更四年も前に別れた男のことなんて気にせずに愛する人と幸せになれるのだから。幸せを目の前にして、今更過去を振り返って何になるというのだ。そこにあるのはうんと前に決別した男一人だというのに。……それができない男だから、俺は好きになったのだけれど。  掌の中に収まっているコーヒーだってそうだ。角砂糖が4つに蜂蜜をひとさじだなんて面倒くさいレシピ、毎度律義に守ってくれなくていいのに。 だってそうだろう。目の前の男は甘いものが嫌いなのだから。わざわざ俺のために普段使いもしない蜂蜜なんて引っ張り出さなくていいし、砂糖だって別に入っていなくたって俺も飲めはするのだから。  いい加減に別れた男の好みなんて、忘れてくれていいのに。 「……お前はそれでいいのか」 「いいって言ってるでしょ。それとも何、嫌って言ったら元鞘にでも収まってくれるの?」  あまりのしつこさに声を低くしてそう口にすると、男は今度こそ黙り込んだ。最初から納得した振りでいいから、そうしていればいいのに。変に誠実というか、なんというか。  視線を落として、手元のコーヒーをのぞき込む。黒い水面に俺の顔が映っている。その顔がちゃんと穏やかな表情を浮かべていることに安心した。努めて保っている表情は、ちゃんと自然体のものに見えているようだ。  だってねぇ、変に悲しそうな顔なんて浮かべてしまえば一方通行でいいだなんて言葉が本当は嘘であることが透けて見えてしまう。 「俺とあんたは四年前に終わった関係なんだから、自分の幸せだけ考えてればいいの。別れた男のことを気がかりにしてたら、結婚生活が破綻しました、なんて俺は嫌だからね。ちゃんと祝福するつもりでいるんだからさ」    まっすぐに男の目を見て、そう告げる。男は泣き出しそうな顔をしながらも、俺の言葉に小さな声でありがとうと返した。それを聞き届けて「よくできました」なんておどけてみせる。  あぁ、俺は上手に笑えているだろうか。自分では笑っているつもりだけれど、変に歪んではいないだろうか。目元がうるんでいたりしないだろうか。どうかそうであったとしても、いいように解釈してくれないか。好きな男が結婚するさまを心底喜んで感極まっているのだと勘違いしてくれないか。  本当は言いたいことなんて山ほどある。今更俺のことを振り返ってそんな言葉を吐いてみせるなんてどういうつもりだ、とか。変に期待させないでくれ、とか。気にするくらいなら最初から別れるな、とか。そんな恨み言が山ほど。  だって本当に好きなのだ。四年前に別れたあの日からずっと、嫌いになれないままここまで来てしまった。いつか諦められるかもしれないと思っていたが、結局自分はどうしようもなく不器用で甘いこの男が好きなのだ。酷い男だとは思うけれど、そうして四年も己に言い聞かせても嫌いになれなかった。好きでいることを辞められなかった。  いっそ突き放してほしいのに、どこまでも甘い男は今更困ったような顔で「俺のこと、まだ好きなんだろ」なんて口にするのだから馬鹿にもほどがある。「結婚してもいいのか」なんて。……――いいわけあるか。本当は今にも泣き出してしまいたい。四年前のあの日から、この男を前にすると「どうして」と口にしたくてたまらなかった。どうして俺を置いていくのかと。悪いところがあるなら改めるから、俺を置いていかないでくれと泣いて縋りたかった。結局物分かりがよいふりをして頷くしかできなかったけれど、本当はずっとみっともなく縋ってしまいたかった。……そうしてしまいたいほどに好きだった。いや、好きなのだ。  だけれど、胸の内がどれだけドロドロとした暗い感情に塗れていようとも、俺は笑って祝福してあげたい。薄っぺらに聞こえてしまうだろうけれど、どれだけ好きで恋しくて仕方なくても、彼の幸せは笑って祝いたい。彼が好きだからこそ、その背中を押してやらねばならない。好きだからこそ、世界で一番幸せになってほしいと思うのだ。  だから、本当は自分がその指輪の相手になりたかったなんて言葉は、墓まで持っていく。穏やかに笑んで、聖人のようにその幸せを祝ってみせる。 「遅くなったけど、結婚おめでとう」  努めて軽やかに放った言葉は、目の前の男を心底安堵させたようだった。  口の中に残ったコーヒーの余韻が、やけに苦々しく感じられた。
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