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手を労わる(達臣×春)
冬の時期になると、指先から柔らかい花の匂いが立つのが好きだった。
まだ俺と彼が付き合っていた頃、彼は椿の香りがするハンドクリームを使っていた。
自炊ができる彼は、冬場も寒さを理由に面倒くさがることなく料理をする人だったから、手はいつも乾燥していた。それを見かねた俺が、安かったからなんて理由で適当に買ってきたのがそのハンドクリームだったのだ。
「俺、これ使うのか?女っぽくねぇ?」
「せっかく買ってきたんだし使ってよ。手の甲ガサガサよりはいい香りさせてる方がマシでしょ」
少し困ったようにハンドクリームのチューブを見つめる彼。確かに、買ってきたそれは椿のイラストが可愛らしく描かれた女の子らしいものだったから、そういう可愛らしいものとは縁遠い彼からすれば使うのに抵抗があったのかもしれない。
だからと言って、掌に収まった小さなチューブを見つめたままぼうっとしているのも、いかがなものか。
「もうほら、手出して」
無理矢理手を取ってハンドクリームを塗りこんでやる。白いクリームの色が分からなくなるまで丁寧に塗りこんでやると、彼は少し照れたように「くすぐったいな」と笑っていた。
「ん、ちゃんと塗れたよ」
「ありがとな、春。……これ、すげぇ椿の匂いするなぁ」
ムラなく綺麗に塗りこみ終わったのを確認して、手を離した。
礼を口にしながらスンスンと自らの手の甲を嗅ぐ彼はなんだか少し面白くて、思わずフフッと笑みをこぼしたことを覚えている。
この一件以来、その日の炊事がすべて終わると彼は俺に手を差し出してハンドクリームを塗らせたっけ。「塗って」の一言もなしに手を差し出してくるものだから、最初はなんのことか分からずに首をかしげたのももう過去の話だ。
あれから四年が経って、あの椿のハンドクリームを使うこともなくなった。俺も多少は料理をするし、冬場は手が乾燥してガサガサになることもある。だけれど、椿の香りのそれを彼なしに使う気にはなれなかった。匂いというのは、どうにも記憶を呼び起こしてしまうものだから。
手の甲から、あの頃とは違う爽やかなゆずの香りが立つ。いつかこの香りも、好きだと思える日が来るのだろうか。
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