夏の日

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 一応顧問の武下先生にそのことを伝えに行くと、いつもは放任主義で部活に顔を出したこともない先生が「じゃあ、俺も参加するかな」というので、ちょっとびっくりした。でも、嫌な気はしなかった。私は、武下先生の「現代文」の授業を受けて以来、先生のファンなのだ。  といっても、いわゆる先生に憧れるというような気持ちとは全然違う。うちの高校は元高等女学校で、戦後共学化されてからも、ただの一人も高校生活を全うした男子生徒はいないといわれる実質上の女子高。それもあって、教師は定年間近のおじいちゃん先生ばかりなのである。武下先生も例にもれず。磊落で、趣味人で変わり者、毎年パキスタンに出かけては絵を描いてくる。自由な雰囲気を自然に身にまとった人だった。  ただ、私がファンになったのはそれだけでなく、先生の「現代文」の授業が、はっとするほど面白かったから。中学まで、私は、国語は通信簿「5」以外とったことはないくらい得意中の得意だったが、授業を面白いと思ったことは一度もなかった。そもそもろくに聞いてもいなかった。「それ」が指すものは何か? とか、つまらないことだらけ。  だから、高校の授業でも「現代文」に期待などしていなかったのだが、武下先生の授業は一風変わっていた。  まず最初に、「受験のための授業はしない」と公言。私はうまく乗せられて「およ?」と思う。ちなみに言っておけば、一応の進学校ではあったが、たかが知れているので、大学受験に向けて熱心な授業をする先生は、他の教科でもあまり多くはなかった。校長だけは「エリート教育」に熱心だったものの、教師も生徒も誰もついていく者はいないという現状。「伝統」に寄りかかった「ぬるま湯」とは、先生たちの否定的肯定の言辞。
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