ジュディ視点8

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ジュディ視点8

「昔から帳簿関係は嫌いだと豪語してましたからね。基本的に裏方よりも、表に出ることに情熱を傾けてらっしゃるんです。だからあの坊ちゃんと結婚したのが若奥さんでよかったって、皆で噂してたんですよ」 「まぁ……」  思わず苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべそうになるのを、必死で耐えて笑顔を作った。 「若奥さんは掃除や在庫整理なんかの地味で大変な仕事も、率先してやってくださるでしょう? あたしなんかも、若奥さんが来てから随分と仕事が楽になりましたもの。本当に、あの坊ちゃんには過ぎた奥さんですよ」 「そう言っていただけて、光栄ですわ」 「ここだけの話なんですけどね。坊ちゃんが若奥さんと結婚する前にお付き合いしていた女性が、また高慢ちきな人でして」  例の恋人のことだ。レナードの口振りからも彼女のプライドの高さが窺えたけれど、人のよいアビーが酷評したことに驚いた。 「一度、坊ちゃんが店に連れて来られたことがあったんですけどね。あまりの居丈高な態度に、そのとき店に出ていた全従業員から嫌われていましたよ」 「まぁ」 「もしも坊ちゃんがあの方とご結婚なすったら、商会はますます混乱するだろうって不安に思ったりしたこともあったんですけどね、若奥さんが嫁いでくださって本当によかったです」  ホクホク顔で語るアビーに、僅かばかり申し訳ない気持ちが沸き上がる。  喜んでもらえたところで私はここを去る身。離婚が成立したら、彼は件の女性とすぐさま結婚するのだろう。  そのとき従業員たちは、どんな思いを抱くのだろうか。 ――そのときは一波乱ありそうね。  落胆するであろうアビーを始めとした従業員たちを想像し、少しだけ胸が痛んだ。  そのときだった。 「お前ら! 何こんなところで油を売ってるんだ、仕事はどうした!」  いつの間に外回りから戻って来ていたのだろうか。  扉の向こうにザカリーが立っていた。  鬼のような形相に、アビーがヒッと息を飲む。 「倉庫(ここ)なら俺の目も届かないから、サボるのにちょうどいいとでも思ったか? 残念だったな」  怒鳴りながら扉を何度も蹴り上げる。アビーは顔を青くして、その場にへたり込んだ。 「仕事をしないやつに払う給金はない。アビー、お前は今月の給金はいつもの半分だ」 「そんな……」 「全部自分が悪いんだろうが! 女二人でベラベラベラベラ、無駄口を叩きやがって」 「少し待ってください」  なおも怒鳴り散らそうとするザカリーの言葉を遮って、私は一歩前に出た。 「アビーは悪くありません。全ての責任は私にあります」 「お前がアビーを誑かして、仕事の手を止めていたというのか」 「それは誤解です。私はこの商会のことを少しでも早く知りたいと考えて、仕事の最中に話を聞かせてもらっていたのです」 「何?」 「説明を聞くだけのことに、わざわざ時間を割くなんて、もったいないとは思いませんか? その時間をほかの作業に回したほうが商会にとって有益と考えて、備品整理の時間を使って同時に今年の流行や客層などの説明を聞かせてもらっていたのです」 「……それは本当か、アビー」 「は、はいっ!」  もちろん真っ赤な嘘なのだけれど、アビーとしても私の言葉を肯定しておいた方がいいと考えたのだろう。ザカリーの言葉に青くなりながらも即答した。  彼はそれを鼻白んだ表情で受け流すと「しかし、ここで甘い顔をしてたらほかの従業員に示しが付かない」と言い出した。 「理由はどうであれ、(はた)から見たら無駄口を叩いてるようにしか見えないのは確かだ。それはわかるな」 「誤解させてしまい、本当に申し訳ございません」 「ジュディ。お前はアビーにいろいろと教わったと言ったな」 「はい」 「じゃあそれがどれだけ身に付いたか、一つテストをしようじゃないか」  ザカリーが言い出したのは、一週間後に外商に出向くリッジウェイ伯爵の屋敷に私も連れて行き、そこで夫人相手に品物を売るというものだった。  これまでは貴族相手にどれだけ営業を行っても、ただの平民ということで門前払いを食うことも多かったらしい。しかしザカリーは、私とレナードの婚姻により『中央で政治に関わる大貴族に(ゆかり)のある商家』という肩書きを手に入れた。  中央、政治という触れ込みで、貴族の顧客はジワリと増えたそうなのだが、ただしそのほとんどが男爵や子爵。伯爵以上の上級貴族からは、未だ見向きもされない状態らしい。  この状況を打破しようと考えたザカリーが目を付けたのが、件のリッジウェイ伯爵家である。  外交官として働いている伯爵は、年の離れた夫人と共に長年異国で暮らしていたのだが、ちょうど一年ほど前に外交の仕事を引退したのだった。  帰国の報告をするため、彼は夫人を伴って登城。そのときの彼女の出で立ちに、人々は度肝を抜かされたのである。  我が国とは全く異なる洗練されたデザイン。珍しい模様と繊細な刺繍が施されたドレス。胸元を飾る大ぶりのネックレスやイヤリングには、黄金が惜しげもなく使われている。  独特の髪飾りを用いて纏められた、斬新な結い方の髪もまた、大変に人目を引いたらしい。  我が国の流行とは全く異なる、新しい異国の風。リッジウェイ伯爵夫人のこの出で立ちに、貴婦人たちは瞬く間に心を鷲掴みにされた。そして社交界に、異国スタイルの一大旋風が巻き起こったのである……とは、新聞や雑誌から得た情報だ。  これだけ社交界に影響力のある貴族と繋がりがもてたら、ほかの貴族たちも(こぞ)ってキャンプス商会を利用するに違いない……そう考えたザカリーとレナードは、(つた)いコネを伝いリッジウェイ伯爵夫人にコンタクトを取った。  彼女が顧客になって、社交界で商会の評判を少しでも語ってくれれば、客は一気に増えるだろう……そう目論んだのだ。  果たして面会は叶い、ザカリーとレナードは夫人に対して精力的に営業を行った。  しかし、物事はそう簡単には運ばない。  これまで夫人のお眼鏡に適った品物は一つもなく、結果は惨敗。もう来なくていいと言外に匂わされ、ザカリーは相当焦っているのだ。  そして一週間後の訪問では勝負をかけるべく、商会で取り扱っている商品の中でも特に豪華な品々を持参するのだという。  その場に私も同席して、ザカリーとは全く違う商品を夫人に売れと、この男は言ったのだ。 「もしもお前が俺よりも商品を多く売ることができたら、アビーの給金を減らすのはやめにしよう」  つまり私の勝敗次第で、アビーの給金の行方が決まるというわけだ。  テストというよりは勝負と言った方が正しいだろう。 「でも私、営業なんて一度も……」  事務所内での仕事が多く、商品の補充以外で店に出たことは一度もない。  つまり誰かに物を売ったという経験は、皆無なのだ。  あまりにもフェアではない提案に異論を唱えるも、ザカリーは聞く耳を持ってはくれなかった。 「女のことは女が一番よくわかるってもんだ。それにアビーから話を聞いたんなら、大体のことはわかるだろう? もしもお前が商品を売れなかった場合は、連帯責任でアビーには今月の給料を支払わないから、そのつもりでな」 「そんな!」  無給と聞いて私は絶句し、アビーは悲鳴を上げた。 「せいぜい頑張ることだな」  そう言うとザカリーは哄笑しながら、扉をバタンと閉めて去って行った。 「アビーさん、ごめんなさい……私が話しかけたりしたから、あなたまでとばっちりを受けてしまって」 「いいんですよ、会頭のあれは、いつものことですから。それより大丈夫なんですか?」  今月の給金がかかっているアビーは、心底不安げな表情を浮かべている。  いくら夫の稼ぎがあるからといっても、無給となると心許(こころもと)ないのだろう。  心配そうな目で私を見つめるアビー。正直に言うと、私自身も不安でしょうがない。  私の働き一つで、彼女のお給料がなくなってしまう可能性だってあるのだ。  キャンプス商会で働き始めてからやった仕事といえば、掃除などの雑務や書類仕事ばかり。売り場に立ったことすらない私が、本当に商品を売ることができるのか……。  けれどやるしかない。 「精いっぱい、頑張ってみるわ」  決意を胸に、私は力強く微笑んで見せた。
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