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ジュディ視点14
数日後にウォルターから届いた返事に、職人への依頼を快く引き受けてくれる旨が記されていた。
宿屋の仕事も忙しいだろうに、その合間を縫って職人たちを訪ね歩いてくれたウォルターには、感謝の言葉もない。
手紙には
『職人たちと交渉するたびに、共に仕事をしているという実感がどんどん高まっていく。離れているのに、なぜか君の存在が身近に感じられるんだ』
と綴られており、私自身も同じことを考えていただけに、ウォルターと同じ思いを共有できたことが嬉しかった。
私たちの間に、物理的な距離など関係ない。
今は会うことも、声を聞くことも叶わないけれど、心は常にウォルターの側にある。
そしてウォルターもきっと……。
私はこの不本意極まりない生活を終えた後、必ずやウォルターの役に立つ人間になってみせる。
彼の隣に並び立つのに相応しい人間になるのだ。
リッジウェイ伯爵夫人の依頼を成功させることができたら、それは私にとって大きな自信に繋がることだろう。
そのためにも今回の件は、絶対に成功させたい。いや、させなくてはならない。
その思いを胸に、よりいっそう仕事に対して情熱を注いだのである。
手がけてくれる職人が決まったのは一月後。
そこからは話がトントン拍子に進んでいった。
まずはデザイン画と詳細を記した説明書を職人に渡し、試作品を作ってもらう。
完成後はすぐこちらに送るよう依頼をしたのだが、届け先はアビーの自宅にしてもらった。
事務所に送ってもらったら、ザカリーやレナードの妨害に合うかもしれない。そして自宅では、ヘレンが何をするかわからなかったのだ。今回の件をザカリーから聞いているであろう彼女が、私宛の荷物をこっそり捨ててしまう可能性だって考えられたからだ。
私に酷く同情的だったアビーは、この提案を一も二もなく引き受けてくれた。
「若奥さんには本当にお世話になっていますからね。これくらい、どうってことはありませんよ」
商会で私に与えられた仕事をこなしながら、アビーの家やリッジウェイ伯爵邸へ足を運ぶ日が続く。
ザカリーが口うるさく言ってくるので、訪問はできるだけ仕事終わりに行うようにしていたため、自然と帰宅時間が遅くなる日が増える。
ヘレンはそんな私に、苦々しい目を向けるようになってきた。
今まではザカリーやレナードがいないところでばかり攻撃していたのだが、その苛立ちがついに爆発したらしい。
ある日、夕食後にお茶を飲んでいる最中、ザカリーとレナードがいるにも関わらず「二人の仕事を横取りして、いい気になるんじゃない!」と突然罵倒してきた。
「家のこともやらないどころか、仕事を理由に朝から夜遅くまでほっつき歩いて、一体どういう了見なの? キャンプス家の主婦という自覚はあるわけ!?」
「……申し訳ございません」
「そんなに仕事が好きならば、一生働き続ければいい。でもね、あなた一人で一家全員が満足できるだけの生活費を稼ぐこと。これが絶対条件よ。もちろん子どもを作って、家事も育児も両立させなさい。子どもは最低でも男の子を二人。跡取りの嫁なんだから当然でしょう? これが全部できなければ、私はあなたをこの家の嫁として認めませんからね!!」
最後はヒステリックに叫びながら、ヘレンは居間を出て行った。
シンと静まりかえった室内。後に残された三人の間に、微妙な空気が漂った。
ザカリーはニヤニヤと面白そうに、レナードは心底ウンザリとした顔をしていたが、私と目が合うと無言で立ち去った。
子どものことに関しては、レナードも気が気ではないのだろう。
ヘレンの叱責を真に受けた私がその気になってしまった場合、困るのは彼自信なのだから。
もっとも、私にその気は一切ないから、心配する必要など全くないのだけれど。
「ヘレンのやつが悪かったなぁ」
ザカリーは立ち上がって、なぜか私の隣に腰掛けた。
「あいつはなかなか子が出来なくて、辛い思いをしたんだ。だからあんたには同じ思いを味わわせたくないっていう、親切心が高まったんだろうよ」
「……大丈夫です。私は気にしていませんから」
「それならいいが……もしもレナードの子を妊娠しなくても心配するな。俺がなんとかしてやろう」
「……?」
ザカリーの言葉に、私は首を傾げた。
この男が医学的な知識を持っているとは思えない。古くから伝わる呪いや、民間療法でも教えてくれるというのだろうか。
しかし私の予想は大きく覆されることとなる。
ザカリーは私の手に自らの手を重ね合わせると、ツッ……と指を這わせた。
刹那全身に怖気が走り、私は瞬時に手を引いた。
「おいおい、そんなつれない態度はないだろう? 俺はただ、ヘレンに責められているあんたの力になってやりたいだけなんだ」
ニタリと嗤うザカリーの瞳の奥に、欲望の炎が見える。
この男は私に対して、性的な目を向けているのだ。
「俺にはレナードっていう実績がある。レナードとの間に子が出来なくても、心配することはないぞ」
薄い唇をペロリと舐めながら囁くザカリー。気を抜いたらすぐにでも襲われそうな雰囲気に、私の嫌悪感が最高潮に達した。
――気持ちが悪い!
もう、我慢も限界だった。
すかさず立ち上がり「結構です!」と言って部屋を出た私の背後で、ザカリーの哄笑が聞こえる。
堪らず駆け出して離れへ急ぐと、すぐさま洗面所で手を洗った。
あの男に触られた箇所から、ドロリと汚されていくようで怖かった。
石けんをつけて、何度も何度も擦り洗う。やがて手が真っ赤に腫れ上がってヒリヒリと痛み出した頃、ようやく心が落ち着きを取り戻した。
まさか息子の嫁である私に対して、いかがわしい行為を唆す気持ちを向けて来るなんて、考えてもみなかった。
今まではそんな気配を感じたことなどなかったのに。
いや、私が気付かなかっただけで、ザカリーは以前からそういう目で私を見ていたのだろうか。
――怖い……。
自分が欲の対象として見られる恐怖。
貞操の危機をまざまざと実感した瞬間、猛烈なむかつきがこみ上げてきて、胃の中の物を全て吐き出してしまった
「ウォルター……ウォルター……」
首元に忍ばせた指輪を取り出してギュッと握りしめながら、愛しい人の名を呟く。
涙が一粒ポロリと落ちたのを皮切りに、どんどん止めどなく溢れ出た。
この家は、全てが敵だ。
キャンプス家は私にとって、魔窟も同然。
気を抜いたら最後、私は身も心も食い尽くされて、ボロボロになってしまうだろう。
恐ろしい所に来てしまったと今さらながらに実感して、全身の震えが止まらない。
心の拠り所は、ウォルターからもらったこの指輪と数通の手紙だけ。これがなかったら私は、とっくの昔に追い詰められて、心を病んでいたかもしれない。
「ウォルター……お願い、私を守って」
そんなことは不可能と知りながら、それでも願わずにはいられなかった。
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