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ジュディ視点15
心に深いダメージを受けた私は、リッジウェイ伯爵夫人の仕事にますます没頭するようになった。
朝は母屋に寄ることなく、朝食も摂らずに出社。その後は夕方まで仕事に励む。
以前はしなかった残業も積極的にこなし、アビーの家に職人から試作品が届くとリッジウェイ伯爵邸に向かうという日常を送っていた。
キャンプス一家とできるだけ顔を合わせたくない一心だったのだ。
商会ではザカリー、そしてレナードと顔を合わせることもあったが、基本的に彼らは外回りに出ていることが多い。
事務所は人目があるせいか、ザカリーもあの日のように妙なまねはしてこなかった。
ただときおり、ネットリとした視線を感じることがあり、貞操の危機はまだ去っていないことを嫌というほど自覚させられた。
神経をすり減らしながら日々を過ごすこと数ヶ月。
ようやく夫人が納得する品が完成した。
「早速、次の夜会にそれを着けて行くわ」
夫人は楽しそうに語った。
「ありがとう。あなたがいなかったら、わたくし本当に満足のいく装いができずに、陰鬱とした日々を送っていたかもしれないわ」
「お礼を言うのはこちらの方です。大変勉強になりました。本当にありがとうございます」
本心を述べて、深々と頭を下げる。
勉強になったのは本当のことだ。
夫人との打ち合わせに始まり、職人たちとの交渉や指示の出し方、実際にかかる制作日数など、私には何一つわからないことばかり。
書類上の数字だけでは把握しきれない部分を、たくさん知ることができた。
一人では何もできない私を支え、丁寧に教えてくれたエイベルとアビーには、感謝してもしたりないくらいだ。
ウォルターもまた、職人たちと直接交渉するという経験はほぼ皆無だったそうで、今回の件は非常に刺激的だったと、興奮を伝える手紙を送ってくれたこともあった。
こんな私とウォルターが店を開いたところで、最初は上手くいかずに大きく躓いたことだろう。
ウォルター、エイベル、アビー。
ゴドゥインや今は商会を離れた職人たち。
ウォルターが職人たちとの打ち合わせのため仕事を抜けることを快く許してくれたケイティとその夫。
そして不慣れな私に根気よく付き合い、支援してくださったリッジウェイ伯爵夫人。
全ての人たちに支えられ、一つの仕事をやり遂げることができた。
今回の成功は私一人の手柄ではない。
私の思いに賛同し、協力してくれたみんなのものだ。
仕事は自分一人でこなすものではない。
さまざまな人の力があってこそ、成し遂げられるもの。
私は今回の件で、それを学んだ。
これは今後の私にとって、大きな糧となるだろう。
「まったく、あなたという人はどこまでも謙虚ね」
そう言ってホホホと笑う夫人。
「ところでこのネックレスは、これ一点しか存在しないのかしら?」
「はい。今回作らせていただいた物のみとなりますが」
「あら、それでは駄目よ。わたくしがこれを着けて夜会に出れば、たちまち評判になってキャンプス商会には問い合わせが殺到することでしょうから」
「それは……」
影響力が絶大な夫人のことだ。
確かにそれはあり得るだろう。
けれど予算の都合もあり、ほかに在庫はない。しかも大量生産をする場合はまた南部で、職人を探すところから始めなければならないのだ。キャンプス商会の工房は使えないのだから。
今回試作を手がけてくれた職人に頼めば、人手は集まるだろう。
けれど人材を確保するための時間が、どれほどかかるかは全くの未知数。
目の前の仕事だけに没頭していたせいで、その後を考えることを忘れていた。これは完全に、私の失態だ。
「考えが至りませんで……申し訳ございません」
「途中でこのことに気付いていながら、言い出さなかったわたくしも悪かったわ。せめてキャンプス商会の職人が使えれば、すぐにでも取りかかれるのでしょうけれど」
「……申し訳ございません」
「こればかりはあなたに言っても始まらないわ。全てはあの男が悪いのだもの」
夫人には事前に、工房の職人が使えない理由を正直に打ち明けている。
彼女は扇で口元を隠すと、柳眉を顰めた。
「そもそも商人ギルドが幅を利かせすぎているのが、一番の問題だと思うの。他国には職人のための同職ギルドが存在するけれど、我が国にはないでしょう?」
商人同士の相互扶助を目的として作られた商人ギルド。構成員には商人だけでなく、職人たちも多く含まれている。
表向きは全ての商人、職人たちの助け合いを掲げているが、その実態は裕福な商人が権力を握り、利益を貪っているのだ。
ザカリーが経営するキャンプス商会がいい例だろう。
我が国では職人たちのほとんどが商人ギルドに加入することになっていて、加入者は商会の庇護の元、仕事をもらえるという仕組みになっている。
つまり裏を返すと、商会から話が回ってこなければ、仕事にありつけないというわけだ。
いつしかギルド内では商人上位の関係が成立していく。結果、職人たちは嫌でも商人の言うなりに、馬車馬のように働かされるのが当たり前になってしまった。
他国ではそれを不服とした職人たちが立ち上がり、同職ギルドを設立したことは知っていた。
「職人が商人に対抗できるだけの力を持っていれば、わざわざ他の地区の職人に依頼して、無駄な時間を費やすことはなくなると思わなくて?」
「それは、確かに……」
今回の件を通じて私は、ゴドゥインを始めとした職人たちの苦悩を知った。
なんとか救ってあげたい。
そんな気持ちが芽生えたのは、このときが初めてだった。
後日、ウォルターと共にW&J商店を開いた際には、夫人が語った同職ギルドとは違った形ではあるものの、職人たちにも平等に利益を齎せられるよう心配りをした。また福利厚生を充実させて、誰もが等しく休暇を取れるよう、長時間働かなくても済むような体制を作り上げた。
不眠不休の突貫作業は効率が悪く、商品の出来に影響を及ぼすことは、キャンプス商会の例で学んでいる。
人件費は嵩むだろうけれど、より良質の商品を増産するためには、こちらの方がよっぽど高価が期待できそうだ。
結論からいうと、その推測は見事当たることとなる。
私たちのやり方はやがて評判を呼び、W&J商店で仕事をしたいと申し出る職人が殺到。
それを見た各商家もこれまでの対応を見直して、職人たちを優遇するようになったのは、また別の話。
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