輝かしい人生

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輝かしい人生

 ジュディとの離婚が成立した一年後。  レナードはようやく恋人のミランダと夫婦になった。  しかし二人の結婚は、決してスムーズに進んだわけではない。  前妻であるジュディの実力を高く評価していたレナードの父ザカリーが、二人の結婚を猛反対したからだ。  あの日――ジュディがキャンプス家を去った後。  事の次第を知ったザカリーは大激怒して、レナードを叩きのめした。 「お前は何を考えている! あんな有能な嫁を捨てるなど、一体どう言う了見なんだ!」  悪鬼のごとき形相で、レナードを追い詰めるザカリー。レナードの顔に青あざがどんどん増えていく。  口の端や鼻から流れた血が、顔中を染める。  しかしレナードは、決して暴力に屈しなかった。 「ジュディは俺の本心を理解してくれたからこそ、一年間お飾りの妻でいてくることを了承してくれた。その恩に報いるためにも、俺はこの一年必死になって仕事を覚えてきた。それでもは父さんだってわかっているはずだ」 「何を甘えたことを言っている! 多少仕事ができるようになったくらいで、いい気になるな! 俺がまだお前のことは認めておらんぞ。第一ジュディが抜けた穴をどうするつもりだ」 「俺があいつの分まで仕事をする」 「お前のような愚か者に、ジュディの代わりが務まるか!!」  話し合いは平行線を辿り、一時はレナードが家を捨てるのが先か、父が勘当を言い渡すのが先かというところまで発展する始末。  それでもミランダと晴れて結婚できたのは、レナードが大きな商談を成立させたことと、彼を溺愛する祖母の尽力によるものである。  さすがのザカリーも実母の懇願を無視することはできなかったようで、しぶしぶながらもレナードとミランダの結婚を許可したのだ。  かくして愛する女性を手に入れたレナード。  いつまでも皆の心に残るジュディの影を払拭し、両親や従業員、招待客たちにミランダの存在を印象付けるため、盛大な披露宴を執り行うことにした。  金を湯水のように注ぎ込んだ華やかなパーティーを楽しむ一同を見て、レナードは胸を撫で下ろす。  当然、初夜も滞りなく行われ、その日はレナードの人生の中で一番最良の日となった。  何の歪みもない、真っ当な新婚生活。  夢にまで見た生活を、レナードはついに手に入れたのだ。  ミランダはジュディとは違い、商会での仕事はしなかった。  留学を終えた彼女はアカデミーで教鞭を執ることになり、商売に関わる時間などなかったのだ。  ザカリーはミランダが外で仕事をすることに対して、大いにぼやいた。  実はこの国は数十年前まで、女性は家を守る立場にあるべきもので、仕事を持つなど言語道断とさえ言われていたのだ。  時代に移ろいと共に人々の常識も変わっていったのだが、昔ながらの考えに囚われているザカリーは、いつまでも文句を言い続けた。  しかしレナードは妻の意思を尊重したのである。  彼女のように学のある女性は、どんどん社会に進出した方がいい。  それにミランダの名が世間に広まれば広まるほど、夫である自分にも好意の目が向けられるだろうし、商会の評判も上がることだろう。  ザカリーはミランダの前でも、事あるごとにたジュディを褒め称えたが、彼女がしたことは商会のために身を粉にして働いただけのこと。  それが一体何になる。  そもそもジュディは学歴がなく、手に職を持たない女だ。  キャンプス家を去った後に残ったのは、莫大な慰謝料と形ばかりの身分だけではないか。  平民ならば再婚も容易だが、貴族女性の場合は難しいと聞く。  一度の婚姻で"傷物"になったと見做(みな)されて、よっぽどの場合を除いていい縁談に恵まれることはない。  ジュディとレナードは肉体関係はおろか、キスの一つもしたことがなかったが、それでも傷物は傷物である。  貴族の令嬢という立場から職を得ることも難しく、再婚すらできないジュディはもう、残りの人生を死んだように生きるしかないのだ。  可哀想だとは思うが、俺にはもう関係のない話だ……レナードは独りごちる。  何しろジュディと離婚してからの一年は、まさに地獄のようだったのだから。  被害者は何もジュディだけではないし、むしろ自分こそが最大の被害者である……彼は本気でそう信じていた。  けれど一時の苦難を乗り越えたおかげで、望んだ未来を手に入れられた。  これも全て、ジュディが離婚に応じてくれたから。  自分がジュディを上手く説得したから。  レナードは自分の有能さを思い出し、ほくそ笑んだ。  彼女が愛する夫……つまり自分(レナード)に素直に従ったからこそ、今の幸せな生活がある。 ――彼女の犠牲に報いるためにも。  自分は最高の人生を謳歌することにしよう。  レナードはそう決意した。   **********  この世の春を満喫していたレナードだが、二年ほど経って仕事上の小さなトラブルに見舞われた。  最初に気付いたのはザカリーだった。 「おい。最近商品の補充が追いついていないじゃないか」  伝票を眺めながら、ザカリーが番頭のエイベルを問いただす。  今まで滞りなく用意されていたオリジナルブランドの商品が、ここ数ヶ月ずっと品薄の状態なのだ。  これを作るためだけに専属の職人を雇っているほどだから、品薄状態になるはずがないというのに。 「実は……」  冷や汗を流しながら語るエイベルによると、数ヶ月前から職人の数がグッと減ったため、予定していた生産数を大幅に下回っているのだという。 「実は職人がこぞって南部の工房に移動したようで……」 「なんだって?」 「賃金はうちと同じくらいだそうですが、交代制の勤務らしく、一日の労働時間が短く済むんだとか。それから休みは週に二回。短納期品が入った場合には、特別手当もでるそうで、職人の多くがそっちに流れて行ったんです」 「なんだ、それは」  この国では、休日は月に数回程度が常識だ。繁忙期は休日返上で仕事をするのが当たり前である。  キャンプス商会は都でも大人気の商品を数多く取り扱っているため、職人は数週間ぶっとおししで働き続けることもザラだったが、今まで職人から文句が出たことなど一度もなかった。  短納期品に特別手当が出るなんて話も、他では聞いたことはない。 「職人たちはこれまで休みの少なさや福利の面で、密かに不満を抱いていたようなんです。相手はそのことを知ったようで、職人たちの希望に添う待遇を提示したんだとか」  これでは職人が鞍替えするのも当然の話だ……とエイベルは語った。  自分の預かり知らぬところで、思わぬ横槍が入っていたことにザカリーは激怒し、レナードも不快感を顕わにした。 「なぜ今まで黙っていた!」 「申し訳ございません! ですがこの話を職人らから聞いたのはつい昨日のことでして……」 「今残っている職人は絶対に手放すな!! 給金は倍払うし、待遇面も早急に改善すると言えば、奴らは寝返らないだろう。それから早急に代わりの職人を入れろ。どこよりも高待遇だと触れ回ることを忘れずにな!!」 「はいっ!!」 「それから、その泥棒猫みたいなまねをした店の名前はわかっているのか?」 「W&J商店だそうです」 「……? 聞いたことのない名前だな」 「元は南部の商店らしいんですが、半年ほど前にここから少し行った所に支店を出したようで」  そんな新参者にしてやられたとは!  ザカリーの怒りは増すばかり。 「W&J商店……覚えていろよ。今に煮え湯を飲ませてやるからな!!」
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