崩れゆく砂上の楼閣

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崩れゆく砂上の楼閣

 ザカリーの指示により、職人たちには破格の給金に加えて、週三回の休日が与えられることとなった。しかも短時間勤務を声高に触れ回ったおかげで、キャンプス商会で働きたいと願う者たちが後を絶たなかった。  結果、元いた数と同じくらいの職人を揃えることができたのである。  これまで失った分を取り戻そうと、急ピッチの作業が進められた。  しかし短時間の勤務を謳ったことが仇となる。  労働時間が短いためその日のノルマに到底及ばないのだ。  商品が不足している分、売り上げは当然落ち込む。  檄を飛ばして作業を早めさせるも、契約書で定められた時間になると、職人たちは仕事が途中でも帰宅の途に就く。  残業させたいと思っても、それでは契約違反になってしまう。無理を押し通すこともできるが、そんなことをすればまた職人不足に陥ってしまうことも考えられるので、どうにも打つ手がない。  さらに加えて、職人たちの人件費が格段に跳ね上がったことで、商会は大赤字を叩き出してしまったのだ。  さらに商会を苦難が襲う。  上客の一人だった伯爵夫人に、縁を切られてしまったのだ。  理由はひとえに、満足のいく品が買えないこと。  さらにはそれが社交会の話題となってしまい、これまでキャンプス商会を贔屓にしていた上級貴族らが、一斉に手のひらを返したのだった。  伯爵夫人はその後、キャンプス商会ではなく別の商会を贔屓にするようになったという話が、レナードの耳に入ってきた。  しかもそれは、あのW&J商店。  因縁のある店に出し抜かれたと知ったザカリーの怒りは凄まじく、従業員たちに当たり散らすことは、もはや日常茶飯事。そのため今度は従業員が続々と退職していき、一般業務もままならないほどの人手不足となってしまった。  そこでザカリーは、ヘレンとミランダにも家業を手伝うように命じた。かつてジュディは、一人で何人分もの働きを見せていたのだ。彼女にできて、ヘレンとミランダにできないわけがない。そう考えたのである。  しかしヘレンはともかく、ミランダは現在アカデミーで教鞭を執る身。  商売のことなど何一つわからないし、手伝う時間余裕は皆無。  それを理由に断るミランダに、ザカリーはまたもや激怒した。  そしてジュディと比較して、事あるごとにミランダをこき下ろし始めたのである。  それはミランダの自尊心を大きく傷付けるもので、ザカリーに罵倒されたミランダは、レナードに当たり散らすようになった。  父には怒鳴られ、妻にはヒステリックに叫ばれながらも、レナードはなんとか双方を宥めようと必死になった。 「ほんの少しでいいんだ。時間があるとき、ちょっと商会に顔を出してもらえれば……」 「あなたまでそんなことを言うのね! 結婚するときの約束を忘れたの? 私に商会の仕事は一切しなくていいと言ったのは、あなたの方よ!?」 「仕事なんてしなくていいさ。ただ、ジュディがいた頃は、従業員たちと毎日のように顔を突き合わせていただろう? でも今はそうじゃないから、不安を感じているようなんだ」 「だったら前妻を連れてくればいいじゃない!! 誰もかれもジュディ、ジュディ、ジュディ、ジュディと言って! みんな何かあるとすぐに私とジュディを比較する。私は商会の仕事をするためにあなたと結婚したんじゃないわ!」 「そんなこと、みんな承知しているよ」 「嘘よ! だったらなぜ、お義父さんだけじゃなく、お義母さんまで私に嫌みを言うの?」 「なんだって?」 「ジュディはとても有能で、細かい気遣いもできて、本当に素晴らしい嫁だったなんて、毎日まいにち嫌みばかり言われて……私もう耐えられない。こんな家、出て行ってやるわっ!!」  激昂したミランダは、レナードが止めるのも聞かずに実家へと帰ってしまった。  レナードは慌てて迎えに行ったが彼女が顔を見せることはなく、義父には「娘を蔑ろにする家に戻せるわけがないだろう!」と罵倒される始末。 ――どうしてこんなことに……。  少し前まで、レナードはたしかに幸せだった。  愛する女性を妻にして、商会の仕事も順調。意気揚々と人生を謳歌していたのだ。  なのに、なぜ……?  急激に変わった現状に、レナードはただただ呆然とするばかり。 **********  懊悩するレナードの元に、ある日一通の招待状が届いた。  それは年に一度、西部地域で店を構える商人たちが一堂に会する、パーティーの報せである。  行く気が全くしないというのが正直なところ。  けれど今の状態の父を行かせるわけにはいかない。  もしも誰かに当たり散らして、結果商会の面目が潰れるようなことになったら、元も子もないからだ。  とりあえず顔だけ出して、すぐに帰ろう……そんなことを考えながら、しぶしぶ参加したレナードだったが、彼はそこで思わぬ人物との邂逅を果たすこととなる。  ジュディだ。  美しく着飾ったジュディがそこにいた。 「……なぜ?」  心の奥底に、元は夫婦だったという気安さがあったのだろうか。  レナードは一目散にジュディの元へと駆けつけた。 「まぁ……レナードさま」  驚きながらも、ジュディは美しい笑みを浮かべて迎えてくれた。  結婚していたころは気付けなかった……いや、あのころ敢えて目を逸らしていたジュディの微笑み。聖母のような慈愛に満ちた顔を見て、レナードは自分の心が温かくなったことに気付いた。  そして同時に沸き上がる後悔。  あぁ……自分はなんと愚かなことをしていたのだろう。こんなに素晴らしい女性を蔑ろにしていたなんて……。  しかし全ては終わったこと。  もう二度と、あの素晴らしい日々は戻ってこないのだ。 ――いや、もしかしたらまだ間に合うかもしれない。  ジュディが戻れば両親の心は落ち着くはず。  ジュディが店に顔を出せば、残った従業員たちも安心するはず。  ジュディがいれば、ミランダは商会に顔を出さずに済むし、自分を見直してくれるはず。  ジュディさえ戻ってきてくれれば……。  レナードの喉が、ゴクリと鳴る。  彼とて有能な商売人。口の巧さには定評がある。  なんとかジュディを丸め込んで、戻ってきて貰うのだ。  妻にすることはできないが、ジュディが望むなら愛人にしてやってもいい。「愛する旦那さまのため」と言って、一年間必死に頑張ってくれた女性だ。自分に愛されると知ったら、涙を流して喜ぶだろう。  戻ってくれたら、抱いてやることもやぶさかではない。ジュディだってきっと、それを望んでいる。  彼女を抱けばミランダは悲しむだろうが、しかしもう自分にはこの道しか残されていないのだから……意を決して、レナードは口を開いた。
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