コタツを買おう

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 5月の上旬。  仕事を終えて帰宅した部屋で、俺は妹の真琴に電話をかけた。 『もしもーし。にいちゃん珍しいじゃない、電話かけてくるとか』 「まあな」 『で、どうしたの?』 「んー、あのさ。近いうち、お前こっち出てこれる日あるかな、と思って」 『まあ最近は就職活動でそっち方面も時々行ってるけど……そうだね、来週の金曜とか大丈夫そう』 「そっか。じゃその日の夜、空けといてくれるか?お前の行きたい店どこでも連れてくよ」 『…………なんで?』 「…………  えーっと、まあなんつうか……。  ……五十嵐さんと俺で、お前にお礼を、と思って」 『…………え』  真琴の返事の間隔が、少し開いた。 『……ってことは……  もしかして……アレ? アレなの!? とうとう念願成就しちゃったとか……ねえそういうこと!!!??』 「——……  まっ……まあ、そっそういうこと……っつうか」 『……ウソ!! 信じらんない!!!! きゃーーーーーーーーにいちゃんおめでとうっっ!!! すごい、これマジ奇跡!!! 世界の七不思議レベルであり得ない奇跡だわ!!!』 「お前あんま騒ぐなよ!! それに七不思議とか言うな!」  こういう話をする心積もりで電話したにも関わらず、妹の尋常でなくハイテンションなリアクションに思わずぶあっと顔が熱くなる。 「……五十嵐さんから、仲林さんと話をつける際にお前にすごく助けてもらったっていう話を、この前初めて聞いたんだ。……それ聞いた時はめちゃくちゃ驚いたけどな」 『えー、私は五十嵐さんに東京案内してもらって美味しいものたくさんご馳走になっただけだよー』 「その時、別れ話の会話内容は録音しておいたほうがいいと、お前がアドバイスしてくれたんだろ。  そのおかげでヤバいところを命拾いしたって……五十嵐さん、お前は命の恩人だって言ってる」 『え、マジ?……彼女、やっぱりなんか悪どい手使う気だったとか?』 「あー、まあそんな感じ……話聞いててちょっとゾッとした」 『……そっか。  よかった。  あれ言っといて、ほんとよかった』  真琴が、電話の奥でほっと息をつく気配がする。  ——ああ。  俺って、もしかしてやっぱりすげえ幸せもんだな……  変なところでそんな思いが湧き出し、思わずじわじわと胸が熱くなる。 「——ありがとな、真琴。  本当に」 『……あれ、にいちゃん?  ……もしかして、半泣きとかしちゃってる〜??』 「はあ? してねーーーし!!  とにかく来週金曜空けとけよ!!」 『あはは! うん、了解〜』  このおちょくり上手な妹に遊ばれるのも癪だから、ぶっきらぼうな言葉で電話を切った。  その温かく明るい笑い声が、いつまでも耳に残る。  そうなのか。  こうやってたくさんの思いが結び合い、互いに働きかけ——その力が、頑として動かないように見えた壁を動かした。  今、目の前にあるものは、ほかでもなくその結果なのだ。  自分の手の中にあるこの幸せの大きさを、俺は改めて深く噛み締めた。 *  その金曜日、午後7時半。  五十嵐さんが車を出し、俺たち3人は真琴の希望したフレンチレストランへ来ていた。  ライトでカジュアルな味わいが人気の店らしく、店内は明るい雰囲気で賑わっている。  そして今日はなんと言ってもあれほどキャーキャー言っていた鍋王子が向かい側に座るのだし、真琴もさぞ上機嫌で席に着くだろう……そう思っていたのだが、なんだか少し様子が違う。  席に座るなり、真琴はぐっと俯いた。 「……真琴、どした?」 「真琴ちゃん、どこか具合でも悪い?」  何となく様子が気になり覗き込む俺たちに、真琴は一層苦しげに視線を逸らして小さい溜息を漏らす。 「……はあ……  今日、どんな顔でここ座るか、シミュレーションしてくるのすっかり忘れてた……」 「……へ?」  間抜けな声を出す俺たちに、真琴は何か強烈な光源でも見るような心細い視線を向けながら消え入りそうな声で呟いた。 「いや……ほら。  恋愛成就したっていうことはつまり、その……恋人同士なら当然のアレやコレやも既に幸せいっぱいモードでクリアしてるんだろうな、とか……  なんかここにきて、ちょっとそれ考えた瞬間そういうのが頭から追い払えなくなっちゃって……  きゃ〜〜〜ん!!! にいちゃんと鍋王子のエッチいぃぃ!!!!!」  そこで真琴はぱあっと一気に頬を染めると、恥ずかしげに両手で顔を覆った。 「——……」 「……ちょ、真琴、それはその……」  彼女のそんな動揺をなんとかすべくあわあわしかけた俺たちだったが……よく見ると、真琴は完全に途方に暮れているわけでもない……ようだ。  なぜなら、何だかんだいって顔を覆った指の間から俺たちへ向けて熱い視線が注がれているからだ。 「っていうかね……にいちゃんの恥じらいモードとかには全く興味ないっていうかまじでノーサンキューなんだけど、この半端ない美貌と大人の色気ダダ漏れの鍋王子がどんな風に恋人を抱くのかとかそういうのはちょっと知りたい、というかすごい知りたい……でもでもその恋人が自分の兄とかいう想像図がちょっとエグ過ぎて耐えきれない……ああああ〜〜〜ダレカタスケテ!!!!」 「お前、結局その辺の話聞きたい気満々じゃねーか!? そんな手に誰が……」 「いや、全然エグくないぞ真琴ちゃん。君のにいちゃんはね、こう見えて実はマジで……」 「ぐあああああーーーーー!!! だから話に乗らないでくださいってば五十嵐さんっっ!!!」 「ちょっと〜にいちゃん邪魔しないでよ! もう少しで五十嵐さんが釣れるとこだったのに!」 「そうだぞ篠田くん。何もそんなひた隠しにすることないじゃないか。……ああそうだ真琴ちゃん、今度はお兄さん抜きで会おうか? 恋バナする場所がなくて実は困ってるんだよ」 「えーーーほんとですか!? じゃ今度是非〜〜♪♪」 「…………  そんなことしたら即刻別れますからね五十嵐さん……そして真琴、お前とも縁を切る……」  涙目になって二人を睨む俺に、五十嵐さんと真琴は同時に悪戯坊主のような顔でニッと微笑んだ。 「冗談に決まってるだろ。……君が嫌がることなんかしないよ、絶対」 「くふふふ、にいちゃんはほんとからかい甲斐があって好きーー♡」 「……」  ……何だか今、俺の目の前で強烈なタッグが組まれたような……  つまり俺は末長く、この二人のツッコミの餌食になるのだろうか……??  目の下にヘンなクマが一本増えたような気がする俺である。 *  それから、約半年後。  11月最初の土曜日、秋晴れの午後。  俺たちは、不動産屋へシェアハウスの契約に来ていた。  街中(まちなか)から少し離れた、近くに小さな公園と静かな遊歩道のある場所だ。  間取りなど内部の条件もこの上なく快適で、この物件を見に来た俺たちは迷わずここに決めた。  入居は12月からの予定だ。  契約を済ませたついでに、入居予定の部屋の周囲に立ち寄った。  色づいた葉が足元を彩る遊歩道を歩きながら、彼が静かに微笑む。 「——いい場所だな」 「ええ。本当に。  今月は少し慌ただしくなりそうですね。転居したら会社にも届出しないとですし」 「……なあ。  会社へ届け出る時には……隠さずに、伝えないか。  俺と君のこと」  彼の眼差しが、まっすぐに俺を見る。 「——……」 「俺たちは、幸せだ。  一点の曇りもなく。  その幸せを、こそこそと隠しまわる方がおかしいと——俺は、そんな気持ちだ。  誰よりも確かな幸せを手にしたことを、周囲にもはっきりと示したい。  ——君がもし反対なら、無理にとは思ってないけどな」 「……いいえ。  俺も、そう思いました。——今、あなたの言葉を聞いて」  俺も、彼をしっかりと見つめ返す。 「……大事なことだ。すぐに答えが出なくてもいいんだぞ?」 「少しも迷ってません」 「——そうか。  よかった」 「社内にそれを報告して——  うちで、みんなで鍋パーティとかしませんか。  小宮山さんたちや、佐々木さんたち呼んだりして」 「ああ、それいいな。すごく」  ゆっくりと歩を運びながら、小さく笑い合う。  ふっと、前に聞いた岸本部長の言葉が胸に蘇った。 『——人を永く愛するために、最も必要なことって、なんだろうな。  人生を歩む時間って、長いんだ。  誰かと一緒に人生を歩きたい、と思うなら——スタート地点の愛や恋の内容にこだわるよりも、きっともっと大切なことがある。  その相手が、どんな風に自分へ愛情を向けてくれる人なのか。  それは、自分にとって居心地がいいか。  そして、自分はその人へ、受け取ったのと同じ分量の愛を返せるか。  たとえ最初の段階で恋愛になっていなくても……受け取った想いに誠実に応えようとする気持ちがその相手を幸せにするならば、それは愛だ』  その言葉の一つ一つを振り返り——改めて確信する。  自分は今、永く深い愛を注げる人と共に歩き始めていることを。  スタートは、熱烈な恋なんかじゃなくても。  お試しの関係に恐る恐る踏み出すような、何とも曖昧で不安な思いだったとしても。  気づけばその人と、こうして確かな幸せの中を歩いている。 「あなたと歩けて、幸せです」 「————」  彼は一瞬ぐっと黙り込むと、小さく俯きつつ(おもむろ)に口元を覆う。  俺だけが知ってる、彼の深い喜びの表現だ。 「——……ええと。  その言葉、そっくり君に返していいか」  何とも照れ臭そうにぼそぼそと返ってくるそんな返事に、俺はクスクスと笑う。 「そういう時は、返すんじゃなくて。  あなたもちゃんと言葉で伝えてください」 「……うん。そうだな。   ——ありがとう。   俺の隣にいてくれて。   幸せなのは、俺の方だ」 「……あの。  すみません。今の、もう一回言ってください」 「…………へ?  なんで」 「今の言葉、万一あなたが『そんな事言った覚えはない!!』とか言い出した時のために録音しておきますから」 「…………」 「あははっ、冗談ですよ」 「——安心しろ。  そんな証拠が必要になるシーンは、来ないから。  絶対に」  何となく、高く澄んだ空を一緒に仰いだ。  やがて、暖かい冬が来る。  これから何度も繰り返す暖かな冬の、最初の1回目が。 「——あ、そうだ。  コタツ、買いましょうね」  空から視線を戻し、俺は彼に向けてそう微笑んだ。                      -Finー
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