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「どうしてすぐ、息子さんの不明を役場に報せなかったのですか?」
古家ながら小綺麗に整頓された四畳半の居間で、出された麦焦がしの湯にひとつまみの塩を混ぜクイッと一息に飲み干した惣太郎は、卓袱台に手付金として置かれた厚めの封筒を懐に仕舞い聞いた。
「あの子が居なくなる半年前、夫を亡くしたわたしたちは仕事の伝手を頼ってこちらに引っ越して来たばかりで、‥‥その‥‥村の皆様には遠慮があったのです」
ふーむ。
と腕組みし、美しい顔と姿態を持つ三十六歳の女性から話を聞いていた若者は、頭をひとしきり引っ掻いて首筋に汗でひっつく白い立襟シャツのボタンをひとつ外し、碧に染めた羽織を少しだけはだけさせて、濡れる首元に左手でヒラヒラ風を送った。
夏である。
敷かれた茣蓙の上に座っているだけでも汗ばむのも、無理はない。
「遠慮‥‥。ああ、人の繋がりが強いところではよく耳にする話ですねぇ。余所者は信用がならないとかなんとか」
「ええ‥」
先程から板間に座し若者と対面しつつ、過去を紡ぎ応えているのは不明男児の母親であり、雇い主の『木津千恵子』である。
「ところで、あたしみたいな場末の貧乏探偵をワザワザ縒り好んで呼び寄せたのは、何故でありましょう?」
「‥‥あなた様は大層腕の立つ探偵さまだと主人から聞き及んでおります。それ故にで御座います」
「主人?はて、あなたのご主人は十一年前に亡くなっているのでは?」
「主人とは、わたしの雇用主様のことで御座います。柳花村の元村長で、名を『緒方六象』様と仰っしゃります」
この御方が夫を病で亡くし、毎日の食費にも窮していたわたし達親子に生活の糧となる仕事を、皇都の口入れ屋に偶然綿花加工場の女工募集をお届けになったのがキッカケで御座いました。
「なるほど。では、あなた様からの電報に記されていた通り、あたしは行き方知れずになった息子さんを入念に探索し見つけ出せばよいのですね?」
千恵子は口を結んで力強く頷いた。
「ところで、和音くんの人となりはどんな感じでしたか?活発な方でしたか?大人しい子でしたか?」
「あの子は大人しい子でした。学校帰りに佳世さんに連れられて遊んでくる以外は、家の御手伝いをしたり本を読んだり拵物を作ったりしておりました」
「するとこちらのザリガニの置物は、和音くん御手製の品。という訳ですか?」
若者は居間ではなく、風通しを良くする為に開け放たれた隣の箪笥部屋の、薄く埃を被った箪笥の上に鎮座したザリガニの皮を使った甲冑人形を勝手に取ってきて暫し眺めた。
「ええ。あの子は器用な子だったので‥‥」
「そのようですねぇ」
しっかりした造作をみるに、接着剤には膠が用いられているのは直ぐにわかった。
和音くんは千恵子が言う通り、あの年頃にしてはかなり手先が器用な子供だったのが想像できた。
「では、息子さんと仲良しだったという向島佳世さんのお宅はどちらになりますか?一度会ってお話を御聞きしたいので」
「それでしたら、わたしがお話を通しておきましょうか?」
「それには及びません。調査のため、村を巡るついでに娘さんの自宅に伺うことにしますよ。で、どちらに御宅がありますか?」
千恵子は佳世の自宅を教えてくれた。
ここから村を分けるように流れる川の対岸の一角に、彼女の家はあるという。
聞けば昨年、千恵子の同僚で同じく綿花工場で働いていた母親を永の病でなくし、今は一人暮らし、仕事は千恵子と同じ綿花工場で糸を紡ぐ作業をしているという。
「ありがとうございます。ところで息子さんは何か普段から身につけていた物はありますか?玩具でもキーホルダーでもなんでもよいのですが」
この問い掛けに、千恵子は暫く考えている様子だったが。
「何も持たせていなかったと思います。わたし共は貧乏暮らしでしたから、あの子に玩具の一個も、買ってあげることは叶いませんでした‥‥」
さめざめと泣き始めた千恵子を気遣い若者は、彼女のため麦焦がしの湯を作り、手をとって勧めた。
包んだ手はしっとりと柔らかかった。
そして勧め終わると、
「‥‥覚悟はとうに出来てるとは思いますが、和音くんが生きて無事にあなた様の御前に現れるなどは、期待しないで頂きたいのですが‥‥」
「‥‥わ、わたしは、あの子の行方が、あの子の体さえ戻ってくれば、もう何も言うことはありません。どうか、どうか!あの子の亡骸だけでも見つけてはくれませんか!」
流れ落ちる涙を野良着の袖で拭い、意図せず生々しい顔を拵えてしまった千恵子は、弱々しい蜘蛛の糸にも縋るような表情をみせ、ついには両手で顔を覆い、身体を折り曲げ板間に突っ伏して、おいおいと泣き崩れた。
そのあまりの哀ように困った表情をした惣太郎は頭を掻き回して、やれやれと嘆息するしかなかった。
こうして貧乏書生っぽい若者こと場末の探偵である『草野惣太郎』は、彼女の願いを了承して、最愛だった息子の“姿”を追う事と相成った。
「必要経費の支払いと成功報酬の件は、くれぐれもお忘れなく」
最後にこう念押しして、玄関から深々と頭を下げる千恵子に辞儀を返したあと惣太郎は、佳世の家ではなく村の西外れの、西の山の神を祀るという社に足を運ぶ次第となった。
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