壱の目

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「うわっ」  バッチリと目が合ってしまい、思わず声を上げてしまった。  すると、甘楽はあからさまに不機嫌に顔を歪ませた。 「後ろめたいこと、しようとしてた?」 「そそそそ、そんな、まだ何もしてない……」 「まだ?」 「あ、い、いや、その、えっと、まだじゃなくて……その……」  うろたえる俺を睨みつけていた甘楽の視線が、フッと窓の方へと逸れた。  その視線に誘われるように振り向いた。  振り向いてすぐさま、しまった、と思ったがすでに遅い。大きな口からダラリとよだれを垂らした邪気がが窓にベッタリと張り付いていた。  邪鬼は俺をジロリと見ると、舌なめずりをした。 「ヒィィィ!」  情けない声をあげた俺に、甘楽の不機嫌な声が耳に届く。 「鬱陶しい」  やけに近い距離で甘楽の声が聞こえた。 気付けば甘楽に思いっきり抱きついていた。 「うわぁぁぁ! ごごごごご、ごめん」  慌てて甘楽から離れたけど、心臓は口から出そうなほどに脈を打っている。 「なんだなんだ? さっきから騒々しいな」 前の座席から藤原匠実(ふじわらたくみ)が顔を覗かせた。 「こいつがオレの事、襲ってきた」 甘楽が涼しい顔でとんでもないことを口にした。 「は? 何言って――」 「え! マジか! ついに宗介も甘楽の魅力に負けたかぁ~」 否定しようとする俺の言葉なんて、全く聞こうともしない匠実。 「ちがーう! 断じて違う!」  甘楽に抱きついたのは、決して襲おうとしたわけじゃない。  これまで邪鬼を見たことは何度もあったけど、こんなに間近で、しかも何の心構えもなく邪鬼を見たのが久しぶりだったからだ。 情けない声を出して甘楽に抱きつくほど驚いてしまったことに、我ながら情けなく気恥ずかしい限りだ。 「じゃあ、なんだよ」  匠実が苛立たし気に聞いてきた。問われるのは当然のこと。  だけど、それに素直に答えられないのが悩みの種でもある。  言って理解してもらえることではない。  黙りこむと、匠実が訝し気に顔を覗いてきた。 「もしかして、ヘンなモノが見えたとか?」  ドキッとして、匠実を見つめ返すと、途端に匠実の顔がイヤそうに歪んだ。  無理もない。  匠実とは小学校からの幼馴染だ。  人ならざるモノ、いわゆる妖や鬼と言われる類のモノを見るたびにヘンな事を口走る俺のことを、周りの人間は奇異な目で見ることが多かった。  そもそも人と関わることが苦手だったから、それはそれで別に構わなかったけど、ただひとり、匠実だけは平然と俺に声をかけてきた。  鬱陶しいほどに。  どんなに足蹴にしても、しつこいくらいに話しかけてきた。一人でいることに慣れていたから、その当時俺は、匠実の存在が邪魔でしかなかった。 『いい加減纏わりつくのはやめてくれ、鬱陶しいんだよ!』  そう冷たく言い放った俺に、匠実は平然と言い退けた。 『お前が鬱陶しくても、俺は鬱陶しくないんだから気にするな』  その頃から理不尽なことを言う奴だった。  距離を取りたくて、あえて人ならざるモノの話を聞かせたりしたのに、怖がるどころか匠実は羨ましがった。 『人とは違う景色が見えるって、スゲーじゃん。俺にも見えれば楽しいだろうな』  と言った匠実に本気でムカついた。 『気持ち悪くて不気味なモノが見えたって、何にも楽しくない!』  この時、初めて怒鳴った俺に、匠実は寂しそうに口を尖らせた。 『お前に見えている景色が、俺にも見えればお前は寂しくないか?』  その言葉は深く胸に刺さった。  中学生になった頃には、それなりに空気を読めるようになって、人ならざるモノの話はしないようにした。  それでも、何もないところを見て驚いたりする俺を、同級生たちは気味悪がった。  だから、陽気で友達も多かった匠実は、俺に付き纏うようになってから友だちも減り、イジメにさえあっていた。 それでも、匠実の態度は変わらなかった。 見かねて匠実に聞いた。 『どうして俺に付き纏う? イジメられてまで俺に付き合う道理はないだろう』  この時ばかりは、いつもおちゃらけていた匠実が真剣な眼差しで言った。 『誰とつるもうと俺の勝手だ。誰かにどうこう言われる筋合いはない。たとえそれで友だちがいなくなろうと構わない。自分が間違っているならともかく、自分の気持ちを押さえつけてまでそいつらとつるむ気はない。それに、お前を見捨てることで、後で俺が後悔するくらいなら、イジメなんてたいしたことじゃない。蚊にさされるようなものだ』  そう言ってニカッと笑った。  その強さが羨ましかった。  そして、いつも通りの陽気な声でこうも言った。 『お前は俺がついていてやらなきゃ駄目なんだ。いっつも青っ白い顔して、今にも倒れそうなやつ放っておけないだろ。俺が鍛えなおしてやる。男は強くなきゃいけないんだ。じゃなきゃ大切な人を守ってやれないだろ』  恥ずかしげもなくサラッと言い放ち、たいして立派でもない自分の力瘤を見せると、精悍に笑ってみせた。  これまで他人がどうなろうと関係なかったし、自分がどう見られようと構わないと思っていたけど、自分と一緒に居る匠実まで気味悪がられることは避けようと努力してきた。  だから、人ならざるモノが見えていても、見えないふりをしたし、極力驚かないように素知らぬふりをした。  人ならざるモノの話をするのも止めた。  それは、これからも続く。  だから、『人ならざるモノが見える』ことを知らない甘楽に知られまいと、口ごもる俺を察してか、匠実が鼻で笑う。
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