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妻だった美月が一年目の結婚記念日に贈ってくれたものだった。なにも疑わず綺麗で優れた彼女だけしか見えていなかった頃の……。記念日の贈り物はこれが最初で最後。以後、少しずつ夫妻仲が冷えていった。
幸せだったといえば、確かに。幸せだった。
『なにも知らずに幸せ』というものほど、幸せなものはないと耀平は思っている。
どんな真実が隠れているかも分からず……。ひた隠しにして苦しんでくれている義妹がいたなど知らずに……。
彼女達の嘘。それに守られていたのだろうが、正直、知ってしまった今となっては屈辱でもあった。姉に騙され、妹に守られていただなんて。馬鹿な男であって、情けない男でしかない。
でも……。耀平はこの立派な万年筆を捨てずに愛用している。決して、妻を憎むためでもなく、騙された己への戒めでもなく。本当に『これだけが』、『夫妻だった証拠』のような気がして残している。
美月への未練でもなく、幸せだった頃を惜しむのではなく。『夫妻だった。航という息子を愛そうとした者同士』という証のために手元に置いている。
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