第二十四話 知ってしまった巫女(後編)

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第二十四話 知ってしまった巫女(後編)

     その言葉が耳に入ってきた時点で、アデリナ・オレイクは「信じてたのに!」と口にしたことを自覚する。無意識の発言だったが、その対象は、おそらく一つではないのだろう。  お姉様として信じていた、巫女長カルロータ・コロストラ。  この寺院のリーダーとして信じていた、僧官長モナクス・サントス。  嫌な態度もあったけれど、従者としては信じていたセルヴス・マガーニャ。  そして、立派な神託の巫女であると信じて、そのことに誇りを持っていた彼女自身……。  その全てに裏切られて、アデリナは今、足元がガラガラと崩壊していくような気分だった。  力が抜けてしまい、その場にペタリと座り込むアデリナだったが……。  それどころではなかった。  扉から跳び退()く際に立てた物音と、同時に発してしまった叫び声は、当然のように、部屋の中にも届いていたのだから。 ―――――――――――― 「何者だ!」  誰何(すいか)の声を上げると同時に、モナクスは、覆い被さっていたカルロータを両手で押しのけて、ベッドから飛び起きる。  カルロータとの会話に(ひた)っていたモナクスだが、廊下の物音と人の声は、きちんと耳に入ってきたのだ。  大きな歩幅で、部屋の扉へと歩み寄り、ガチャリと開ける。情婦と愛を交わした直後であり、外を歩ける格好ではないため、首だけを廊下に出して、左右を見回すと……。  視界に入ってきたのは、走り去っていく女の後ろ姿。  巫女たちの部屋が並ぶ方へ向かうのではなく、反対方向だ。あちらにあるのは、裏口のみ。つまり、この建物から出ていくつもりなのだろう。  後ろから見た巫女なんて、髪の長さが違うとはいえ、モナクスにとっては、どれも同じようなもの。それでも、何となく察することの出来た、あの者の正体は……。 「……アデリナじゃないかねえ?」  背中に投げかけられた呑気な声は、まるでモナクスの心の中を言い当てたような言葉だった。  バッと振り返ると、ベッドに座ったままのカルロータが、身づくろいを整えていた。  確かに裸のままでは何も出来ないのだが、それでも、ついモナクスは叱責してしまう。 「何を悠長なことをしておるのだ、カルロータ!」 「これでも、あたしは巫女長だからね。声を聞いただけで、誰だか見当はつくんだよ」  カルロータはモナクスの呼びかけを無視して、先ほどの自分の言葉を補足した。 「そんなことはどうでもいい!」  イライラした声で叫ぶモナクスに対して、カルロータは、ベッドの近くへ脱ぎ捨ててあった彼の衣服を投げて寄越す。  受け取ったモナクスは、急いでそれを着込みながら、彼女に命じた。 「カルロータ、支度が出来たのであれば、先に行け! アデリナを捕まえろ! すぐに私も追いかける!」 「はいはい。でも、あたし一人じゃ大したことは出来ないよ。だから、まずはセルヴスを叩き起こすとするかねえ?」  意外と冷静なカルロータだ。モナクスは、少しだけ彼女を見直した。  いつも魔法には疎いような顔をしているが、今現在のセルヴスの状況くらいは、きちんと把握しているらしい。探査魔法プロベーを使った直後は、魔力が空っぽになって数時間の睡眠を必要とするため、今ごろセルヴスはアデリナの部屋の天井裏に隠れたまま、そこで眠り込んでいるはずだった。 「うむ。ただし、二人で手分けして探すのだぞ。人手は多い方が良いからな」  話しているうちに服を着終わったモナクスは、すぐに部屋を出るのではなく、ベッドに歩み寄った。 「他人(ひと)のことは言えないねえ。あなただって、のんびりしてるじゃないか」 「必要な道具だ、これは!」  言いながら、ベッドの下に隠してあった物を取り出す。  それは、愛用の騎士剣だった。  小さい頃、伝説の勇者――特に魔剣使いだった勇者――に憧れて、剣士になりたかったモナクス。騎士ではなく勇者教の僧官となった今でも、勇者のように剣を振るいたいという気持ちは強い。個人的に時々、素振りをしているくらいだった。  モナクスが勇者教の中で上の地位を目指しているのも、その根底にあるのは、単純な出世欲だけではない。勇者を『神』とする宗教なのだから、勇者教のトップに立つということは、人間の中で最も勇者に近い位置へ行くということ……。そんな彼独自の考えが、大きく影響しているようだった。 「おい、カルロータ! まだ部屋にいたのか!」  腰のベルトに剣を差したモナクスは、呆れたような声をカルロータに向ける。 「ええ、そうですよ。女は身支度に時間がかかりますからね。ほら、ちょうど準備できました。これで、あなたと一緒に……」  戯言(ざれごと)を口にし始めたカルロータの尻を叩いて、 「ほら、行くぞ!」  モナクスは、アデリナを追って走り出すのだった。  裏口へ向かうモナクスと、アデリナの部屋へ行こうとするカルロータは、廊下に出たところで正反対の方向へ分かれる形になった。  もはやアデリナの姿は見えないが、それでもモナクスは、彼女を探して走る。  一人になったことで、モナクスは気づいた。イライラした感情をカルロータにぶつけてしまったが、本当は自分自身に対して腹を立てていたのだろう、ということに。  そう。  さんざんカルロータに向かって「お前は迂闊だ」と言ってきたのに、今夜はモナクス自身も『迂闊』だったのだ。  事後の甘く気だるい雰囲気の中で、二人で繰り広げていたピロートーク。改めて考えるまでもなく、一般的な『ピロートーク』とは程遠い、殺伐とした内容だったが……。  カルロータだけではなく、モナクスも一緒になって喋っていたのだ。他人に聞かれたら困る話だったのに。  それこそ、娯楽小説や大衆演劇の中で、倒される間際の悪役が語る真相のようなものだった。  しかし、自分たちはフィクションの悪役とは違う。これまでも、きちんと相手の口を封じることで、問題の種は刈り取ってきたのだ。 「セルヴスに言わせれば、アデリナは『神託の巫女』として好素材。懐柔できれば良いのだが、おそらく、始末することになるだろうな」  内心、複雑な思いを込めながら。  モナクスは、騎士剣の柄に、そっと手を触れるのだった。 ――――――――――――  アデリナは走っていた。  夜の闇の中を、一目散に駆けていた。 「私……。どうしたら……」  どこへ行く、という当てがあるわけではなかった。ただカルロータやモナクスから離れたい一心で、寺院を飛び出してしまったのだ。  冷静に考えるならば、あの時。裏口へと走り出すのではなく、巫女たちの部屋へ行き、皆を叩き起こして真相を告げて回るべきだったのかもしれないが……。 「いいえ、それは愚策でしょうね。きっと信じてもらえないわ」  自分の考えを否定する言葉が、自然に口から飛び出す。  巫女長も僧官長も、あの寺院では、皆から尊敬され信頼されている。アデリナ自身、つい先ほどまでは、その『皆』の一人だったのだ。自分で直接、見たり聞いたりしなければ、カルロータやモナクスに対する気持ちが反転することは、絶対になかっただろう。 「口で言っても伝わらないなら……。どうしたら、信じてもらえるかしら……」  寺院の人々は味方になってはくれない、という状況に陥ったようだ。しかしアデリナにとっては、あの寺院が生活の全てだった。他には、知り合いすらおらず……。 「そうだわ! あの占い屋さん!」  ここでアデリナは、ゲルエイ・ドゥのことを思い浮かべるのだった。  もはや『神託』は魔法による紛い物だったと判明したが、たとえ魔法によって見せられたものであっても、先日の夢は本当に勇者様の世界だったはず。アデリナは、今でもそう信じている。  そんな不思議な夢に関して、見事に占ってみせた、ゲルエイの手腕。  昨日の南中央広場でもアデリナは感心したが、今日になってゲルエイが(みやこ)ケンを連れてきたことで、さらに高く評価するようになっていた。昨日の今日で、ケンのような少年を探し出せたのだから……。 「今度の問題は、もちろん占い屋さん一人では、どうにも出来ないでしょう。でも、広く人々の相談に乗る彼女ならば、知恵も人脈もありそうだから……」  ゲルエイに話を持ちかけることが、今のアデリナにとっては最善手であり、むしろ他には選択肢がないようにも思えてくる。 「彼女の人脈を使えば、ひょっとしたら……。この私の気持ちだけでなく、殺された先輩たちの悲しみまで癒すことが出来るかも……」  かつて『神託の巫女』として葬られてきた先代たちにまで、思いを馳せたところで。  アデリナは、ふと立ち止まった。 「そういえば……。ここって、どこかしら?」  今までは闇雲に走り回っていたが、ようやく、少し方針が決まったのだ。  ゲルエイの家をアデリナは知らないし、朝になるまで南中央広場にゲルエイは来ないだろうが、そもそも自分の現在地がわからないようでは、その南中央広場へ行くことすら出来やしない。  当たり前だが、こんな時間に外を出歩いたことはないので、もしもここがアデリナの知っている場所だとしても、昼間とは見え方が全く違うだろう。それは理解した上で、周囲を見回す。  どうやら住宅街ではなく、大きな店が建ち並ぶ区域らしい。どこの店でも夜になれば、働いている人々は家に帰ってしまうので、建物の中には誰もいないようだった。ちょうどアデリナの右側には、もたれかかるのに都合がいい白壁の商家があるのだが、壁の向こう側に人の気配は全く感じなかった。 「この白い壁のお店……。暗くてわかりにくいけど、見覚えがあるような気も……」  店の方へと体を向けて、正面から見ながら、頭の中の記憶を検索し始めた時。  それが聞こえてきた。 「ようやく見つけましたぜ、アデリナ様」  背中からの声に、ハッとして振り返ると……。  道の真ん中、お店一つ分くらい離れたところに立っていたのは、顔も見たくない男。  坊主頭の小柄な僧官、セルヴスだった。    
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