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第一話 まぼろしの巫女
十二月初旬の日本。
クリスマスに向けて、早くも都内の街並みが、赤や緑の飾り付けと光り輝くイルミネーションに彩られてきた頃。
私立高校の二年生である京ケンは、帰りの電車を、最寄駅の一つ手前で降りていた。
ケンが現在の高校を選んだ理由の一つが、電車一本で通えるという点だった。
家の近くの駅は、都会にしては小さく、ホームが一つしかない。もちろん単線ではなく、複線用の島式ホームだが、一つ隣の駅が大きな乗り換え駅であることを思えば、やはり「小さい」と感じてしまう。
隣駅では、いくつもの路線や鉄道会社が乗り入れているので、いつも大量の乗り降りがあった。車内の乗客の大半を入れ替える勢いなので、学校へ行く朝は、そこで確実に座れることになり、また帰りには、途中下車して遊ぶことが多かった。都内の大きな乗り換え駅は、当然のように、駅周辺が充実した繁華街となっているからだ。
いつもは一人で『途中下車』することが多いのだが、
「さあ行くぞ、キョウ!」
「打ち上げみたいなもんだからな」
「たっぷり遊ぶぜ!」
口々に騒ぐ学友たちが、今日は一緒だった。
単なる同級生ではない。ケンの名字『京』を『キョウ』と読んで愛称にするような、親しい友人ばかりだった。
ここは駅前も栄えているが、十五分か二十分くらい歩いた場所にも、大きなレジャースポットがある。かつては日本一の高さを誇っていたという高層ビルを中心に、水族館やプラネタリウムなどが設置されているのだ。
ただし、それらは親子連れや恋人同士で楽しむところであり、ケンたちのように、男子校の生徒だけで遊びに行く場所ではない。いや「ない」と断言できるかどうかは不明だが、少なくともケンは、そう考えていた。
ケンが現在、仲間と一緒に向かっているのは、高層ビルの区画ではなく、その手前にある建物。ボウリング、カラオケ、ビリヤード、ゲームコーナー、バッティングセンターなどの揃った、手頃な値段で遊べるアミューズメント施設だ。
加えて。
そこへ向かう途中の歩道では……。
「おっ、今日も可愛い娘が歩いてるぞ」
「お前の言っているのは、ピンクのコートを羽織った眼鏡っ娘のことか? 確かに顔は悪くないし、アンダーリムの眼鏡も評価するが、でも服装のセンスが……」
「おい、あれ。上着もそうだが、内側の小豆色のワンピースも酷いぞ。合わせると、まるでアニメのロボットみたいな配色で……。まさか、コスプレか?」
「二人とも、わかってないなあ。なんでロボットって発想になるんだよ。あれは『赤系統でまとめている』というオシャレだろ? ああいう地味な娘のオシャレこそ、ポイント高いのであって……」
「なあ、おい。俺たち、二ヶ月ほど前にも、似たような会話してないか?」
道ゆく人々を見て、友人たちがワイワイ盛り上がっているように。
ここは、若い女性の往来が妙に激しい通りでもあった。
ちょうど例の高層ビルの近くに、女性向けの店が集まる場所があるからだ。ただし『女性向け』といっても、一般的な服屋やアクセサリーショップとは違う。世間では「オタク」と呼ばれるような、特定の女性がターゲットの店だった。
当然、近辺を歩くのも、内向的で地味な娘たちが多くなるのだが……。だからこそ逆に、一部の男性の好みには、まさにストライクとなるらしい。ケンの友人たちの中にも、そういう嗜好の者は多かった。だが積極的に声をかけに行く気はなく、ただ遠巻きに眺めるだけ。
これをケンは「男子校に通う自分たちにとっての、目の保養」と認識していた。
「二ヶ月ほど前、か……」
友人の言葉を繰り返すように、しみじみと呟くケン。
確かに二ヶ月ほど前、やはり同じメンバーで、この辺りで遊んだのを覚えている。定期テストが終わった日には街に繰り出す、というのがケンたちの恒例行事であり、十月には二学期の中間テストがあったからだ。
友人が口にした『二ヶ月ほど前』というのも、その意味のはず。だがケンにしてみれば、ちょうどその頃、少し悲しい出来事もあった。だから、つい、そちらの方を思い浮かべてしまい……。
「いやいや。それにしても……」
軽く首を振って、苦い思い出を頭から追い出す。
「中間から二ヶ月で、もう期末テスト。まだ十二月に入ったばかりなのに……」
無理やり思考を捻じ曲げて、つまらないことを考えてみる。
期末テストという名称なのだから、本来は二学期の最後に行われるべきだが、まだ少し二学期は残っている。少し歪なスケジュールに思えるが、自分たちの高校が特殊なのだろうか。私立の男子校だからであって、公立の共学高校だったら、クリスマス直前に期末テストがあるのだろうか。
「それはそれで嫌だなあ」
勝手に想像した日程に対して、自分で苦笑いする。そんなケンに対して、前を歩く友人が振り返り、声をかけてきた。
「どうした、キョウ。そんなに暗い顔をして……。ほら、周りを見てみろよ。見てるだけでパーッと気持ちが華やかになるような、可愛い娘がいっぱいだぞ?」
「いや『いっぱい』は言い過ぎだろ」
と返しながら。
一応はアドバイスに従って、周囲を見回す。
先ほど話題にされていた眼鏡の少女は、少し猫背で、スタスタと足早に歩いていた。ケンの目には、あまり魅力的とは映らない。
しかし。
その娘の向こう側、交差点の真ん中辺り。
ボーッと突っ立っている一人の少女が、ケンの目を引いた。
年齢は、ケンたちと同じくらいだろう。鼻筋の通った美しい顔立ちであり、長い黒髪を後ろで束ねている。
袖口の広い、ゆったりとした白いブラウス。ボタンもファスナーもなく、浴衣や柔道着を帯でまとめるように、それを腰高のスカートのベルトで留めているようだ。鮮やかな朱色のスカートは裾も長く、襞のある形状。いわゆるプリーツスカートだが、むしろ袴というイメージに近いかもしれない、とケンは思った。
「袴……」
ふと、呟くケン。
上半身が着物っぽい白で、下半身が赤い袴。しかも真冬だというのに上着も羽織っていないのだから、まるで正月の神社で見かける巫女の姿ではないか。
ジーッと眺めていたら、彼女もケンの方を向いたので、目が合ってしまった。口の動きから判断すると「あら!」と呟いたようにも見える。
少し気恥ずかしく感じるケンだが、ちょうどこのタイミングで、友人の一人が話しかけてきた。
「ん? 何か言ったか、キョウ?」
「いや、別に……。ほら、あの巫女っぽい女の子。ちょっと可愛いかな、と思って」
そう答えながら、ケンの頭に「なぜ都会の真ん中に巫女姿の少女が?」という疑問が浮かぶ。
「なんだろうな、あの格好。コスプレのイベントでもあるのかな?」
オタク系の女の子が集まる店が近くにあるので、真っ先に想像したのが、それだった。
しかし。
「はあ? 巫女っぽい女の子?」
「どこだ? 巫女娘なら俺の大好物だから、一番に視界へ飛び込んで来るはずだが……」
「どうした、キョウ。白昼夢でも見たのか?」
友人たちの反応がおかしい。
「え? みんなには、あれが見えない……?」
と、キョウは『巫女』を指差してみるが。
「おいおい、まだ言い張るつもりか?」
「あちゃあ。理想のタイプなのか何なのか知らんが、ついに女のまぼろしを見るようになったか……」
「ひょっとして、キョウだけに見える幽霊とか……?」
冗談口調で、面白そうに騒ぎ始める友人たち。
これは話を合わせた方が良さそうだ。そう考えて、ケンは誤魔化す。
「ああ、ごめん。よく見たら、違ったよ。赤い看板の前を通った白い服の人が、そう見えただけで……」
「どうせ、そんなことだろうと思った」
「こんな真っ昼間に、幽霊が出るわけないもんな」
一通りケンを茶化すと、この話は終わりになった。
実際。
友人たちと話すために、少し視線を逸らしている間に。
問題の少女は、姿を消していた。
それこそ、まぼろしか幽霊か、といった感じだ。
もちろん、普通に考えるならば、幽霊なんて存在するわけがない。
しかし、この世の中には、常識や科学では説明できない現象もあるのだ。
ケンは、それをよく知っている。なにしろケン自身が、異世界召喚という非常識な出来事を、何度も体験しているのだから。
「もしかすると……」
友人たちと共に歩きながら、最後に一瞬だけ振り返って、少女が立っていた場所に視線を送る。
「あの娘も、ピペタおじさんやゲルエイさんの世界と、何か関係あるのかな?」
周りには聞こえないくらいの小声で、そっとケンは、自分自身に問いかけるのだった。
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