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第一話 闇夜の襲撃
厚い雲に遮られて、星も月も見えない空の下。
ピペタ・ピペトは、上司であるウォルシュ大隊長と二人で、夜の大通りを歩いていた。
この辺りの商家は、どこも営業時間を終了しており、もう店の灯りが外へ漏れてくることはなかった。それでも完全な真っ暗闇にならないのは、通りの両側にある街灯のおかげなのだろう。街路樹と交互に並ぶ形で、魔法灯が設置されているのだ。
「うぅ……。気持ち悪い……」
「ウォルシュ大隊長、大丈夫ですか?」
隣で背中を丸める上司に対して、一応は気遣うような言葉をかけるピペタ。だが内心では「自業自得ではないか」とも考えていた。
そもそも、ピペタとウォルシュが参加していたのは、都市警備騎士団の会合だ。真面目なミーティングであり、遊興目的の宴会ではなかった。喉を潤す程度のワインは出されたものの、そこで飲み過ぎて気分が悪くなるというのは、騎士としてあるまじき振る舞いに思えたのだ。
「うむ。吐き気がする、というほどではないぞ」
と、口では言っているが。
どう見ても、今にも戻しそうな酔っ払いの顔色だった。あまりウォルシュは感情を顔に出さない、と言われているだけに、珍しい見世物を目にしたようにピペタは感じてしまう。
「とはいえ、こんなところを暴漢に襲われたら、ひとたまりもないだろうな。ピペタ小隊長、しっかり私を守ってくれよ」
「わかっております。そのために、私が同行しているのですから」
今夜の会合は大隊長たちの集まりであり、本来ならば、ピペタが出席するのは場違いだった。副官として中隊長を連れて行く大隊長もいるのだが、あくまでも『中隊長』に限った話。小隊長であるピペタは、同伴者として相応しくなかったのだ。
それでもピペタが来たのは、ウォルシュ警護という役割を与えられたためなのだが……。
実際、他の出席者たちから「何故お前がいる?」という目を向けられていたようだ。特に、東部大隊の者たちの視線が冷たかった。
ただし後者に関しては、まあ東部の連中の印象が悪いのは仕方ない、という諦めに似た気持ちもある。
三ヶ月ほど前、ピペタの小隊が彼らに代わって、東部区域にある貴族の屋敷を警護したのだが……。任務に失敗して、屋敷の住人は皆殺しという結果に終わったのだから。
あの時は、上司であるウォルシュからも「いくら強い剣が振るえても、その剣で敵を倒すのが得意なだけで、その剣で敵から人を守るのは苦手ということかね?」と嫌味を言われたものだった。
それを思い出してみると、ウォルシュの警護役に指名されたのは、なんと皮肉なことか……。
内心の思いを隠したまま、ピペタは、ウォルシュを安心させようとする。
「心配する必要はありません、ウォルシュ大隊長。星明かりも月明かりも見えないものの、真っ暗というわけではないですからな。その上……」
わざとらしく、ぐるりと周囲を見回すピペタ。
「夜とはいえ、ここは大通り。まだ人の往来もあります。こんな場所に、襲撃者は現れないでしょう」
「確かに、普通に考えれば、無人の暗闇こそ襲撃ポイントになるだろう。しかし我々の常識が、犯罪者に通じるとも思えんからなあ」
そうは言いながらも、ウォルシュはピペタに釣られるように、彼自身の目で、周りに人が歩いているのを確かめている。
続いてピペタも、今度はパフォーマンス的な意味ではなく、改めて通りの往来に注意を向けた。
同じ大通りを、反対側から歩いてくる人影が一つ。腰回りも背丈もある、大柄な男だ。
ピペタとウォルシュの後ろからも、誰かが歩く音が聞こえていた。こちらは、足音から判断する限り、小柄な人間だろう。
もしも本当にウォルシュが襲われるとしたら、こうした潜在的な目撃者が消え去ってからになりそうだが……。
「ウォルシュ大隊長、失礼!」
ピペタは突然、右手に見える商家の方へと、ウォルシュを突き飛ばした。
「な、何をする……?」
「そこの店の物陰に隠れていてください、ウォルシュ大隊長。あなたの予感が当たりましたので」
ピペタは気づいたのだ。前方から来る巨漢が、強烈な殺気を発し始めたことに。
立ち止まったピペタは、腰から引き抜いた騎士剣を構えながら、大柄な男を見据える。
しかし、
「……などと、私が騙されるとでも思ったか!」
くるりと反転。体を回した勢いも乗せて、素早く斜めに斬り上げた。
キンという金属音と共に彼が弾き飛ばしたのは、大ぶりなナイフ。後ろから、小柄な男が斬りつけてきたものだった。
「けっ! 街の警吏のくせに、案外、鋭いじゃねえか!」
背丈は子供くらいだが、吐き捨てた声は、明らかに大人のもの。青年というより、むしろ中年のように聞こえる響きだ。
「私が鋭いのではない。お前たちが間抜けなのだよ、ゴロツキども」
ピペタは、敢えて挑発的な文句を言い放った。
あからさまに殺気を放つ大男は囮であり、背後から迫る小柄な男の方が本命。それをピペタが悟ったのは、後ろからの物音が急に消えたせいだった。
もちろん、わざわざ反対側に陽動を配したくらいだから、気配を隠して接近するのは必然。だが同時に足音まで消したのは、大きな間違いだろう。
かといって、音を立てたら、小走りに近づくのがバレてしまうから……。
おそらく正解は、最初から足音も立てずに、完全なステルス状態で忍び寄ること。今回のように、無害な街の住民が歩いている、という演技を取り入れた時点で、もう悪漢たちのプランは失敗していたのだ。
「チッ!」
最初の一撃を仕損じたことで、小柄な男は舌打ちしながら、大きく後方へジャンプ。ピペタを警戒して、距離を取った。
「ふむ」
瞬時に状況を判断するピペタ。
この小柄な男は、またすぐに距離を詰めてくるだろうが、ならばこそ今のうちに……。
ピペタは再度反転して、さらに一歩踏み込んで、大男の方に斬りつける。そちらも見え見えの殺気は消しており、それどころか、いつのまにか剣の届く距離まで近づいていた。
ピペタとしては、敵の行動を予測して、不意打ちを仕掛けたつもりだったが……。
「フンッ!」
鼻息も荒く、巨漢はピペタの攻撃を受け止めていた。どこに隠し持っていたのか、巨大なハンマーを手にしていたのだ。
「……いや、隠していたにしては大き過ぎる。ならば魔法武器か? 魔力を流し込んでサイズを変える武器がある、というくらいは、私でも聞いたことがあるぞ」
いつもの癖で、考え事を口に出すピペタ。
これで「見抜かれた」と思ったのか、あるいは、秘密裏に接近するのが失敗したからなのか。理由はともあれ、大男も先ほどの小柄な男と同じように、大きく後ろへ跳び退いた。
それを見届けて、ピペタも体の向きを変える。
ただし、今度は『反転』ではない。自分の背中でウォルシュをかばいながら、右側から来る大男にも左からの小柄な男にも対処できるような体勢だ。
「とはいえ……。同時に挟撃されたら、少々厄介かもしれんが……」
と、若干の焦燥感が、ピペタの口から漏れた時。
右からでも左からでもない声が、その場に響き渡った。
「手強い護衛のようだ! そいつを先に全力で倒す!」
「もう一人いたのか!」
目を丸くしながらも、ピペタは、しっかりと状況を見極める。
聞こえてきたのは、通りの反対側からだった。今のピペタにとっては、正面から、ということになる。
よく見れば確かに、一つの商店の軒下に、細身の男が隠れるようにして立っていた。顔まで覆う黒装束で、夜の闇に紛れている。
なるほど、最初の二人とは違って『無害な街の住民』を装っていない以上、完全な暗殺者スタイルで構わないのだろう。
「つまり……。挟み撃ちどころか、三方からの同時攻撃を食らうわけか」
さすがに苦戦しそうだ。ピペタの額に、冷や汗が浮かぶ。
これだけの敵に襲われたわけだから、ウォルシュの心配は、杞憂ではなかったらしい。
そう考えると同時に。
この護衛を頼まれた今朝のことを、ピペタは、チラッと思い浮かべるのだった。
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