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ペンギンが飛んだ日
気がつくと僕はペンギンだった。
丸い瞳に大きな嘴、白くぽってりした腹。体のわりに短い小さな足で前に進めば短い尾が左右に揺れる。
その姿はどう見てもペンギンで、ペンギン以外の何者でもない。
僕が知っている限り僕がペンギンでないときはなかった。
僕はずっとペンギンで僕が知る限りのペンギンであった時間を空を見上げて過ごしている。
澄んだ青い空は地平の彼方まで続き、鳥の群れが川の流れのように蛇行する筋を引き、草に覆われた緑の大地に影を落として流れていく。それはまるで揺れ動く水面を水底から見上げたときに腰をくねらせて泳いで行く魚群を眺めているようでとても不思議な気分になった。
気まぐれに空へと短い手を伸ばしてみても届くことはない。彼らはずっと上にいる。それが改めて判るとひどく悲しくて項垂れてしまう。
でも、もしかしたら。その思いから短い両翼を広げて羽ばたく真似をしてみる。だけど体が浮かび上がることはなかった。当たり前だ。僕はペンギンなのだから。無理矢理に笑っても悔しくて、虚しくていつの間にかため息がこぼれた。
あるとき、いつもと同じように過ぎて行く鳥たちを見上げていると群れの中から大きな一羽が僕の前に降りてきた。
鋭くも優しい黄金色をした瞳は僕を穏やかに見つめ、薄墨色の大きな翼で羽ばたきながらゆっくりと地面に降りた。
「こんにちは」
歌うような声はとても澄んでいた。僕の低く嗄れた音とはまるで違う。
「君はいつもわたしたちを見ているよね」
こうやってさ。鳥は嘴を空に向けて目を細めた。鳥の嘴の上を無数の影が過ぎる。
「君は来ないの? 一緒に飛ぼうよ」
僕は目を伏せ首を横に振る。
「どうして?」
鳥が小首を傾げる。
鳥は僕がペンギンだと――飛ぶことが出来ないと知っていて言っているのだろうか?
「ねぇ、空をよく見てよ」
鳥はおもむろに空を見上げた。眩しい陽射しに鳥の金色の瞳がきらりきらりと輝く。僕も鳥にならい空を見上げた。
僕たちに影を落として無数の鳥たちが飛んでいく。
鳥は鋭く風が鳴くように空に向かって強く声を上げた。すると飛んでいる鳥たちからいくつも声が返ってきた。太く、大きな短い声。僕は目をさらに丸くして息を飲む。
その声を知っていた。真上を過ぎて行くそいつらは僕と同じペンギンだった。大きな腹が重たげでゆらゆらとひどく不恰好な飛び方だった。
ペンギンだけではない。ダチョウやニワトリ、他にも僕が名前を知らない鳥がたくさん飛んでいた。
ダチョウは長い足を垂らしながら大きな羽をバサリバサリと動かしている。ニワトリは忙しなく羽ばたきそれに合わせるように頭のてっぺんにある赤い色が揺れていた。
不安定な飛び方。見ている僕が心配してしまうようなぎこちない飛び方だった。それでも彼らは飛んでいる。飛び続けていた。
「飛べるのは立派な翼を持っているやつじゃないんだよ。そんなのがいくらあってもだめなんだ」
鳥は真直ぐ僕を見ている。僕はその黄金色の瞳を見つめた。黄金色に引き込まれ目を反らすことができない。
「君みたいにどこかで諦めているやつはいつまでたっても絶対に飛べない。ねえもっと自分を信じて。飛べるのは立派な翼を持っているやつじゃない。必要なのはもっと大切で、簡単なもの。君にだってそれはあるんだよ」
行こう。そうして鳥は繰り返す。君にだってそれはある。
鳥が羽ばたく。僕が飛んでくるのを待つようにゆっくりと上昇していく。
僕は空を、鳥を、飛んでいくペンギンたちを見上げる。
そして短い翼を目一杯広げ、羽ばたいた。
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