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私と共に死にましょう。
***
「夢乃、俺とずっと一緒にいてくれない?」大好きな人の声がした。うん、いいよ。私とずっと一緒にいて。ずっと。夢の中だと分かるその世界で、私と琉唯は一緒にいる。現実でもそうじゃないといけない。私と琉唯は愛し合う運命なのだから。引き離されるなんてありえない。一緒にいられないなんてありえない。私たちは死んでからもずっと愛し合う関係なのだから。相思相愛。それ以外は絶対に許さない。絶対に。現実で共に過ごすことを批判されるのなら、共に死ぬしかない。死後の世界で、誰にも邪魔されない日々を送ろう。だから、今度は一緒に死のう、琉唯。私は琉唯を永遠に愛しているから。琉唯も私のことを愛してると言ってくれたから。
ゆっくりと意識が覚醒した。ぼんやりとした頭でもここが病院だということが分かった私は、取り憑かれたように上体を起こしてベッドから降りた。病室には誰もいない。誰も私が目覚めることを待っていなかった。望んでいなかった。自分の両親すらも。でもそれは私にとって都合がいい。少しお腹が痛むのも気にせずに、私は病室を出て琉唯を探した。夢の中にまで出てきた私の愛しい人。そこで自分とずっと一緒にいてほしいと宣言してくれた人。早く琉唯と一緒に誰にも邪魔されない場所に行きたい。早く、早く。琉唯はどこだ。私の琉唯はどこにいる。
一つ一つの病室を虱潰しに調べ、私は病院を彷徨った。どこにいる。もしかしてここにはいないのか。私を警戒してどこか別の病院に運ばれたのか。ふざけるな。私と琉唯を引き離そうとする奴は誰であろうと許さない。殺してやる。病院の壁を殴ると、近くを通りかかった看護師に注意された。それすらも私をイライラさせる。琉唯。琉唯。どこにいるんだ。琉唯がいないと落ち着かない。自分のものにしておかないと落ち着かない。イライラする。「琉唯、琉唯」私の琉唯は一体どこにいる。完全に冷静さをなくしてしまっている私は、気づけば発狂するように琉唯の名前を叫んでいた。看護師が私を落ち着かせようと声をかけているのをどこか遠くの方で聞きながら、私は頭を抱えて琉唯のことだけを思っていた。
視線を常に彷徨わせ、自分に迷惑そうな眼差しを向ける奴らを無視して私は琉唯を探し続けた。琉唯がいる病室はどこだ。あそこでもないここでもない、彼奴でもない此奴でもないと選別していたその時、私の目の前に自分の両親が立ちはだかった。父親は怒ったような表情で、母親は涙を流して悲しそうな表情で私を見ていた。違う。私が会いたいのはお前らじゃない。琉唯だ。私の前を塞ぐ両親の脇を通り過ぎようとしたけど、父親に腕を掴まれて行く手を阻まれてしまった。「夢乃、お前はしばらく彼に会うのは禁止だ」うるさい。黙ってろ。誰に何と言われようと、琉唯は私のものだ。琉唯と会うことを制限される筋合いなんてどこにもない。「琉唯、今すぐ会いに行くよ」一緒に死のう。私たちの関係を邪魔する奴らから逃れるために。私は父親の腕を力任せに振り払い、琉唯の名前を繰り返し呼びながら彼を探し求めた。
「夢乃、夢乃」もうやめて。母親が涙で震えた声を上げたけど、私は一切振り向かずに突き進んだ。するとまた強く腕を掴まれ、私はズルズルと来た道を戻されてしまった。それが父親だと分かって振り払おうとしても、さっきよりも力が強くてできなかった。離して。離せ。「離せ離せ離せ」狂ったように叫んで、狂ったように琉唯を呼んだ。このまま会えないなんて嫌だ。私は琉唯と一緒に死ぬ。それでもう私たちは誰にも邪魔されない。2人だけの世界に行けるんだ。2人だけの世界に、私は行きたい。周りに受け入れてもらえない関係なら、一緒に逃げるしかないから。自分の気持ちが間違っていることに気づかない私は、父親に対して必死に抵抗し続けた。それでも本気を出した大人の男に敵うはずもなくて、私は専ら引っ張られるだけだった。嫌だ。離せ。私は琉唯に会いたいんだ。琉唯と一緒に死にたいんだ。あの世に行ってまた琉唯を愛したいんだ。「琉唯、一緒に死のう」このまま引き離されるくらいなら。私は琉唯がいないと生きていけない。本当は琉唯にそう思わせるつもりだったのに、気づけば私自身がそう思うようになってしまっていた。
「夢乃、目を覚ませ」懇願するような父親の声が聞こえてくる。私はその声を搔き消すように琉唯の名前を叫び、病院内を混沌とさせていた。琉唯は私の下僕だ。私に従順な犬だ。叫んでいれば彼の耳に届いて、必ずや来てくれる。夢乃、悪い、遅くなった。そうやって申し訳なさそうな顔をして駆けつけてきてくれる。愛してると言ってくれたあの時のように、自然な立ち振る舞いで。だから、早く来て、琉唯。私の声を無視するのは絶対に許さないから。
だけど、どれだけ叫んでも琉唯は一向に来てくれなかった。イライラする。焦らしプレイは嫌いなのに。こうなったら私が意地でも会いに行ってやるから。琉唯を見つけたらたくさんキスして、ゆっくりと息の根を止めるつもりだ。それから私も琉唯の後を追うようにして自殺する。これで一生一緒にいられるんだ。そしたら世間では心中だと言われる可能性だってある。それを想像しただけで興奮してしまい、早く実現したい衝動に駆られた。心中だなんて最高の結末じゃないか。私は心の中で舌舐めずりをした。
琉唯と一緒に死ぬためには、まずは自分の腕を掴んでいる父親の手をどうにかしなければならなかった。一瞬の隙をついて突き飛ばしてやりたいけど、父親はなかなかを隙を見せてくれない。私を病院から連れ出して琉唯と会わせないように牽制しようとしているのが酷くムカつく。側で涙を流している母親もムカつく。胸糞悪い。不愉快だ。やっぱり私の気持ちを落ち着かせるのは、満足させるのは、私に従順になっている琉唯や苦しんでいる琉唯だけだ。それ以外は私を不快にさせるものでしかない。私と琉唯の間で繋がれている赤い糸を引き千切ろうとしている邪魔者。排除すべき人間。私の両親も周りにいる奴らも全員。邪魔だ。いらない。
私は顔を伏せ、自分の所業に気づいて反省しているふりを装った。父親が私の名前を呼び、腕を掴む手の力が少しだけ抜けた。その一瞬を狙って、私は再び力任せにその手を振り払った。父親が目を見開く。私は我慢できずに口角を吊り上げ、琉唯がいる病室を全力で探した。もう父親の声は聞こえない。あとは琉唯を見つけて一緒に死ぬだけ。琉唯は一体どこにいるのだろう。私は他人の迷惑も顧みずに病室の扉を乱暴に開け放った。琉唯じゃないと分かれば乱暴に閉める。これじゃあ病院なのに出禁を食らわされてしまう気がした。だけどもうそんなことなどどうでもいい。
死に物狂いで探し、ようやく琉唯がいる病室を見つけた。それは自分が寝ていた病室とは真逆の位置にあった。やっぱり私のことを警戒していたんだ。許せない。何奴も此奴も私から琉唯を引き離そうとしやがって。心の中で短く舌打ちをするけど、まだ目覚めていない様子の琉唯の姿を目にしてしまえば、そんな邪険など瞬時に吹き飛んでしまった。綺麗すぎる琉唯の寝顔を久しぶりに見て、私はドキドキと胸が高鳴った。今すぐキスしたい。乱暴で貪欲なキスをしたい。その唇を貪りたい。その首筋に噛みつきたい。そうやって、愛しい琉唯をとことん傷つけたい。じっくりと甚振って、ゆっくりと死の世界へと誘ってやりたい。
相変わらず恍惚とした感情を抱いてしまった私は、寝ている琉唯に顔を近づけて唇を重ねようとした。だけどそれを止めたのは。「何してるの」震えたような声を上げた女だった。私は緩慢な動作で振り返り、その女を注視する。どこかで見たことがあるその顔は、琉唯の母親だった。その人は青ざめた顔で私に近づき、私を琉唯から引き離そうとした。「もう琉唯に触らないで」近づかないで。必死の形相で訴える琉唯の母親を私は突き飛ばし、何も知らずに静かに寝ている彼を抱き締めた。「琉唯は私のもの」これからたくさん愛して死ぬんだから邪魔するな。たとえそれが好きな人の親であっても、私と琉唯の関係を否認するなら邪魔者とみなすから。消えろ。私は心の中で中指を突き立ててやった。
目覚めることを拒否しているみたいに、静かに呼吸を繰り返している琉唯の頬を優しく撫でると、それに反応してくれたかのように琉唯の瞼がゆっくりと開かれた。ぼんやりとしているような琉唯と目が合う。「おはよう、琉唯」待ってたよ。微笑んで、今度は髪を撫でる。すると、琉唯の火傷で赤くなった手が伸びてきて、そっと私の首を掴んできた。熱い手のひら。なんだ、琉唯も同じ気持ちだったのか。私と死にたいと思ってくれている。だから、私の首を絞めている。やっぱり私と琉唯は運命の赤い糸で繋がれていて、相思相愛の関係なんだ。とても嬉しい。一緒に死ぬことをお互いに望んでいることが。
琉唯の手に力が込められた。私は息苦しさを感じながらも、嬉しさで顔が綻んでしまった。それから私も、琉唯と同じように彼の首を両手で絞めた。その異様な光景に慌てふためているのは琉唯の母親だった。自分の息子が目覚めた直後に他人の首を絞めて、その息子に首を絞められている女が息子の首を絞め返しているのだ。混乱しないわけがないだろう。琉唯の母親は自分の息子と私の行動を止めようと何やら声をかけ始めたけど、私の耳にも琉唯の耳にもそれは届いていなかった。今はその声がただの雑音に聞こえる。
お互いに殺意を丸出しにして首を絞め合い続け、最初に私の意識が朦朧とし始めた時、私と琉唯は誰かの手によって引き離されていた。その反動で私は床に尻餅をつき、激しく呼吸を繰り返しながら顔を上げた。そこには琉唯の父親がいた。その人は私を見てから琉唯に視線を向けて。「琉唯、何があっても女の子に手を出したらいけない」私を責めるでもなく、至って義務的にそう告げた。その言葉で私は全てを察した。琉唯は父親にそう教えられ続けて成長していったのだろう。だからこそ、私が何をしても絶対にやり返してくることはなくて、必死に我慢していたんだ。とても真摯。真面目。素直。だけどそういうところも最高に好きだと思えた。真面目な琉唯は自分の父親の教えに縛られた上に、私の好意にも縛られてしまった可哀想な人。その雁字搦めになった心や体を私がゆっくりと解いてあげる。全ての感情を捨て去るように、一緒に死んでしまえば楽になる。父親からの心理的な呪縛からも解放される。私は呼吸を落ち着かせながら、口の端から垂れそうになる唾液を飲み込んだのだった。
私は琉唯から徹底的に引き離された。学校から長期間の謹慎処分を食らってしまい、琉唯と会うことを制限されてしまったのだ。琉唯は気持ちが落ち着くまでは自由登校なのか、制服を着ている日やそうではない日とがあった。もちろん私がそれを知っているのは、周囲の目を掻い潜って琉唯の後を追いかけ回しているから。学校に行かなくていいのは私にとって好都合だった。ずっと家にいるつもりなんてさらさらないし、両親が私の行動を監視し続けることもできない。そうやって私に課した謹慎処分が裏目に出ていることに、馬鹿な大人たちは気づいているのだろうか。私と琉唯を引き離そうたって、絶対にそうはさせないから。一緒に死ぬその日まで、私は琉唯を諦めない。
最近の琉唯は気性が荒かった。常にイライラしている様子で物や人に当たっているのだ。短く舌打ちをするような仕草をして力任せにガードレールを足の裏で蹴ったり、夜中にほっつき歩いて偶然見つけたガラの悪い不良を殴り倒したり。喧嘩をして口の端から血を流したその姿は、自ら舌を噛んで流したそれとは全くの別物で、私の手ではないにしてもそんな風に傷を負った琉唯を見るのはとても心地よかった。私に従順だった琉唯の姿は日に日に薄れていっていて、そこには不良の名にふさわしい男子高校生がいるだけだった。そんな琉唯の新たな一面を見た私は、恐怖を感じることなんて一切なくて、寧ろもっともっと好きになった。傷ついた姿を見たい。豹変した琉唯をまた手懐けたい。どんなに気性が荒くなってしまっても、未だ嘗て女に暴力を振るった姿は見ていないから、何をしてもやり返してくることなんてきっとない。そこは今まで通りだ。ずっと守ってきた父親との約束を簡単に破ることはないだろうから。
また夜中に、琉唯は血を流して傷ついていた。口の端から流れる血を手の甲で拭うその仕草に色気すら感じ、私は人知れず興奮してしまった。かっこいい。毎日毎日好きが溢れて止まらなくなる。キスしたい。琉唯の血を自分の体の中に取り入れたい。私は何かに憑依されたかのように、覚束ない足取りでゆっくりと琉唯に近づいた。深夜の街はとても静かで、私の足音が響いて聞こえた。息遣いさえも琉唯に聞こえてしまいそう。
私の中の興奮は冷めるどころか酷くなっていく一方だった。私に気づいてこっちを見た琉唯とバチッと目が合う。氷のように冷たい瞳。私は気持ちを抑えられなくなり、琉唯を押し倒すような勢いで彼に飛びついていた。久しぶりに嗅ぐ琉唯の服の匂いは、どこか危険な香りがした。私に抱き着かれても琉唯は予想通り無抵抗で、女に手を出してはいけないという父親の教えを素直に従っている様子だった。弱みを握っている感覚がたまらない。
琉唯の心音はとても落ち着いていた。私に対してドキドキしていない。恐怖すらも感じていない。そう、何も感じていないんだ。普通の心音。前みたいに早鐘を打っていない。どうしてそんなに落ち着いているんだ。琉唯の心を乱せないことが悔しくて、私は底知れない苛立ちを感じた。その気持ちをぶつけるようにして、私は貪るような、噛みつくような、そういう乱暴なキスをした。それでも琉唯は無抵抗だった。いや、無反応だった。無理やり舌を入れて掻き回してもそれは変わらない。ムカつく。とてもムカつく。琉唯の血の味が口いっぱいに広がっても、私の心は満たされなかった。
躍起になってしまった私は、琉唯の服の中に手を入れて体を求めた。ひんやりと冷たい琉唯の体は、私の手のひらの熱さえも奪っていくよう。少しだけ唇を離して媚びるような声で琉唯の名前を呼ぼうとした時、今まで微動だにしなかった琉唯がいきなり激しいキスをしてきた。思わず目を見開いてしまう私の肩を強く押した琉唯は、私を壁に押さえつけた。自分の口から熱い息が漏れる。静かな深夜の街ではその吐息すらも響いて聞こえた。琉唯の唐突の反撃に一瞬たじろいでしまったのは否めないけど、彼が私を求め始めたことが嬉しくて、私は琉唯の深いキスを全て受け入れてやった。もっと私を欲しがれ。もっと貪欲になってしまえ。私は琉唯と更に密着するように、琉唯の背中に手を回して力いっぱい抱き締めた。
琉唯の高度なキスのテクニックに酔い痴れていると、突然琉唯が私の舌を噛んできた。痛みに酔いが覚めて反射的に琉唯の肩を押すと、口内に鉄の味が広がった。琉唯の血ではない自分の血の味。私に肩を押された琉唯は、地面に唾を飛ばして手の甲で口元を拭った。私を見る琉唯の目は冷めきっていた。その反抗的な目を見て、私は収まっていた苛立ちをまた募らせてしまった。そんな目で私を見るな。私に逆らうな。気持ちよく一緒に死ぬために、また琉唯を追い詰めないといけなくなるじゃないか。心中するその日が、どんどん遠ざかっている気がして酷く落ち着かなくなった。琉唯にペースを乱されているのがとても不愉快だ。
挑発するように自分の唇を軽く舐めた琉唯の頬を、私は躊躇いもなく殴った。またここからのスタートになってしまった苛立ちを込めた一撃。私に反抗するから殴られるんだ。今までみたいに私の言いなりになっていればいい。私はまた同じ箇所を殴った。すると、まるで私を嘲笑するように鼻で笑った琉唯が、ゆっくりと右手を振り上げたかと思うと、それをそのまま私の頬めがけて振り下ろしてきた。平手打ちみたいな可愛いものじゃなくて、力強く握った拳で。あまりの衝撃に私は地面に尻餅をついてしまった。頬が痛い。痛すぎる。それに、話が違うじゃないか。女に手は出さないんじゃなかったのか。自分の父親との約束を破った琉唯は、私を冷めた眼差しで見下ろして小首を傾げた。「俺がこのまま何もしないとでも思った?」自分はあれだけのことをしたのに? 抑揚のないその声が、私の背筋を凍らした。いけない。呑まれるな。琉唯が醸し出す危険な雰囲気に呑み込まれてしまったら、そこから抜け出すのはきっと困難だから。
私は頬の痛みを堪えながら立ち上がり、力任せに琉唯を引っ叩いた。「また同じ目に遭いたいの?」私に痛めつけられた過去を思い出させるように告げるけど、琉唯は馬鹿にしたように口角を上げて私を煽ってくるだけだった。「声震えてるけど、もしかしてビビってんの?」1回殴られたくらいで? 自分は馬鹿みたいに何回も殴っておいて? だっさ。私の神経を逆撫でするような琉唯のその言葉は、私に更なる苛立ちを募らせるのには十分だった。自分の思い通りにいかないとイライラしてしまう私にとって、この状況は最悪だった。どうにかして琉唯を私に従わせないと、監禁していた時と同じ感情を抱かせないと、この焦りにも似た気持ちは収まってくれない。落ち着いてくれない。
冷静さを失い、全身が熱くなる感覚に陥る。私は琉唯の挑発に乗るようにしてまた彼の頬を殴ってしまった。手が出てしまった。殴られても全く痛がる素振りを見せない琉唯は、私の首を掴んで壁に押さえつけるなり耳元で囁いた。「もう我慢なんてしねぇから」琉唯の首を掴む手はとても冷たかった。まるで死んでいるかのよう。そして、琉唯の言葉。もう我慢しない。それは一体何を意味するんだ。男としての欲望を果たすという意味なのか。それとも私を愛することを我慢するのをやめるのか。狂っている私の頭は、自分の都合のいいように考えるだけで、きっとそのどれもが間違っているのだろう。琉唯の目は憎悪に満ち溢れていて、私が一番懸念していたそれになろうとしているのが分かったから。だけど、いつかは訪れることかもしれないとも心のどこかでは思っていた。それが今。
豹変した琉唯、いや、こっちが本当の琉唯の姿なのかもしれない。不良で煽り上手で心に余裕のある琉唯も好きだけど、これは私が求めている琉唯じゃない。やり返される前に、また以前のような主従関係に戻さないといけない。そうしないと、私の心はいつまでたっても苛立ったままだ。それか、もうこのまま開き直って、豹変した琉唯と一緒に死んでやろうか。できることなら愛し合った関係で死にたいけど、今の琉唯を手懐けるのはきっと馬鹿みたいに時間がかかる。殴っても殴っても痛がらない。私が欲しい表情を見せてくれない。寧ろ私が琉唯に見せてしまうという屈辱。
首を絞められて息苦しさを感じながらも、私はゆっくりと琉唯の首に手を伸ばした。病院で琉唯が目覚めた時と似ているこの状況。深夜の街では邪魔する人はきっといない。こうやってお互いに首を絞め続けていれば、そのうち事切れる。一緒に死ねる。そう、一緒に死ねるんだ。琉唯は豹変してしまっているけど、私が琉唯を愛して琉唯も私を愛した事実は変わらない。琉唯、このまま一緒に首を絞め合って死のう。あの世でまた全力で愛してあげるから。唾液が垂れてきそうになる感覚に陥りながら、私は琉唯の首を絞め続けた。全力で絞めているつもりだった。だけど琉唯は少しも苦しまない。何これ。おかしい。意識が朦朧としてしまい、体の力が抜けてくる感覚。まずい。このままでは私だけが死んでしまう。琉唯を道連れにできなくなる。頭ではそう思っていても、体は言うことを聞いてくれなかった。ムカつく。
息ができなくて、完全に力が抜けてしまいそうになった時、私の首を絞めていた琉唯の手が緩んだ。それでも首を絞められている事実は変わらない。琉唯に弄ばれている感覚に嫌悪感を抱いてしまうけど、どうやったって苦しさには勝てなくて。琉唯の腕を掴んで引き離そうとする力さえ出なかった。暗くなってしまいそうな視界に、琉唯の心底楽しそうな表情が映る。これが本当の琉唯の姿なのだろうか。それとも、琉唯の第二の人格なのだろうか。それを私が呼び起こさせてしまったとでもいうのか。ふざけるな。なんだそれ。ムカつく。イライラする。琉唯は私に従順な犬でいいんだ。私に反抗するな。私を舐めるな。私のとっておきの結末を踏み躙るな。死ぬのは私だけじゃない。琉唯もだ。琉唯も一緒に死ぬんだ。私は最後の力を振り絞るようにして琉唯の首に手を伸ばした。このまま自分だけが死ぬわけにはいかない。必ずや琉唯を道連れにしてやる。一緒に死ぬのが私の考える理想の結末だから。
全ての殺意を両手に込めて琉唯の首に触れようとした時、私の右手が壁に押さえつけられてしまった。それでも私は、空いた左手で必死に抵抗するように琉唯の首を掴もうする。なんとも情けない姿だと思った。こんなに躍起になっている自分自身がとても滑稽に思えてしまい、底知れない恥辱を感じた。ムカつく。イライラする。殺してやる。死ね。私と一緒に死ね。体中の血液が沸騰しているような感覚。殺意と愛憎に苛まれている私は、冷静さを取り戻せずにいた。
挑発するように口角を上げた琉唯が、突然乱暴なキスを落としてきた。優しさの欠片もないそれだけど、琉唯の慣れたような舌遣いに私は簡単に呑み込まれてしまうんだ。きっと好きだから。愛しているから。豹変しても琉唯は琉唯だ。私の好きな人に変わりはない。さっき噛まれた舌が少し痛むけど、首を絞められた上のキスはとても苦しいけど、脳が蕩けそうなほどの感覚が押し寄せてくるのは確かで。私は操られたように自ら舌を絡ませてしまっていた。それがいけなかったんだ。今の琉唯は何をするか分からないのに。
一度噛まれて傷ついた私の舌を、琉唯がまた噛んできた。さっきよりも強く、噛みちぎるような勢いで。そのあまりの激痛に目から涙が溢れてきた。泣きたくなんてないのに。泣いてる暇なんてないのに。それでも私の涙は止まってはくれなかった。舌が痛い。また口の中で鉄の味がする。やめて。痛い。このままでは本当に舌を噛みちぎられてしまう。平然を装えず、嫌でも痛がってしまう私からゆっくりと離れた琉唯は、無慈悲な視線を私に向けてきた。嫌だ。そんな目で私を見るな。私は琉唯を従わせないといけないのに、これじゃまるで、私が琉唯に従っているみたいじゃないか。こんなあっさりと形勢逆転なんてされたくない。私が努力して積み上げてきた石を、簡単に崩壊させることは絶対に許さない。琉唯は私の下僕だ。私を愛して私に従っていればいいんだ。何度もそう言ってきたのに、行動でも示してきたのに、どうして琉唯は分かってくれないんだ。どうして私に反抗するんだ。意味が分からない。ふざけるな。息の根を止めて狂った琉唯を正気に戻させて、あの世でまたとことん愛して傷つけてやる。だから、私と一緒に死ね。それが私と琉唯の終焉だ。バッドエンドじゃない、ハッピーエンドだ。
舌から出てくる血を迷うことなく、気持ちを切り替えるようにして飲んだ私は、自由が利く左手を伸ばして琉唯の首を掴んだ。そしてグッと力を込める。琉唯は少しだけ苦しそうにするけど、私に煽るような視線を向けることはやめなかった。それと同時に琉唯の手にも力が込められ、私にも息苦しさが押し寄せてきた。これでいい。予想外なこともあったけど、これこそ私が望んでいた結末だ。琉唯と一緒に死ねる。このまま一緒に生き絶えてしまおう。私はいつもの調子を取り戻したみたいに、恍惚とした感情を抱いてしまっていた。そのせいか、息苦しくても口が勝手に動いていた。「琉唯、永遠に愛してる」このまま一緒に死のう。琉唯が私を殺して、私が琉唯を殺す。愛し合っている2人だからこそできること。殺し合いならぬ殺し愛。最高の結末。
琉唯は煽るのをやめて柔らかく微笑んだ。正気に戻ってくれたのだろうか。だったら嬉しい。豹変した琉唯も好きだけど、私は自分に従順な琉唯の方が好きだから。その意味を込めるようにして、私は微笑みかけてくれる琉唯と同じように微笑んで見せた。すると、琉唯の表情がみるみるうちに真顔になり、彼は怖いくらいの無表情さで私を凝視した。何だその顔は。ついさっきまでの微笑みはどこにいったんだ。どんどん表情が変わる琉唯に、私の気持ちまでも大きく左右されている気がして、とても不愉快に思った。琉唯にペースを乱されていることが本当に嫌で、胸糞悪さすら感じる。もっと苦しめ。その表情を私に見せろ。私は琉唯の首を掴む手に更に力を込めた。
最初に意識が朦朧とし始めたのは私だった。琉唯の首を掴む手にだんだん力が入らなくなるのを感じて、私は人知れず焦燥感を抱いてしまった。琉唯の手は弱まるどころが強まっていて、轢き逃げみたいなことをされるんじゃないかと懸念したのだ。そんなこと絶対にさせない。早く琉唯も意識が朦朧となってしまえ。だけど、頭ではそう強く祈っていても、体が言うことを聞かなかった。自分の体さえも私の言葉に逆らっているような嫌な感覚に陥り、私は自分自身にもイラついた。もっと琉唯の首を絞めないと、私だけが死んでしまう。その後琉唯が私を追いかけて死ぬ確率はきっと低い。それじゃダメなんだ。私だけが死ぬわけにはいかないんだ。一緒に死ぬのを成功させるには、まず琉唯の息の根を止めてから私が自殺するのが確実だ。私が最初に死んだら、うまくいく確率は低くなる。そうだと分かっているのに、理解しているのに、頭の中で専ら話が進んでいるだけで、行動に移すことができなかった。
死ぬ。私だけが死ぬ。私だけが死んでしまう。目の前が徐々に真っ暗になってきて、琉唯の首からするりと自分の手が力なく垂れ下がっていった。このまま呆気なく私は死んでしまうのだろうか。私が死んだら、琉唯はついてきてくれるだろうか。あれだけ調教したんだ。それで琉唯は確かに私の言いなりになったんだ。今は私に歯向かっているけど、必ず私の後を追いかけて死んでくれる。もし死ななかったら、自殺しなかったら、私が地縛霊となって手助けしてやる。琉唯に死ぬ以外の選択肢はない。
最期まで私は琉唯のことばかりで、死ぬ恐怖は微塵も感じなかった。ただ琉唯が私の後を追うように死んでくれるかどうかが心配で、それ以外の気持ちはなかったんだ。私は先に逝く。ずっと待ってるから。琉唯が自殺してくれることを。私の後をついてきてくれることを強く願って、私はゆっくりと意識を手放そうとした。その時。「ごめんね、2人とも」申し訳なさそうな、震えたような、そんな誰かの声がしたと思ったら、辺りに鈍い音が響いて目の前にいた琉唯が四つん這いになるようにして地面に突っ伏した。首から琉唯の手が離れ、私は激しく咳き込みながら地面に膝をつく。ドクドクと早鐘を打つ心臓を押さえて、何があったのかと視線を彷徨わせると、琉唯に何かを飲ませようとしている大人が数人いることに気づいた。それが誰なのか認識した瞬間、私は大きく目を見開いてしまった。驚愕。疑問。なんで。どうして。私と琉唯のそれぞれの両親が。
自分の親が私に視線を向けた。失望したようなその瞳が、私の荒んだ心を容赦なく射抜く。なぜか責められているように感じて嫌だった。そんな目で見るな。ふいと顔を背けて琉唯を見る。どうしようか、この大人たち。私と琉唯で殺そうか。そして私たちも死のうか。ねぇ、琉唯。返事をして。私を見て。ゆっくりと琉唯に手を伸ばす。私のこの手を掴んで。一緒に逃げよう。そして、今度こそ一緒に死ぬんだ。誰にも邪魔されない、2人だけの特別な場所で。
何かを飲まされそうになっている琉唯が、何の感情も読み取れないような瞳で私を見た。そして彼は、まるで私の気持ちが伝わったかのようにゆっくりと手を伸ばし、自分に向かって宙に浮いている私の手を取った。こうやってちゃんと手を繋ぐのは初めてで、私はとても嬉しくなった。吊り橋効果が期待できるこの現状で、琉唯は私の手を握ったまま力を振り絞るようにして大人の手から免れ、私を無理やり立たせた。「もう何もかも面倒だ」俺と一緒に死ね。あの世で思う存分痛めつけてやる。私だけに聞こえるような小さな声でそう言った琉唯は、口角を吊り上げたようなゲス顔を晒した。その表情に思わず恐怖を感じてしまうよりも先に、一緒に死んでくれるという琉唯の言葉に私は安心感を覚えていた。やっと願いが叶う。宣言したからには、ちゃんと一緒に死んでもらわないと困るから。
琉唯は私たちに向かって伸びてくる大人の手を振り切り、足元が覚束ない私の手を握ったまま突っ走った。私はただひたすら足を前に出して琉唯について行くので必死だった。どこへ向かっているのかは分からない。だけどきっと、誰にも邪魔されない場所に向かっているのだろう。これから本当に、私と琉唯は心中するんだ。それが近くなっている未来に私は興奮した。お互いに人生は詰んでいる。私は琉唯を監禁して暴力を振るい、琉唯は豹変して暴力沙汰の不良に変わり果て、ずっと遵守してきたであろう父親からの教訓も破った。それくらいで死ぬとかふざけるな。中にはそういう人もいるだろう。だけど、社会のルールに背く言動をしてきた私たちが最後に選んだ答えは、共に死ぬことだった。永遠の愛を誓って、私と琉唯は息絶える。
琉唯と手を繋いで、深夜の街を疾走した。胸がドキドキする。恋のドキドキか。それとも共に死ぬことへのドキドキか。多分きっと、そのどちらにも当てはまる胸の高鳴り。私の手を強く握って走る琉唯の後ろ姿は、とてもかっこよくて頼りになって、私の想いを更に加速させた。好きだ。大好きだ。何があっても、嫌いになんてなれない。絶対に離さないという気持ちを込めて、私は琉唯の手をギュッと握った。一緒に死ぬまであと僅か。
琉唯が向かった先は歩道橋だった。深夜だけどいくつかの車は走っていて、琉唯はタイミングを見計らうようにして下を眺めていた。その真剣な姿さえも愛おしく思ってしまい、我慢できなくなった私は琉唯に抱きついてしまった。「車はそんなに走ってない」気にせずに飛び降りよう。そう告げると、琉唯は素直に指示に従うようにして私を抱きかかえ、歩道橋の柵の上に座らせてきた。それから琉唯も柵の上に登り、逃げないようにか私の肩を抱いてきた。そのまま飛び降りようとしたところで、私は琉唯を引き寄せて唇を重ねた。触れるだけのキス。「大好きだよ、琉唯」私は琉唯を抱き締めて、体を後ろに倒した。琉唯は私に導かれるようにして柵から足を離し、まるでスローモーションのよう歩道橋から落下した。「大嫌いだ、夢乃」最後の最後で、今までで一番違和感なく下の名前を呼ぶなんて。皮肉なものだ。囁かれたその言葉を最後に、私たちは頭を強く打って死んだ。その瞬間、私は記憶をなくしてしまった。琉唯との強烈な過去を、綺麗さっぱり忘れてしまったのだ。そして、次に目が覚めた時には既に、私はあの白い空間にいたのだった。
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