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俺と一緒に遊びましょう。
どこか冷たさを感じて目が覚めた。ゆっくりと瞼を開けると、そこは見知らぬ白い空間で。一体ここはどこだろう。寝ぼけ眼でキョロキョロと辺りを見回すと、何か物騒なものがそこら中に散らばっていた。白い空間にそれらの物は、歪な光を放って私にその存在を知らしめていた。とても殺風景な部屋に数多くの物騒なもの。全然頭が追いつかなかった。
硬い床に横になっていたせいか、ところどころ痛む箇所があるけど、他は特に目立つような大きな外傷はなかった。手足も自由に動く。ここに連れてこられた経緯を思い出そうとしても、頭に浮かぶのは白い靄ばかりで。結局何も思い出せなかった。自分に関することは分かるから、決して記憶喪失というわけではない。ただ過去を思い出そうとしたら、真っ白な霧に包まれて見えなくなってしまうのだ。ムズムズする。落ち着かない。
冷たい床に手をついて立ち上がる。真っ先に扉の方へ向かうけど、案の定それは開かなかった。押しても引いても変化はない。どうすればここから出られるのだろう。何か暗号でも解かなければならないのだろうか。謎が謎を呼ぶだけで何も分からない。全然落ち着かない。どうして私はこんな所にいるのだろう。だんだん怖くなってきた。
思考がぐるぐるぐるぐると同じことを繰り返すばかりで、解決の糸口なんて少しも湧いてこなかった。どうして私はこんな所にいるのだろう。分からない。この空間はなんなのだろう。分からない。白い不気味な部屋に散らばる物騒なものは何に使うのだろう。分からない。私はこのままどうなってしまうのだろう。分からない。何もかもが分からない。
落ち着かない。分かることが何もなくて酷く落ち着かない。どうしよう。どうすればいい。私はどうすればいい。どうすれば。無意識のうちに服のポケットを弄ってみるけど、何もない。何も出てこない。ゴミ一つ出てこない。ぐるぐるぐるぐる。また繰り返される思考。どうして私はこんな所にいるのだろう。分からない。
目の前の扉を殴ってみる。痛い。開かない。今度は扉を蹴ってみる。痛い。開かない。殴った拳が、蹴った足が、酷く痛い。もしかしたら、この扉は鉄でできているのかもしれない。それだと手も足も出ないじゃないか。ただ痛い思いをしただけ。ここから早く出たいのに、出る術がない。その方法が分からない。ぐるぐるぐるぐる。ひたすら同じことを繰り返す思考。分からない分からない分からない。何がどうなっているのか全然分からない。ここは一体どこなんだ。
そこら中に散らばる物騒なものに目を向ける。扉をぶっ壊してでも開けられそうなものはないだろうか。近づいて物色し、一番頑丈で効果がありそうなチェーンソーを手に取った。ずしりと重たい。大きな刃が危険な光を放っていて、これが自分に向けられたらさぞかし怖いだろうな、と他人事のようにそう思った。
スイッチを探して押してみる。密室のこの空間では、刃が回転する音が一際大きく響き渡った。なんだか恐怖を煽るような音だ。この音で誰かが気づいてくれるかもと思ったけど、多分ここは防音だろうし外に誰かがいるとも思えなかった。希望は持たない方がいいだろう。
それでも私は一縷の望みをかけるかの如く、しばらくは何もせずにじっとしていた。だけどやっぱり何も変化は起こらない。誰かが来る気配もない。希望が断たれたことにショックを覚えながらも、私は大きな刃を回転させるチェーンソーを扉に押し当てた。耳障りな音がする。でも刃は入らない。あまりやり過ぎると大きな刃が歪んでしまいそうだったため、私はそこで諦めてスイッチを消した。
チェーンソーの刃が入らないほどの強度。やはり無理やりこじ開けることは不可能なようだ。どこかに鍵でもあるのだろうか。決して広いとは言えない殺風景な部屋を見回すけど、それだけでは簡単に見つかるはずもなくて。私は宝探しでもするみたいに隅々まで探してみることにした。
使い方を誤れば立派な武器になるような、そんな物騒なものばかりが無造作に置いてあって、私は心底嫌な気分に陥りながらも、あるかどうかすら分からない扉の鍵を探した。だけどいくら探してもそれらしいものは見つからず、無駄に体力を使ってしまっただけだった。早くここから出たいのに、どうすれば出られるのだろう。答えの見つからない疑問や不安ばかりが胸の中を支配して、見えない恐怖に苛まれた。どうしよう。
何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとするけど、悪いことばかりが次々と頭の中に浮かんでしまい、深呼吸では抑えきれないほどの動悸がした。このままここから出られなかったら、助けが来なかったら、私は餓死してしまうのだろうか。誰の目にも留まらずに、この殺風景な部屋の中で生涯を終えてしまうのだろうか。こんなよく分からない状況のまま、こんなよく分からない不気味な場所で。独りぼっちで、静かに息を引き取ってしまうのだろうか。
もう一度必死に記憶を蘇らせようとするけど、激しい動悸が邪魔をしてできなかった。落ち着け落ち着け落ち着け。ゆっくり思い出せ。自分がここに連れてこられた経緯を。密室というこの空間が、そこら中にある物騒なものが、私の思考を阻んでいるだけだ。目を閉じて、埋もれた記憶を再生させろ。私がここに連れてこられた経緯は。
こめかみを押さえる。思考を巡らすけど、やっぱり何も思い出せない。忘れたことを忘れたわけではないから、酷くムズムズする。テストで分かりそうで分からない答えを必死に思い出すような感覚。でもそれで思い出せたことはほとんどなかった。つまり、意味がない。無駄に脳を働かせていて、自ら疲労を与えているだけのような気がした。
冷たい床に座り込み、膝に顔を埋めた。今日は何月何日だっけ。昨日は何をして過ごしたっけ。いつ寝たっけ。ここに拉致られた手がかりとなるようなことが全然思い出せなくて、思わず泣いてしまいそうになった。不安や焦りが募る。家族や友達に心配をかけさせているんじゃないだろうか。とりあえず生きていることだけでも伝えたいのに、スマホも固定電話も何もないから連絡の手段がなかった。
もしかしたら、時間が解決してくれるのだろうか。そう思った時、どこかの鍵が開くような軽快な音がした。ハッとして顔を上げると、目の前の扉がゆっくりと開き始めていて。良かった。誰かが来てくれたんだ。やっとここから出られる。こんな空間に長時間居続けられる自信なんてこれっぽっちもなかったから、心底安心してしまった。不安や焦りから感じていた動悸が少しずつ静まっていく。さぁ、私を早くここから出して。私はきっと何かの間違いでここに連れてこられてしまったのだから。それにようやく気づくなんてあまりにも遅いんじゃないだろうか。
安心や期待を胸に私は立ち上がり、扉へと近づいていった。潰えたと思っていた希望が、扉が開いたことで簡単に蘇り、暗闇に一筋の光が差し込んだ。それは徐々に大きくなっていって、私の全身を包み込もうとしていた。もう少しだ。もう少しで、私はこの訳の分からない空間から出してもらえる。早く、早く。私をここから出して。
扉を開けたであろう人物と目が合った。思わず見惚れてしまうほど整った顔立ちをしているその男に、私は一瞬固まってしまった。この男、どこかで。だけどすぐに我に帰り、私は彼に道を譲った。自分はもうここを出る。本来ならば、このイケメンの男がここにいなければならなかったのだろう。それなのに、どこをどう間違えたのか分からないけど、私が代わりにここに連れてこられてしまった。心外だ。性別だって身長だって全然違うのに。
イケメンの男が私の前を通り過ぎる。やっぱり彼がここにいなければならない人のようだった。理由は分からない。別に知る必要もない。私には一切関係ないから。そう思ってこの空間から出ようとした時、いきなり腕を掴まれて乱暴に引き戻された。うまく受け身をとれずに冷たい床に尻餅をつく。此奴、何して。私を馬鹿にしたように見下ろす男を、私は信じられない思いで見上げていた。扉がゆっくりと私たちを閉じ込めようとしていることに、男の突然の行動に気を取られてしまった私は気づいていなかった。
それからハッとした時には、もう既に扉は閉まっていて、尚且つ外側から鍵がかかるような軽快な音が響いていた。嘘。私は自分を見下ろす男を押し退けるようにして扉の方へ向かい、ドアノブを回した。開かない。押しても引いても開かない。嘘。嘘嘘嘘。なんで。どうして。落ち着いていた心臓が騒ぎ出した。動悸がする。信じられない。目の前の現実が信じられない。私はここから出られるはずだったのに。なんで。どうして。頭がくらくらする。息切れがする。呼吸が定まらない。なんでなんでなんでなんで。
私の全身を包み込もうとしていた希望の光が、また暗闇に覆い尽くされた。安心した気持ちが、期待した気持ちが、一気に絶望の2文字に変わり果てた瞬間だった。それもこれも全部、腕を掴んで私をこの異質な空間に引き戻した正体不明の男のせいだ。ふざけんな。死ねよクズが。イケメンだからって好き勝手しても許されるとでも思ってんのか。マジで死ね。
焦りと怒りがごちゃ混ぜになったような視線を男に向ける。男はとても冷めた眼差しで私を見て、それからゆっくりと口角を上げた。不気味な笑み。それで私が怯えるとでも思っているのだろうか。もしそうなら舐めすぎだから。私はそんなに弱くない。女だからって馬鹿にしないで。
募る焦り。その中にある抑えられない怒り。頭に血が上って無駄に呼吸が荒くなって、心臓が痛いくらい大きく鳴っていた。どうして私がここにいなければならないんだ。目の前の男の目的はなんなんだ。分からない疑問が増えるばかりで、私の頭はパンク寸前だった。不安や焦り、疑問や怒り。それらをどこに吐き出せばいいのだろう。このまま溜め続けていたら、頭がおかしくなってしまいそうだ。
皮膚と皮膚がぶつかるような乾いた音が響いた。右手のひらが痛い。目の前には顔を俯き加減に横に向けた男がいた。そのまま微動だにしない男は、視線だけを私に向けた。それと同時にフッと息を吐き出すような音も聞こえた。男の口角が上がっている。まるで挑発するようなそれを見て、私は全身が熱くなった。
さっきはほぼ無意識だった。いろいろな感情が溢れ出て抑えられなくなったんだ。それらの解決できない、どうにもならない感情をぶつけられる場所は、相手は、今目の前にいるこのムカつく男しかいない。我慢なんてもうできなかった。そんなことしていたら、自分が壊れてしまいそうだから。
私は男の挑発に乗るようにしてもう一発殴った。乾いた音が響く。右手のひらが痛い。男は避ける素振りも痛がる素振りもしなかった。ただ黙って殴られているだけ。マゾヒスト。頭にそんな単語が浮かんだ。殴れば殴るほど、此奴は興奮してしまうのか。それじゃあ意味がないじゃないか。痛がったりとかしてもらわないと、私のこのどうにもならない感情はすっきりしない。無反応を貫かれると、それに対するイライラも募ってしまい、ストレスを発散させるどころか逆に溜まってしまう一方で。私は歯を食いしばって拳を握った。
もう終わり? そう言いたげな表情で私を見る男は、やっぱり挑発するように口角を上げていた。此奴、本当にムカつく。何が目的か分からないし、私を道連れにしてここに閉じ込めた理由も分からない。ここはお前だけがいるべき場所で、私までもがいるべき場所ではない。そうじゃないのか。それが間違っているとでも言うのか。
確認したくても、なぜか喋ったら負けだと思っている自分がいて。口を開いてしまったら、男の思う壺のような気がするのだ。目だけで会話をしているような私たちの間には、密室に男女2人きりというシチュエーションにドキドキするという雰囲気は微塵も感じられなかった。ありえないくらい殺伐としている。殴り合いではなく、殺し合いが開幕されそうな勢い。ちょうどそこら中に物騒なものが散らばっているから尚のこと。
あぁ、嫌だ。早くここから出たい。なんで私はここにいるのだろう。同じ疑問を繰り返すけど、一向に答えは見つからなかった。ぐるぐるぐるぐる。何度も何度も繰り返す。だけど、問題は全然解決しない。それどころかどんどん深刻になっていた。一体私は何に巻き込まれてしまったのだろう。
不意に男が手を伸ばしてきた。その手が無防備な私の首に触れた瞬間、全身が凍りつくような感覚がした。何これ。此奴の手、冷た過ぎる。腕を掴まれた時は一瞬だったし、服の上からだったから分からなかったのかもしれない。私は男のあまりの手の冷たさに驚愕してしまい、抵抗することも忘れていた。男は私の首に触れたまま、私を壁に押さえつける。背中がひんやりとするけど、男の手の方が断然冷たかった。
女子が憧れるような、そんな、思わずドキドキしてしまうような壁ドンが、首に添えられた手のせいで台無しになっていた。これではドキドキなんてしない。そもそも男は私をドキドキさせようとしているわけではない。明らかに何か悪いことを企んでいるような表情だから。
首を掴まれたこの状態では、命を握られているも同然だった。下手な真似はできない。男の機嫌を損ねてしまったら、その冷た過ぎる手に力が込められてしまうだろう。きつく締められているわけでないのに、首に誰かの手が添えられている。その事実だけで息苦しさを感じた。男の手が冷たいからか、余計にそう思ってしまう。喉元から凍らされている感覚。此奴は低体温症なのか。だとしても冷た過ぎるんじゃないだろうか。
男の腕に触れる。じわじわと冷たさが手のひらに広がった。もしかしたら手だけでなく、全身が、この男自体が冷たいのかもしれない。そんなことを思いながら、私は男の手を引き離そうとした。だけどその瞬間更に力を入れられてしまい、一瞬だけ息ができなくなった。器官が狭くなったような気がする。それでもまだ酸素は吸える。完全には首を締めない男のその行動に、私を簡単に殺すつもりはないことが窺えた。
男は腕でもたれるようにして壁に触れ、私の顔を覗き込んできた。近くなった距離に少しだけ怯みながらも、それを表情には絶対に出さなかった。出したら負けだ。首を掴む男の腕に触れたまま、睨むようにして其奴を見上げる。お互いにまだ一言も喋っていない。このまま喋らずに目だけの会話になってしまうのだろうかと馬鹿なことを考えた時、男が私の耳元に顔を寄せてきた。僅かな息遣いが鼓膜を震わせる。「俺と一緒にデスゲームしよう」その瞬間、男と目が合った時と同じような感覚が体を貫いた。この声、どこかで聞いたことがあるような。
私は何か大切なことを忘れている。それがなんなのか全く分からない。思い出そうとしても、やっぱり何も思い出せない。男の放った言葉よりも男の声の方が印象に残ってしまい、私はデスゲームと言われたことに何の反応も示せなかった。
明らかに別のことを考えてしまっている私の首を、男が軽く締める。再び器官が狭くなり、私は息苦しさに顔を歪めてしまった。今はのんびりと記憶を蘇らせている場合じゃない。男の声ではなく、男の放った言葉をもう一度反芻した。俺と一緒にデスゲームしよう。デスゲーム。Death Game。死の遊び。死のゲーム。死の、ゲーム。死。
ゆっくりと男に視線を向けると、余裕の笑みを浮かべている其奴がいて。鳥肌が立った。此奴、絶対に頭がおかしい。どうしてデスゲームなんかしなければならないんだ。私はここにいるべき人じゃないのに。遊んでる暇なんて、お前の相手をしている暇なんてない。さっさと解放して。その意味を込めて睨みを利かせてみるけど、さっきと比べて動揺を隠しきれていないような気がした。
「お前にその気がなくても、俺は勝手にやるから。精々楽しませろよ」
首から冷たい手が離れ、苦しかった呼吸が少し楽になる。だけど次の瞬間には、腹部に激痛が走っていた。何が起こったのか分からなくて、再び息苦しさに苛まれた私は激しく噎せてしまった。立っていられなくなり、お腹を押さえて座り込む。あまりの激痛に変な汗が噴き出してきた。痛い。息がしにくい。苦しい。
荒い呼吸を繰り返しながら男を見上げると、其奴は心底楽しそうな表情を浮かべていた。壁にめり込ませるような勢いで私のお腹に激痛を負わせたのは、目の前の男だった。それは火を見るよりも明らかで。本気ではないにしても、きっと手加減はしていない。本気と手加減の間の力で、此奴は私のお腹を殴ってきた。躊躇なく。
何か文句を言いたくても、声を発することもままならなかった。男はもう一度手を加えることもなければ、何か声をかけることもなくて、ただ苦しむ私を見て楽しんでいるだけだった。悪趣味。ムカつく。ふざけんな。死ね。心の中で暴言を吐くも、それを言葉にすることはやっぱりできなくて。苦しむ私を見下ろす最低最悪な男を、できる限りの力を込めて睨み上げることしかできないことが心底悔しかった。
この異質な空間に、最低最悪なムカつく男とともに閉じ込められてしまった私は、一体どうなってしまうのだろう。何度も繰り返す疑問を未だに解決できないまま、私は男の言うデスゲームとやらに強制的に参加させられてしまった。きっと私に拒否権はない。誰かの助けが来るまで、此奴の遊び相手をしなければならないのだろうか。あぁ、とても嫌だ。とても不愉快だ。死ねばいいのに。私は反抗の意を込めて、再び男を睨み上げたのだった。
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