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「あ、あの、津山くん……」
廊下を歩いていると、白さんが口を開いた。
顔を見るとさっきの劣情を思い出してしまいそうで、俺は前を向いたまま、努めて明るく声を出す。
「いやー、びっくりしたでしょ! 災難だったね!」
なぜだか、さっきから心臓が早鐘を打って落ち着かない。
黙っているとそれが彼女にバレてしまうのではないか、とそんなわけはないのに焦ってしまう自分がいた。
「あいつね、いつもあんなんだから白さんも早く忘れた方がいいよ。多分気にしてないから大丈夫」
玄の機嫌が悪かったのも、恐らく俺に対してだろうし――とそこまで考えてから気付く。
いや、いつもはあんなに怒らないはずだ。
だからこそ俺は無神経に飛び込んでいけるわけだし、玄だってそれをされて俺とつるむのをやめるわけでもない。
ああ、そうか。
ようやく俺は一つ、狼谷玄という男の特徴を忘れていたことに気が付いた。
玄とは中学の頃に知り合ったが、その時から彼は人間関係においてどこか無頓智だった。
特定の誰かとずっと一緒にいるということもなく、のらりくらりと、まるで猫のように自由な人間だったのだ。
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