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溢れる涙の理由
「あなたの生きた証がここにあった」
あたしと共に生きたこの1年半の間、忘れられないぐらい笑顔を見せてくれた。なのに、最後がこんな風だなんて誰も望んでいなかったのに。
「来月、半年記念日だね。俺はプラネタリウムに行く予定を立てたんだけど、どうかな?」
突然の半年記念日のプランにあたしは驚いたけど、楽しみになるのはあなたの思いを自然と受け入れてたから。
「あたし、そんなロマンティックなところに行ったことがないの」
「楽しみだろ? 俺もプラネタリウムに行くのは初めてだよ」
半年記念日に向かったプラネタリウムでは真っ暗で星空だけがあたし達を包み込む。そんな景色に吸い込まれていくあたしの手をあなたは離さずずっと握っていてくれた。それは何よりも温かくてあたしをこの天体観測の人工的な景色も自然の空に見せる。
「免許持ってないからドライブで田舎に行って自然の中の満点な星空を見るなんてことが出来なくてごめんね」
「ううん。あたしはこれだけで満足」
あたしの嬉しさは何よりも大きくてあなたに伝わってるってこの時はなんの疑問を抱くこともなく思ってた。その半年後、あたし達は一年記念日を迎えようとしていた。
「わからず屋! あたしがどれだけ我慢してるか知ってるの!」
「君が言ってることは子供のわがままと一緒だ!」
「あたしだけが悪いみたいに言わないで!」
あたし達は今考えれば他愛もないことでケンカをしていたということに気がついてなかった。あなたの病気のことも少しは理解してたはずだったのに、感情に任せてそんなこと頭によぎることもなかった。あたし達はこのケンカをきっかけに少し距離を置くことにした。
「鳴海さん、嘉人が自分の手首を切って自殺未遂をしてしまったの」
そんな一報が入ったのはケンカの二週間後だった。あたしは嘉人が運ばれた病院に駆け足で向かう。
「嘉人!」
そこには人工呼吸器をつけた二週間前まで笑顔を見せていた嘉人の姿があった。手首には包帯をまかれ、どのくらいの怪我をおったのか確認できなかった。
「嘉人はどうやって自殺未遂を?」
「お風呂に行ってくると言って、お湯をはってその場で手首を切ったみたい。そのまま湯船に手首をつけて……」
あたしはその場で声を上げて涙を流した。嘉人とあんなケンカをしなければこんなことにはならなかったのに。嘉人の病気は「躁うつ病」だった。元気な時は人一倍元気でなにも病気なんて抱えてないみたいに見える。でも、症状が出ると「死にたい」とこぼして、手首を切り刻むリストカットや薬の大量服薬、通称オーバードーズを繰り返す。あたしはそれを知ってはいたけど、どうしてそんなことをするのかまでは知らなかった。あたしの電話に連絡を入れてくれた嘉人のお母さんに自殺未遂をする理由をその場で聞くことにした。
「どうして嘉人は自傷行為をすることが多くなったのですか?」
「それは嘉人の過去の辛い想いがそうさせたの。あたしと旦那の教育方針が良くなかったの。嘉人は誰かに見捨てられることを強く拒み、心にダメージを与えて自分は死んでもいいと思ってしまう。そんな病状だったの」
見捨てられる。あたしがあの時、距離をあけよう言ったことで嘉人は見捨てられた気になってしまったことに気が付いた。確かにケンカをして別れ話をするために嘉人は「俺はもういらないね」と言葉をこぼしていた。そんな兆候すらハッキリ見つけてあげられなかった。さらに涙が溢れて、嘉人の手を握りしめた。だけど、嘉人が手を握り返してくれることはなかった。
病人だった。とかお金がなかった。とかそんなのはどうでも良くて、あたしのことを大好きと言ってくれる嘉人が好きだった。今でも、彼との写真を見返すと涙が出てくる。嘉人以上に好きな人は出てきていない。あたしはずっと嘉人のことを背負って生きていく。そんなことを思いながら今日もプラネタリウムに足を運んだ。
嘉人が亡くなってから、あたしは半年記念日で訪れたプラネタリウムのスタッフとして働いている。それが唯一の償いだと思うから。嘉人はこの大きなプラネタリウムに投影される宇宙ではなくて本当の空の彼方へ行ってしまった。あたしはあの時、なぜケンカなんてしてしまったのだろうと後悔ばかりしている。嘉人が連れてきてくれたこのプラネタリウムの宇宙を目の奥に流したまま、涙ぐんだ。
きっとこの涙の理由はあたしにしか分からない。わざわざプラネタリウムにまで来て涙を流すなんてバカげてるけど、あたしの涙は留まることを知らないんだ。
あたしが流す涙の理由を知ってるのは空で見ている嘉人は気付いてくれてるかな? だけど、喧嘩の時みたいに苦しい思いをしたくないから、気付いてくれてなくてもいいんだよ? あたしが嘉人のことを覚えていればそれでいいだけだから。
人が涙を流すのには意味がある。それが悲しい涙だとやっぱり辛いな。もっと嬉しい涙を流したかったよ。嘉人のそばで。もう伝えることの出来ない言葉をプラネタリウムの宇宙に向かって毎日かけてる自分がいるんだ。
「ごめんね。辛い思いをさせて。嘉人はあたしにとってかけがえのない人だよ。ありがとうをいっぱい伝えたかったのにな。もう届かないなんて思いたくないよ……」
また涙が溢れ出る。泣きたくないのにな。あたしが悪いのに。この涙の理由は他の誰にも分からなくていい。ただ、嘉人に伝わればそれでいいのに、もうこの世に嘉人が居ないことがさらにあたしを涙の呪縛から解いてはくれなかった。
悲しい涙がまた一粒大きく溢れた。
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