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「予想以上に望月さんの恋愛偏差値が低いんで、もうびっくりするやら悲しいやらですよ。普段の仕事っぷりはどこにいったんですか! あの超効率的で、合理主義な望月さんは偽物ですか!」
「いやいや、そんなこと言われても……」
「自覚症状なしというのが一番厄介なんですよ! ああもう、こんなことなら……」
言いながら椎名が豪快にパスタを口に運んだ。直後にタコの切り身まで口の中に放り込んで、まるで怒りをぶつけるかのように咀嚼している。
椎名は曖昧なままで恋愛をすすめることには、嫌悪感があるのかもしれない。
(椎名君もいろんな恋愛経験ありそうだし、過去にそういう恋でもして傷ついたのかな)
そんな椎名に相談するのも悪いなと思ったが、沙和は「ギャップがありすぎて、ついていけないの」と気持ちをこぼす。
椎名は我に返った様子で沙和を見返した。それに苦笑で応えてから「普段はすごく優しいし気遣ってくれることもたくさんあるのに、怒ると別人みたいでさ」と続ける。
「……日頃溜め込んじゃう人って、爆発しちゃいますもんね。きっと彼氏……は、ガス抜きが下手なんですね」
「うん、まさにそういうタイプだと思う。とにかく完璧主義っていうか……限界までひたすら努力できる人だし」
「完璧主義かぁ。そんな人と付き合うの大変じゃないですか? 潔癖だったりしそうだし」
「潔癖って感じはしないよ。それに、彼が厳しいのは自分にだけなの。私にはものすごく甘い」
相原が沙和に求めているのは、一緒にいること、ただそれだけだった。
料理や洗濯、掃除などをしてほしいと言われたことはないし、沙和がゲームのためにテレビを占領していても文句など言わない。家の中のものは自由に使っていいと言われているし、事実沙和が冷蔵庫をチョコレートやスーパーの惣菜で埋めようとも、相原は気にしていないようだった。
「……やっぱり惚気だ……」
椎名は鈍く頭を振ると「それで、望月さんの悩みっていうのは結局のところなんですか? どうしたら束縛がなくなるかですか? それとも、自分の気持ちを白黒はっきりさせたいとかですか?」と尋ねた。
「椎名君、よくこれだけの話でそこまでわかるね」
さすが人の気持ちに敏感なだけある。空気が読める男・椎名の察知能力はかなり高いようだ。沙和が素直に驚いていると椎名は「そりゃわかりますよ……」と肩をすくめた。寂しそうに微笑まれ、なぜか胸に何かがせり上がってくる。
(あれ、胸焼け……?)
そっと胸元を抑える沙和だったが、それは一瞬で掻き消えた。
「一応俺からアドバイスがありますけど、聞きますか?」
「うん、聞きたい」
「わかりました。まずは、束縛についてですけど……これはもう無理です」
「ず、随分あっさり言いきるね」
「残念ながら人は変わりません。彼氏が自分から望んで変わりたいとか思えば別ですけど、そこまで持っていくのは結構大変だと思います」
「た、確かに……」
あの相原を変えることは、かなり難しそうだ。なにせ彼には確固たる自分自身の核がある。
「あと、もう一つの望月さん自身の方ですけど……ポジティブな方とネガティブな方、どっちを聞きたいですか」
じっと真面目な表情で見つめられ「じゃあ……どっちも」と沙和は答えた。
「了解です。まずはポジティブな方から。……多分、望月さんはその彼氏のことを既に好きだと思います」
「え?」
「束縛されても嫌じゃないし、むしろそれが彼氏からの愛情表現と思ってる。そういうところも含めて惹かれてるから、困ってはいても離れられないんじゃないですか?」
ぴくっと何よりも先に沙和のこめかみが反応した。ついで胃のあたりが落ち着かなくなる。
図星かもしれないと一瞬思ってしまった後で、いやそれはないと否定が入る。その勢いのまま否定を声に出しかけて、沙和は「……ネガティブな方は?」と椎名に先を促した。
「相手にどうしても受け入れられない面があるなら、その気持ちは偽物です」
物腰柔らかな椎名にしては、強い口調だった。
二種類の言葉を反芻して、沙和は「極端だね」と椎名に苦笑してみせる。椎名はここでようやくにこりと笑って「望月さんが参考にしたい方を選んだらいいです」と締めくくった。
「ありがとう。……考えてみる」
「俺の予想、聞きますか?」
「予想?」
「望月さんの本心」
妙に自信がありそうな椎名の目に吸い込まれかけて、沙和は思わず首を縦にふろうとした。けれど「……いや、ちょっと待って。今それ聞いたら引っ張られちゃうかもしれない!」と慌てて思いとどまる。
椎名の顔が残念そうに歪んだ。
「……こういうところは妙にしっかりしてるんだから」
「……今椎名君、どっちかに誘導しようとしてたでしょ」
「あれ、ばれました? ……惜しかったなぁ」
いたずらっこのような笑顔をつくる椎名につられて、沙和も笑った。
「もう、人で遊ぼうとして」
「望月さんが悪いんですよ」
「ええ? 私のせい?」
そうです、と椎名は沙和を上目遣いで睨んだ。
「望月さんが……悪いんです」
まるで秘密を打ち明けるような細い声に、沙和は口を開けたまま止まった。椎名の声が妙に痛々しいものに感じて、さきほどの胸焼けのような感覚が再燃する。
何か声をかけようと思っても、何を言ったらいいのかわからない。
けれど沙和のそんな瞬間的な困惑は、当の本人である椎名が吹き飛ばした。
「というわけで、今日は望月さんの奢りってことでお願いしますっ」
気づけば椎名は普段通りの人懐っこい表情で、明るい声で、ウインクでもしそうな雰囲気で、沙和に甘えてくる。
「もう仕方ないなぁ」
沙和は胸をなでおろして、それに笑顔で応えた。
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