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けれど相原は「いや、そういうわけにもいかない」と表情を引き締める。
「ちょっと家で資料を作らないといけないんだ」
「……家でも仕事やるの?」
「ああ。なにせ一ヶ月かけて準備していたものを二週間でやらないといけないからね」
「そうなんだ……」
とにかくこの山場を越えないことには、相原に休息が訪れることはなさそうだ。
大事な仕事というのはわかる。相原の性格からして、再び完璧なものを作ろうとしていることも。けれど、心配せずにはいられない。
「でもさ、休むことも大事だよ? 今日は仕事するとしても、明日は休んだ方がいいんじゃない?」
沙和の言葉に相原は無言だった。穏やかなにうなずき、ホットケーキを食べ進める様子からみて、日曜も仕事をするつもりなのだろう。
もう一言くらいそえようと沙和が口を開くと「ここでつまづくわけにはいかないんだ」と相原から返ってきた。
「俺はもっと上にいって……証明しないとならない」
「証明?」
「……弁護士よりも今の道が優れていることを」
誰に、とは聞かなくてもわかる。
一度だけ見たことのある相原の両親の凜とした立ち姿を思い出し、沙和は息を飲んだ。
「優れてるって……何を持ってそう言えるの……?」
「さあ……年収や社会的名声。……あの人たちの基準はそのあたりかな」
大学の時に進路で衝突してね。
そう相原は苦笑した。
「法学部には進んだけれど、司法試験を受けるのはやめようと決めた。それを言ったらやっぱり両親が怒ってね……約束させられたんだ。司法の道へ進まないのならば、それ以上の結果を出して証明してみせろってね」
「き、厳しい……」
「そうだな。……厳しい人たちなんだ。そして俺に、ものすごく期待をしてくれていた」
相原は懐かしむように目を細めてから、表情を引き締めた。
「だから、ここでプロジェクトを失敗させるわけにはいかない。そうなったら上司は全て俺の責任にするだろう。それだけは避けないと……」
誰にも、何も口を挟ませない。
唇を引き結んだ相原の表情は硬質で、そして威圧感があった。
彼はきっとやり遂げる。それを見て沙和は確信する。
自分の体がたとえ疲労でボロボロになったとしても、プロジェクトを再構築するだろう。
(なんて……窮屈な生き方……)
相原が司法の道に進むのをやめると言った時、それはある年の同窓会だったのだが……彼は「俺は俺のやりたいことを追求しようと思って」と言っていた。
きっとはじめはそうだったのだろう。今だってその気持ちは消えていないにしても、彼を突き動かすものが両親への証明なのだとしたら、可哀想に思えた。
(もっと自由に生きたらいいのに……)
失敗を自分に許さないというのは、つらい生き方だ。
どんどん自分を縛って、動けなくさせる。完璧じゃないと意味がないなんて、そんなことはないのに……。
黙ってしまった沙和を気遣ったのか、相原は表情をゆるめると「悪いが来週いっぱいはこんな毎日になる。俺のことは気にせず過ごしてくれ」と優しく言った。
◆
翌週になっても、相原は相変わらずの忙しさだった。
走り出したら止まらない暴走列車のように、相原は根を詰めて働いていた。
姿は見ずともその気配だけは察知していた沙和がしたこと。それは毎日の栄養ドリンクとレモンの蜂蜜漬けを置くことだけだ。
差し入れが部活レベルな自分にがっくりもしたけれど、疲れをとるために何をしたらいいかなんてよく知らない。
野球部時代、このレモンの蜂蜜漬けは部員たちから好評で、相原も確か好んでいたのを覚えていた。
どうかな……と思いながらも小さなタッパーにそれを入れて、ドリンクの隣に置いて出た日の夜。帰ると流しに洗い終わったタッパーがあった。しっかり食べてくれたようで、その日のメモにも『久しぶりに食べて美味しかった』と書かれていた。
(……お疲れ様)
沙和はゆったりとその文字をなぞり、次の日からもレモンを置くことを決めた。
◆
その週の水曜日。
会社からほど近いあのコーヒーショップのカウンターに、壮太の姿を見つけた。
あれ以来帰りしなにチェックするようになっていたのは、予感があったから。また壮太が来ることもあるかもしれないと思っていた。
だから沙和は大して驚くこともなく、壮太に向かって軽く手をあげてみせる。
対する壮太も小さくうなずくと、ちょっと待っててとジェスチャーで示し、コーヒーショップを出てきた。
「……お疲れさま」
「お疲れ」
一度視線を交わして、なんとなく遠慮がちな空気が流れる。先に口を開いたのは壮太で「……この間はごめん。俺ちょっと感情的すぎた」と小さな声で告げた。
「ううん。私もごめん。説明不足すぎたと思ってる」
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