■相原編1:独占欲

2/5
前へ
/100ページ
次へ
 不本意ながらも沙和が相原の部屋に居着くようになって、三週間が過ぎた。  カレンダーは六月の半ばに差し掛かり、梅雨らしいジメジメとした気候が続いている。セト化粧品では夏製品の販促物が少し落ち着いて、皆がなんとなくゆるやかに仕事をしている時期だった。 「望月さん、まだやってくんですか?」  定時を過ぎてちらほらと席を立つ社員を横目にしていると、椎名から声がかかった。 「今作ってるやつ、来週締め切りのやつですよね?」  暗に『もうあがりましょうよ。そしてごはんでも行きましょう』と言っているのがわかり、沙和は苦笑いで応える。  椎名の言う通り、今からでも仕事は切り上げることができる。デザイン案の提出締め切りまでは時間があるし、デザインの骨格ももう決まっていた。沙和だって椎名とどこかで一杯引っ掛けて一週間を労いたいと思わなくもないが、即座に浮かぶ相原の顔がそれを止める。  沙和は内心の憂鬱を押し隠して、もっともらしい言い訳を作った。 「……もうちょっとブラッシュアップしとこうかなって思って」 「えー、せっかくの金曜日なのに」  新宿に美味しいイタリアン見つけたんですよと椎名は甘えるような視線を投げかけてくるが、沙和は「それは気になるけどさ」と肩をすくめるだけにとどめた。 「またいつかね」 「いつか……ですか」  それって本当にくるのかなぁなんて呟く椎名の声は聞かなかったことにして、沙和は「ランチなら付き合うからさ」とフォローを入れた。 「あ、言いましたね。絶対ですよ?」 「うん」  目を輝かせながら沙和に念を押してくる椎名が眩しい。   (椎名君に聞かれたら、何て答えるか考えとかないとな……)  中途半端に相談していた相原の件を、彼が気にしているのはわかっていた。以前、似たような誘いをやんわりと断った時に「もしかして例の彼と付き合い始めたんですか?」と聞かれたことを思い出す。その時は濁したけれど、それは沙和自身がどう答えたらいいのか分からなかったから。  そしてそれは今も変わらない。  最近の沙和は、良くも悪くも、いつも相原のことを考えている。  名残惜しそうにしながらも退社していく椎名を見送った沙和は、途端に目から色をなくして画面を見つめた。  視界いっぱいに広がるモデルの笑顔を粛々となめらかに整えて、デザインを少し調整して、キリのいいところで終わりにする。時間は二十時近かった。  駅ビルで弁当を買い、相原のマンションへと帰って行く。  もうすっかり道も覚えたし、オートロックも何もためらいなく外せるようになった。合鍵を使って玄関を開けた先は、真っ暗な室内。家主はまだ帰っていない。  この三週間で、相原が沙和より早く帰ってきた日は皆無だった。  彼は毎日夜遅くまで仕事をしていて、帰宅は大体日付が変わる前後の時間。沙和は先に眠っている時もあるし、ゲームをしている時もある。  そうして朝は沙和よりも早く出て行くから、一緒の住居とは言え顔を合わせない日もあるくらいだった。  あの夜、沙和の部屋に来れたのは相当頑張って仕事を終わらせたか、先延ばしにしたかして来たのだろう。「仕事に慣れると負荷が増える。それに、ちょうど新しいプロジェクトも始まったところなんだ」と相原は涼しい顔で言っていたが、沙和から見たら完全に社畜にしか見えない。 (相原の企業って、結構ブラックだよなぁ……)  一流企業なだけに、時代の先頭を走り続けるためには人並み以上の努力や犠牲が必要なのかもしれない。 (私だったら絶対無理だけど……多分相原だからできるんだろうな)    最初の一週間を過ごしてみて、沙和は相原の生態に本当にびっくりした。  相原は基本的に三食全て外で食べてくるから、部屋にはシャワーと睡眠のために帰ってきているようなものだった。あまり生活感のないシンプルなインテリアなのもうなずける。彼が部屋に滞在する時間は本当に短い。  洗濯だって、ワイシャツは全てクリーニングで、他のものは週末にまとめて洗濯すると言う。だから金曜の夜の洗濯カゴはタオルが溢れんばかりに山になっていた。沙和だって週に数回しか洗濯機はまわさないが、相原はそれ以上だ。  自分のものも洗いたいし、せっかくだしと、見かねた沙和が週の半ばに一度洗濯機をまわしたら、相当感謝された。  相原からは『今日も遅くなる』とメッセージが入っていた。  それに沙和も『お疲れ様。私は今帰りました』と先ほど買った弁当の写真とともに返信する。  これは相原が沙和に求めてきたことの一つで、彼は一緒にいない間の沙和の様子を逐一知りたがった。おそらく全部を把握していないと気が済まないのだろう。  
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!

386人が本棚に入れています
本棚に追加