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■相原編9:泡沫
翌朝、キッチンから音がして沙和は目をさました。ゴーッと唸るような音は、コーヒーメーカーの起動音だ。
(相原……)
体を起こしてぼんやりとしていると「起こしてしまったか」とマグカップを手にした相原が近づいてきた。彼はすでに私服に着替えている。黒いTシャツと細身のジーンズがよく似合っていた。
「望月も飲むならいれるけど?」
「うん、ありがとう」
先にこれを飲んでいてくれと、相原は手にしていたマグカップを沙和の前に置いた。そうして再びキッチンに戻っていく。沙和はあわてて「いいよ、自分でやるよ」と相原を追いかけたが、いいから座っててと相原にそっけなく言われ、おとなしくソファへと戻った。
時刻は八時をすぎたところで、テレビをつけるとニュースをやっていた。相原ももう一つのコーヒーを持ってきて、沙和の隣に座る。
そして二人で無言のまま、コーヒーを飲んだ。
何かを言わないといけないと思ったけれど、何を言えばいいのかわからない。昨日の話を蒸し返したいわけではなかったが、何事もなかったかのように世間話を始める気にもなれなかった。
相原はコーヒーを半分ほど残した状態でテーブルに置くと、沙和に自分のスマホを差し出した。
「ロックの設定は外してある」
「相原……?」
「自分の手で消した方が安心できるだろう? ……俺は少し出てくる」
そう言うなり、相原は立ち上がって玄関へと向かっていく。沙和は「あ、ちょっと待って、相原……」と呼びかけたが、彼が振り向くことはなかった。
突然の相原の行動に驚いたけれど、ウィジェットが並ぶ画面が煌々と主張するのを見逃せはしない。そっと相原のスマホを手にして、震える指先で画面をタッチした。
ごくり、とつばを飲み込み、写真のフォルダを選ぶ。問題の画像は、全部で五枚あった。そのどれもが見ていられなくて即座に消去したが、一枚だけ、沙和の寝顔のアップをとったものがあった。
スウェットを着た状態だから、あの夜ではない。日付を見ると、相原が初めて沙和の部屋に泊まった夜のものだった。
「……よだれたらしてる……」
自分でも悲しくなる間抜け面の寝顔だった。けれど、そんな顔の沙和を相原が画像として残していたことに胸が熱くなる。一瞬迷ったけれど、沙和はその画像も消去した。
◆
その日、夜になっても相原は戻ってこなかった。連絡をとろうにも相原のスマホは沙和が持ってしまっているから、どうしようもできない。
(一体どこへ行ったんだろう)
ゲームをしてても全然集中できないまま、沙和はそわそわと部屋をうろついた。ついさっきもマンションのまわりや駅のほうまで行ってみたりもしたが、相原の姿は見つけられなかった。
今日はどこかに泊まってくるのだろうか。それならそれで言って欲しかった。
行き先がわからないと心配になってくる。
もう一回駅前まで出てみようか……と沙和が動き出したところで、沙和のスマホが鳴った。着信は公衆電話からと出ている。
沙和は迷わずに通話を押して電話に出た。
「もしもし」
「……ああ、出てくれて良かった」
思った通り、相原の声だった。胸が驚くほどに落ち着いて、沙和はほっと息をついてから「今どこ? 今日はどこか泊まってくるの?」と聞いた。
「ああ。今日は帰らない」
「ん、わかった。じゃあスマホは充電しとくね」
「ありがとう。……あと、望月」
「なに?」
「明日からは、もう俺の部屋に帰って来なくて良い」
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