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これが壮太なりの別れの挨拶で、餞別の言葉なのだと。
素直じゃない幼馴染は、最後までそれを貫いてくれたのだった。
◆
翌日。
朝早くから、沙和は相原の部屋で待機していた。
持ち込んだ豆を使ってコーヒーをいれる。電気は止められてはいないようで、無事に美味しいコーヒーはできたし、テレビもついた。
あのメッセージに、しっかり既読はついていた。
きっと相原は来る。絶対来る。
午前中は強気で待っていた沙和だったものの、午後に入って西日が部屋に差し込むくらいになると強い気持ちはだんだんとしおれてきてしまっていた。
(……もしかして、来ないかも……)
その可能性が少しずつ頭の割合を占めてくる。
もしも相原が沙和のことを既に見限っていたとしたら?
あのメッセージに腹をたてて、会う気が失せていたら?
考えようと思えば、いくらでもネガティブなことを思いつき、沙和はそれをごまかすように持ってきていたチョコレートを口に運ぶ。
そして待ち焦がれていた瞬間は、夕闇とともにやってきた。
がちゃりとドアが開き、沙和は瞬時に立ち上がって玄関へと駆けていく。
そこには白いTシャツにブラックデニムを合わせた相原が立っていた。
沙和がいることに相原自身も驚いた様子を一瞬見せたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべる。
「……戻ってくるとは思わなかったよ」
あくまでも軽い調子で言いながら、相原は靴をぬいであがってくる。それを仁王立ちして待ち構え、沙和は「……なんで急に返事しなかったり、この家から出て行ったりしたの」と相原を見つめた。沙和の目の前で立ち止まった相原は、片眉をあげて沙和を見つめてくる。
相変わらず、ポーカーフェイスがうまい。
心の葛藤をすべて隠して、相原は余裕の表情で沙和の言葉を待っている。何事もなかったかのように笑いかける相原が憎たらしい。けれどきっと彼だって、今心の中では嵐が巻き起こっているはずだ。
行く手を阻む沙和に、相原は「ここで話をするのか?」と目を瞬かせた。ソファに座ってゆったりとでも思っていたのだろうけれど、沙和は首を横に振る。
「ここがいいの。勢いが必要だから」
「なるほどね」
了解と相原は短く答えると、壁に寄りかかった。
「……望月と同じように、俺にも考える時間が欲しかったんだ」
「だとしても、メッセージの返信くらいできるでしょ」
「ああ。……結局のところ、望月の出す答えを聞きたくなかっただけかもしれない」
「あり得ない!」
沙和はずっと腹の中にためていた言葉を放った。相原が沙和の前からいなくなって数週間、ずっと募らせていたのは恋慕だけじゃない。怒りもだった。あまりにも平素と変わらない相原にも怒りがふつふつとまた込み上げてきて、沙和は拳を握りしめて相原をにらみつけた。
「あんなに私のこと……好きだとか言ってたくせに、いざとなったら姿くらまして、逃げて……。人をなんだと思ってるの! 私言ったよね、ちゃんと相原と向き合いたいって……だから少し考えたかっただけなのに、相原自身がいなくなったら、どうにもできないよ」
「望月……」
「相原のこと……確かに最初はすごくひどいと思ったし、軽蔑した。怖かったし、逃げたかった。あんなことする人だと思わなかったから……本当に悲しかった」
相原の表情が初めて歪んだ。
沙和があえて選んだ言葉に、傷ついているのが伝わってくる。それは自分の言葉が相原の心に切り込んでいる証だ。
相原の中に潜む感情を、沙和は見たかった。どんなに薄暗くても良い。平気なふりも強気なふりももういらない。
隠さずにありのままの相原を見せて欲しい。
何も分からないまま翻弄されるのは、もう嫌だった。
ぐっと足に力をこめて沙和は続ける。
「でも……相原が不器用なだけだって分かってからは……少しずつ変わってきた」
「不器用? ……俺が?」
沙和の言葉に相原は眉根を寄せた。思いもしなかった指摘なのだろう。そうだよ、と沙和はうなずき続ける。
「ものさしが極端すぎるよ。良いか悪いか、成功か失敗か、好きか嫌いか……。結果でしか物事を測ってない。だからそこまでには過程があるってことすっ飛ばしてる」
「……違う」
「違わない。今回だってそうでしょ? 勝手に連絡を絶ったりしたのは、私が拒絶するだろうって決めつけたからじゃないの?」
不意に腕を引っ張られて、壁に強く背中を押し付けられる。さっきまで相原が寄りかかっていた壁に今度は沙和が押さえつけられていた。
肩を強く掴み、相原が顔を近づけて来る。
「……望月は俺のカウンセラーにでもなったつもりか……?」
その目には怒りが燃えていた。
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