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成長した僕が泣く理由
成長した僕は泣く理由も変化する。
ハイハイから掴まり立ちを経て歩けるようになった僕は、見るものすべてが珍しかったはずだ。たとえ狭い日本家屋であっても、僕の目には無限大の冒険の舞台であったに違いない。
『卓也くんは引き出しの大好きな子だったから、ほんと大変だったのよ。ちょっと目を離すと中身を全部出しちゃって、それでねーー』
母さんは訴えかけるような目をして言った。
『あなたの手に、新調したばかりの眼鏡が握られていてね、あぁーって思ったの』
時すでに遅し。僕の手に握られた眼鏡は真っ二つに折れていたらしい。
『それも二度も。あれ一つ四万円もしたんだから……』
根に持たれたって仕方ない。幼い僕に罪の意識はないのだから。
いたずらっ子だった僕のせいで、さっぱり家事が進まなかったとか。ちょっと目を離すと幼い僕は、しれっと悪さをしていたのだという。したがって母親は一策を講じた。タンスの下段のタオルばかりを詰め込んだ部屋に、僕を隔離したのだった。
そのころの写真が一枚残っている。
部屋の入口をのの字に巻いた布団で塞いであった。床に敷いたシーツの上に好物の卵ボーロが転がっている。その傍らで、布団バリケードを乗り越えらなかった僕が、泣き疲れ、指を咥えたまま寝てしまっている姿が写っていた。
この写真も、幼稚園のころにたまたま宝探しの最中に見つけたものだ。したがって、母さんに訊くまでもなくおよそのことは知っていた。
ずっと後になって、写真の入っていた引き出しには、それと一緒に若かりし頃、母さんが父さんに宛てたラブレターが入っていることが判った。それを字が読めるようになった僕が見つけ、にやついて読んだのを今も記憶している。
低学年のころは二つ下の弟とよく喧嘩をしたものだ。弟は後から生まれたくせに負けん気が強く、『兄ちゃんのバカやろう』なんて言いながら、どんなことも頑として譲らなかった。取っ組み合いから、僕は弟にちょくちょく泣かされた。大抵はゲーム機の取り合いだ。たまに兄の威厳をどうにかして取り返そうと、弟をやっつけることに成功するも、年上だからという理由だけで父さんに怒られる。僕はその理不尽さに、またまた大泣きするのだった。
小学三年生になってからの僕は、クラブチームでサッカーを始めた。クラスの女子もたまたま同時期に同じチームに入った。その子は足も速くボール回しもうまかったことからすぐにレギュラーの座を掴んだ。一方、僕はというと、ベンチを温める日が長いことつづいた。情けない自分に悔し涙を流した。
思えばこのころからだ。
『男の子がめそめそ泣くだなんてカッコ悪いーー』
『泣くな、男だろ!』
いったい、いつ、誰が決めたのだろう?
小学六年生の三学期、スクールカースト上位の女子たちから呼び出され、びびりながら公園に行くと、バレンタインチョコだといってごてごての手づくりチョコレートを手渡された。ひと月後、ホワイトデーのお返しを迫られた僕は、手づくりするわけにもいかず、泣く泣く小遣いの中からお返しをする羽目になった。これ以降”義理はいらねー”と願うようになった。
中学生になって、僕はサッカー部に入部する。中途半端にできたことから先輩に生意気だと泣かされた。一年後、今度は後輩をいじめたと叱られ、先生に泣かされた。中三になった僕は、憧れの保健の先生が結婚してしまって密かに泣いた。
高校受験。サッカーの名門校に行けずに悔し泣き。
公立高校のサッカー部に入部するも、三年の夏に予選敗退で男泣きする。
それほど名門でもない私立大学の経済学部に入学。
サッカーとはすっぱり縁を切った僕は、大学のサークルに入り、バイトにあけくれた。毎日がお気楽。毎日が楽しくてしょうがない。泣く理由もなくなり、すっかり泣く行為そのものを忘れてしまった。
思えば、僕の人生において大学時代が一番輝いていたかもしれない。
そして就活ーー
僕らは運の悪い世代だった。
株価が暴落し、世の中が急転直下。リーマンショック後は未曾有の就職難だった。僕は十三社も受けるもすべて不合格。人間失格。人生の落伍者の判を押され、人生最大の難関に涙すら出ない状況に陥った。
結局、高校の時代のサッカー部つながりで、なんとか首の皮一枚で冷凍食品の営業部に決まった。いかにライバル会社を差し置いて、新製品を売り込むか。主婦の方々の目につく場所に陳列してもらうのが仕事だった。熾烈な値引き競争、販売不振に泣かされ、涙を流す暇もないくらい仕事に追われる日々がつづいた。
その二年後、弟はあっさり郵便局員になった。
もうここまできたら泣く理由なんかそうそうない。
入社三年目にして主任になった僕は、ある女性に好意を抱いた。上司である部長と取引先の水産加工会社の社長にキャバクラなるところに連れていってもらった。そこにいた接客業の女性の愛らしいことといったら! 彼女のキラキラする笑顔に、僕の心臓は射抜かれた。
それからというもの彼女に会いたくて、僕は一人でキャバクラに行くようになった。意中のコの名は“綾香ちゃん”。ミラーボールとシャンデリアの煌めきの下で、夜のアゲハ蝶は若手IT会社の社長や投資家といった今をときめく花形起業家の間をひらひらと舞う。
一介のサラリーマンの僕も負けじと一本数万円のボトルをつぎ込み、綾香ちゃんにおねだりされた高級バッグをプレゼントするも、夜の蝶は微笑んだかと思えばすぐに僕の手をすり抜けて飛んでいってしまう。
やがて金は尽き、サラ金に手を染めた僕は、借りた三十万ほどの金があっというまに二百万円まで膨れあがった。
強面のお兄さんが家までおしかけてきて、僕に借金があることが家族にばれてしまった。母さんは泣き崩れ、弟はダメ人間のレッテルを貼った。九十歳を超えるばあちゃんは卒倒して危うくあの世に逝きかけた。激高した親父が僕に『卓也、目を覚ませ』と、思い切り僕の頬をぶん殴る。おかげで前歯が一本折れ、切ない僕の恋は歯抜けととともに終わりを告げた。
不甲斐ない僕はうなだれるしかなかった。だが、不思議と涙は出てこない。そうだ、僕が生きてきた中で、この時ほど泣けないときはなかったのだ。
結局、赤ん坊のころと同じで、尻を拭ったのは母親だった。僕が家に入れていた金を母さんは結婚資金として貯めていた。それをそのままそっくり返済に充てることで、借金を完済したのだった。
キャバクラ事件以降、会社でも鳴かず飛ばずのポジションだった僕は、同僚が係長や課長に昇進するも、依然として主任のままだった。そんな具合だから、家族のまえでも会社の話題を避けるようになった。負い目もあって、僕は自分の部屋に引きこもるようになった。
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