【夏は夜:05】光明を得て、尚、闇の深さを知る

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【夏は夜:05】光明を得て、尚、闇の深さを知る

 7月はすでに暑い。  私、井沢景は夏という季節が嫌いだ。  教室で座っているだけで汗が噴き出す。  うちの学校は県立だから、空調はあってもそんなに効いていない。  この状況で授業に集中しろというのは無理がある。    先週は学校の行事のセミナー合宿で、県内の山中にある中府(なかくら)市の研修センターに行ってきた。  あの辺りは涼しくてよかったなあ。  シェイクスピアの「リア王」について話し合った。  同じ話でも、人によって色んな捉え方をするものだなあと感心した。  ちゃんとみんな「リア王」を読んできて人前で意見が言えるのがすごいなあと思った。  やっぱりこの高校に来てよかった。  今回の合宿のグループは安住(あすみ)ひかりさんと高岡泉さんと一緒だった。  高岡さんは入学してからあまり話をしたことがなかったけれど、ひかりちゃんが声をかけたら一緒のグループになってくれた。  男子は大町くんに声をかけたら「いいよ」と了解を得たのですぐに班決めができた。  私1人だったらきっとぼっちで困っていただろうと想像すると夏なのに寒気がする。  高岡さん(事情があって1つ年上だからちゃん付けではまだ呼べないな)は話してみると話題が豊富で、本をたくさん読んでいる人だとわかり、とても仲良くなれた気がする。  それにカメラが趣味だということで、合宿中にたくさん写真を撮ってくれた。班のみんなが喜んでいた。  私も高岡さんもバスで隣が男子だったけど、楽しく過ごせてよかった。      セミナー合宿の次の週に、朝のホームルームで、文化祭実行委員のふたりから 「1週間後の帰りのホームルームで文化祭に教室で行う演劇、通称:小劇場演劇の演目を決めます。  何か演りたい演目がある生徒は文化祭実行委員まで作品名とできたら簡単なあらすじを提出してください」 と話があったみたいだ。  「みたいだ」と行ったのは、その日の1限の英語の授業で当たりそうな日なのに予習を忘れていたからだ。  辞書なんて引いてられないから、必死に教科書を読んでなんとなく理解しようと絶賛追い込み中だったのである。  故に、その時、文化祭実行委員から言われた 「あっ、それと、図書館に過去の文化祭のパンフレットが置いてあるようなので、参考にして下さい」 という言葉を私は聞いていなかった。  私が学校の図書室に過去のパンフレットが置いてあることを知ったのは随分後になってからであった。    かくして訪れた1週間後の帰りのホームルーム。  長丁場となりそうな文化祭の演目決めである。    すでに何人かの生徒が作品を候補に挙げていた。  私は演劇について全く詳しくないので候補を出さなかった。  もっと戯曲を読むようにしないといけないな。セミナー合宿の時にも感じた。  まず候補作品として挙げられた作品名とあらすじ、演者の数などが書かれたプリントが配られて、それを各自が読んだ。  候補作を挙げたものがプレゼンで決着、という決め方を今回は避けた。  誰が推した作品か?ではなくて、どんな作品か?で選ぶべきだろう、という文化祭実行委員の判断によるところだった。  私もその判断には賛成だ。  まずは最初に、「それを教室内ステージでやるのは無理でしょ?」「普通に演じたら2時間以上かかるよ」という反対意見が強かったもの2作品は却下された、  だいたい上演時間は1時間くらいに納めるように、というのが暗黙のルールである。  そして残ったのは3作品。 ・弘田正樹著 小説「空は星の海」(戯曲化が必要)  :遠距離恋愛の男女の悲哀を描いた今年刊行された大ヒット小説。 ・さわむつみ(劇団:ジェット気流)作 戯曲「君さりし夜」  :今年、いくつかの戯曲賞を受賞した小劇場演劇で、内容はシリアスなヒューマンドラマ。 ・津川マモル(劇団:津川塾)作 戯曲「Round Bound Wound」  :今も俳優として劇作家として演出家として一線で活躍している著者による10年前のドタバタコメディー。  どれも面白そうだが、戯曲化されていない小説ってのは無理でしょう。  その作業はプロがやっても難しいのに。  上演許可も取りにくそうだし。  などと思っていると、やはり周りからも同意見が。  ということで、なんとなく「空は星の海」は却下。  その後、「君さりし夜」か「Round Bound Wound」かで1時間以上も延々議論が続く。  隣の席の大町くんはさっきから何やら冊子を読んでいる。  気になったので私が 「大町くん、何読んでるの?」 と尋ねると、 「これ?  去年のうちの文化祭のパンフレット」 との答えが、思わず 「え~!  なんで大町くんがそんなの持ってるの?  大町くんも去年の文化祭を見に来てたの?」 と尋ねると、 「いや、俺は去年、季節外れの夏風邪を引いて高熱出して寝込んじゃって。  見に来たかったんだけど来られなかったんだ。  実は俺、姉貴がいるんだけど、知り合いの知り合いがいるってんで去年の暁月の学祭に来たんだとさ」 「それちょっと見せてくれない?」 「ああ、いいよ」 と大町くんは私にパンフレットを渡す。  付箋が貼ってあるページがある。  そこに何かあるのかな?と見ると、そこは昨年の2年C組の演劇紹介ページで 「なになに、タイトルが、『輝く夕焼けを眺める日』、、、え~!」  思わず声をあげたので、みんな一斉に振り返る。  私は顔の前で手を合わせて無礼を詫びる。  みんなは議論に戻って行った。  もう一度読み返す。  2年C組 演劇:輝く夕焼けを眺める日<作:佐倉真莉耶(さくらまりや)>  ついに発見!  佐倉真莉耶っていうのは本名かな?でもペンネームっぽいなあ。  実は昨年の文化祭で買った文芸部の部誌「文芸・東雲」を散々探しているのだけど結局見つからなくて「輝く夕焼けを眺める日」の著者が誰なのか分からなかったのだ。  高校入学前に色々と処分した中にあったのかも知れない。  教室ではスマホを使えないので、メモ帳に手書きで「佐倉真莉耶」とだけ書いて、パンフレットを大町くんに返す。 「ありがとう。  そこに付箋貼ったの大町くん?」 と軽い気持ちで尋ねたら、 「いや、姉貴が貼ったんだ。  姉貴、去年、この舞台見たんだってさ」 とのまさかの回答に、また声をあげそうになるのを必死に堪えて、声のトーンを抑えてさらに訊く 「で、どうだったって、お姉さん?」 「最悪だったって。脚本は悪くなさそうなのに演出・舞台美術・衣装・演技が全くそれに合ってないどころかめちゃくちゃだったって」  私は大町くんに自分がこの戯曲をとても好きなこと、この作品について調べていること、なんの痕跡も残っていなくて困っていたことを伝えた。  こんな近くに、「輝く夕焼けを眺める日」のことを間接的にとはいえ知ってる人がいたなんて、、、。  しばらく悔しくて涙が出そうだった。    そんな私の姿を見て、大町くんは 「また何かわかったら井沢さんに教えるから。な?」 と慰めてくれた。  大町くん、優しい。  余計に泣けてくるよ。  それから30分ほど経った。  ほぼ議論はされ尽くしたであろうということで、多数決を取ることにした。  ただし、決定するにはクラスの出席者の3分の2以上を持って可決とする旨が宣言された。  決まらなければさらなる議論が続くという、コンクラーベ方式である。  沢野先生は窓際で黙って生徒たちの姿を見つめている。    1回目の多数決の結果。  「Round Bound Wound」が過半数を取ったが、3分の2を取れなかった。  また議論が始まる。  うちのクラスのノリは川上くんや上田くんに象徴されるように、明るく笑い合う、というものだ。  ただ、それに乗れない生徒だっている。  だから揉めるし話し合う。  変に過半数で決めてしまってクラスが割れるよりはずっとマシだ。  そこから15分ほど経った時に川上くんがやおら立ち上がると、教壇の前に立つ。 「よし、分かった。  『Round Bound Wound』は俺が提案した作品じゃないが、ドタバタコメディで面白そうだ。  もし、そっちに決まったら俺が舞台監督をやってやる。  喜劇なんだから上田を出そう、大町だって出そう、出たい奴はみんなで出よう、  脚本の解釈とかは井沢さんに教わる。  協力してくれる奴はどんどん名乗りを上げてくれ!」  勝手に名前を挙げられた私と大町くんは 「いやいや」 と首を横に振るが、時すでに遅し、 「じゃあ、俺が大道具やる」 「私は衣装やりたい」 「私、劇伴音楽やりたい」 「私、舞台写真を撮ります」  どんどん名乗りを上げて、高岡さんまで立候補している。  楽しいなこの雰囲気。  その勢いで、「君さりし夜」を押していた生徒たちも 「もう、そっちでいいんじゃないか?  多数決を取るまでもないよ」 と敗北宣言をしただけでなく、川上くんとなぜかガッチリ握手をしている。  「Round Bound Wound」という作品を提案したのが実は高岡さんなのをみんな知らないままで演目が決まった。  よかったね、高岡さん。 1年D組 演劇:Round Bound Wound   作    :津川マモル   舞台監督 :川上裕二(ゆうじ)   演出補佐 :井沢景   主演(仮):上田清志(きよし)   助演(仮):大町篤  ここまでの座組みが早くも決まった。  私はとてもあがり症なので、出演しなくて済むのなら脚本の読み込みくらいやります、と内心喜んでいたが、それがいかに大変なことかを後に知ることになる。    戯曲の権利関係の調整は沢野先生の方から「劇団:津川塾」さんに確認を取ってくれるそうなので、正式にOKが出るまではまだ準備を始めないでほしい、とのことだった。  そうして長かったホームルームが終わった。  さて、私はようやく名前を知った「佐倉真莉耶」なる生徒を探すことにする。  昨今の個人情報保護優先の観点から、うちの高校では全校生徒の名簿を生徒に配布していない。  しかし学校の運営のために、その名簿は実在しているはずで職員室には必ずあるはずだ。  でもとてもじゃないがこんな理由では先生たちから全校生徒名簿を見せてもらえない。  ならば、生徒側で持っている者はいないか。  全校生徒を束ねる三大組織、生徒会・自治会・部長連絡会議ならば持っているかも知れない。  私には生徒会・自治会に直接のコネがない。  この件で、文芸部の飯山部長の協力は仰げない。だから部長連に頼むのも無理だ。  間接的なコネはないか?  うちのクラス委員は、そういうのを頼める感じがしない。生真面目すぎる。  同じく自治委員もいかにもな優等生タイプでこういうズルを頼める感じがしない。  万策尽きたか、と思っていると、廊下から一人の生徒が入って来て声をかけた。 「井沢さん、大丈夫?  さっきから声をかけているんだけど返事がないから」  須坂くんだった。  F組はまだ演目が決まらず、途中でトイレ休憩と称して抜けて来たそうな。  いかにも彼らしい。 「D組はもう決まったの?」 「うん、決まったよ」 「何演るの?」 「津川マモル作、『劇団:津川塾』のドタバタコメディ『Round Bound Wound』だよ。  知ってる?」 「あ~、それ少し前にはやってたよね。  僕はあそこの劇団が好きだよ」 と知ってた須坂くん。  相変わらず守備範囲が広い。 「で、ホームルームが終わったのになんで教室に残っているの?  居残り?」 「いや、そうじゃなくて。  あ、そうだ!  須坂くん、生徒会か自治会か部長連に知り合いがいない?」  ダメ元で須坂くんに訊いてみた。  須坂くんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、自分の顔を指差しながら 「僕、自治委員だよ」 と答える。  まさかのビンゴである。  自由奔放な須坂くんが規律の番人たる自治委員をやっているとは!  失礼を知りながら理由を尋ねたところ、何やら好きな小説に出てくる腕章をつけた風紀委員がかっこよくて憧れていたのと、例の「部活勧誘会」での自治委員の活躍を見て立候補したそうな。  真面目なんだか不真面目なんだか、相変わらずわからない。    そこで、無理を承知で頼んだ。 「私、調べたいことがあるの。  ある生徒がこの学校に在籍しているかを知りたいの。  個人的な理由なんだけど、自治会室にもしも全校生徒の名簿があったら見せて欲しい。  知り得た情報を悪用したりしないし、須坂くんに見せてもらったことも内緒にする」  須坂くんは即答する。 「いいよ、よほどの事情があるんでしょ?  深くは訊かないから、今から一緒に自治会室に行こう」  「ホームルームは?大丈夫なの?」 と尋ねると、須坂くんは黙ってズボンのポケットから赤い腕章を取り出して袖につけ 「はい、これで大丈夫」 と私と一緒に別棟にある自治会室へ向かった。  なるほど、赤い腕章はパトカーや救急車のサイレンと同じなんだね。  でも須坂くんにとって「赤い腕章の赤は赤点の赤」でもあるんだけどね、などと前を歩く小さな頼もしい背中を眺めながらそう思う。  ふたりで自治会室に入ると須坂くんは速やかに生徒名簿を見つける。  今年度版と昨年度版でいい?と須坂くんは2冊を持って来てくれた。    「佐倉真莉耶」を探せ!  まず今年度の名簿を3年生から1年生まで順番に調べる。  サ行をチェックするだけだから時間はかからない。    いない。  やはり昨年度の卒業生か?  と思って、昨年度の名簿も調べる。3年だけでいいはず。    やはりいない。  念のために2年も、と2年A組のページを開こうとした時に、 「あれ?鍵が開いているな」 ガチャっと音を立てて自治会室に人が入って来た。  男子生徒だ。  マズい、と名簿を閉じて、言い訳を考える。  須坂くんに迷惑をかけてはいけない。  考えろ、考えろ、考えろ、、、。  パニックになってて頭が真っ白になって言葉が出てこない。  困った。  すると、須坂くんは何事もなかったように 「小諸(こもろ)先輩、お疲れ様です  実は、この子が下校時に気分が悪くなった時に助けてくれたうちの高校の生徒がいたらしくて、名乗らなかったのですが、お礼を言いたくて探していたそうです。  他の生徒が呼んでいたその生徒の名前だけが唯一の手がかりで、僕の方から協力を申し出ました」 とすらすらと事情説明をする。  もちろん、口から出まかせである。にしてもすごい。  小諸先輩、という先輩は、 「そうだったか。  それは大変だったね。  もう体調は大丈夫かい?」 と気遣ってくれる。よく見たら上履きの色が3年生だった。 「はい、もう大丈夫です」 と答える。私は最初から大丈夫なのである。  すると、小諸先輩は 「ちなみになんと呼ばれていたんだ?  俺も顔が広い方だから力になれるかも知れない」  私は迷った、正直に「佐倉真莉耶」という名前を言うか?それとも誤魔化すか?  3秒ほど迷った挙句、 「はっきりとは聞き取れてないのですが、『まりちゃん』だったと思います」 と、ごまかした。だが嘘はついていない。  すると小諸先輩は 「『まりちゃん』ってことは女子生徒だな。  女子生徒の呼称まではさすがに把握していない。  うちの生徒ってわかったってことは制服を着ていたんだね。  なら調べるべき名簿はそっちじゃない、こっちだ!」 と今年度の名簿を私に渡し、昨年度版を回収して棚に戻す。 「名前に『まり』がつく生徒をメモしておいて後でクラスを回る他ないけど、それでいいか」 とごもっともな提案を受ける。すごく寛容で物分かりのいい先輩だ。 「はい」 と私は答え、しばらく今年度の名簿から「まり」と読む名前をピックアップする作業を続けた。  あ~キツかった。  校内に「まりちゃん」多すぎ。  でも「真莉耶」「まりや」はいなかったので調べた甲斐があった。  小諸先輩という度量の大きい先輩、ありがとう。     深々とお辞儀をして私は須坂くんと一緒に自治会室を出る。 「須坂くん、さっきはフォローありがとう。  さっきの先輩、優しい人だったね」 と感謝と感想を伝えると、須坂くんは今更ながら青ざめた表情で 「何言ってんの、井沢さん?  さっきの先輩が自治会で一番怖い小諸先輩だよ。  あ~心臓止まるかと思った」 と衝撃の事実を告げた。  私はさらになんどもお辞儀してお礼を言い、須坂くんと別れた。  その時、一層の事、私が抱えている「疑問」を明かして知恵を拝借しようかと思った。  でも、やめた。  これはあくまで私の問題だ、須坂くんに迷惑をかけてはいけない。  その後、部室でポメラでメモを取りながら考えた。  隣で稜子ちゃんが快調に執筆を進めているので黙って考える。  稜子ちゃんのクラス、A組は少し前にブームを起こしたアニメミュージカル映画を舞台化するらしい。  稜子ちゃんは衣装係という無難なポジションに身を置いたそうな。  いいなあ、羨ましい。  私なんて戯曲の解釈を決める重責だよ。  まあ、役者をやるよりはいいけどね。  さて、問題は「佐倉真莉耶」である  調べた限りそんな名前の在校生はいない。  昨年度の卒業生にもその名前はなかった。  すると、浮かび上がるのが、 (1)部外者説 (2)ペンネーム説 (1)部外者説  部外者説をまず考える。  実は今も創作活動を続けている文芸部のOG(?でいいよね。女性だよね)かも知れない。  昨年の部誌「文芸・東雲」に寄稿していたくらいだからうちの部と無関係ではないはずだ。  部室の共用パソコンを使って検索エンジンで「佐倉真莉耶」と入れてみるが、該当する情報はない。  全ての情報がネットに転がっているとは断定できないので、まだこの部外者説は否定できない。  一旦、保留だ。 (2)ペンネーム説  こちらの方が有力か?  昨年の文化祭で発行された部誌「文芸・東雲」に寄稿されて、文化祭で2年C組により同じタイトルの、偶然の一致がありえない「あの長いタイトル」の戯曲が上演されたのだから、きっと「文芸・東雲」に準じて文化祭のパンフレットでの脚本家のクレジットもペンネームだったのだろう。  今いる先輩たちもみんなペンネームで投稿している。  ペンネーム説は可能性が高いと思う。  じゃあ、ペンネームから本名を割り出すことはできるか?  まず不可能だろう。  よくミステリー作品においてアナグラムで解読することはあるけど、あれはあくまで「著者が登場人物の名前からアナグラムでペンネームを作った後、もう一回元の名前に戻している」訳なので、実際のアナグラムを解読するのは、アルファベットまで使うとなると、スーパーコンピュータとか量子コンピュータとかがないと不可能だろう。  私には名探偵のような灰色の脳細胞などない。平凡な高校生なのだ。  でも一応やってみる。  <さくらまりや>:やりま・さくら、さくらま・りや、くらやま・りさ  結構あるなあ。  <Mariya Sakura>:Sakiyama Rura (さきやま・るら)  こんな名前の日本人はいない(多分だけど)、それに、めんどくさい  もしも現在の文芸部の先輩たちみたいに全然本名と違うペンネームだとしたら完全にお手上げだ。  須坂くんみたいに「サカスコータ」なんてわかりやすいのだと楽なんだけど。おそらく中学生が安易に考えたペンネームなのだろうね。 (1)+(2)部外者かつペンネーム  これもお手上げだ。  さらに先日思いついた (3)合作説 もある。  結局、「佐倉真莉耶」って誰なの?  私はいつもこの部室に漂っている違和感のことを思う。    3年生は明らかに何かを隠している。でも訊けない。私はそれほど無神経じゃない。  2年生の先輩も場の空気を慮って黙っている。この先も話してくれることはないだろう。  もうだめだ、これ以上は手詰まりだ。  息がつまる。  誰かに相談したい。  誰に?  稜子ちゃんはとても巻き込目ない。  万が一、今後この問題で気まずくなって退部する羽目にあうのは、私ひとりで十分だ。  純粋に文学が好きな稜子ちゃんはこの場にいるべきだ。  私が逡巡していると、「ひとりの人物」の顔が、その大きな背中が脳裏に浮かぶ。  彼ならば、根気よく「問題」を解決してくれるかも知れない。  どうしようもなかったら、最後に頼れるのは彼しかいない。  でも、今のところ彼は完全な部外者だ。  たまたま今日は大きなヒントをもたらしてくれたけど、あれはあくまで偶然でしかない。  誰か他にいないかな?  そうやって途方に暮れていると、須坂くんが部室に現れる。  ようやくF組の演目は「十二人の怒れる男」に決まったそうだ。  これは説明不要の名作だ。  須坂くんは、これまた小道具係その3という楽しそうな役割についていた。  この時、私は「須坂くんが羨ましい」と思った。  その後、彼がとても重い任務を自ら買って出ることになることを私はまだ知らない。  自分のモチベーションが上がることならば、須坂くんはかなりの負荷を自分に貸すことを厭わない人だと私が知るのももっと先の話だ。    須坂くんと稜子ちゃんがお互いのクラスの演目について話している最中、私は全く別のことを考えていた。  ポメラに文を書いて須坂くんに見せる。 「須坂くん、相談したいことがあるの。  帰りに、時間ある?」  すると須坂くんもポメラを取り出して 「いいよ、部室じゃ話しにくいんだね。  じゃあ、帰りに梅ヶ丘駅で一緒に降りて、お店に入ろうか」  稜子ちゃんはその手前で降りるので、ふたりきりで(深い意味はない)話ができる。  すぐにその機転が効くあたり、須坂くんはすごいなと今日はつくづく思い知らされた。    私は 「じゃあ、それでお願い」 と返事をして、以後、私も須坂くんも執筆に入った。  とはいえ私の心には雑念だらけで筆が進まない。  う~、書けない。  もうそろそろ帰ろうか?と思っているところへ中野先輩がやってきた。 「ごめんね、遅くなって。  何か困ったことなかった?  文化祭の準備で立て込んでて私もう一回クラスに戻らないといけないの。  奈津美は?」 と忙しそうだ。  最初から部室にいた稜子ちゃんが代表して 「まだみえてません」 と返答する。 「3年生の先輩も文化祭準備で忙しそう。  しばらくこんな感じだけど、ごめんね。  なんかあったら私にメール入れておいて、パソコンの方のね」 そう言い残すと、ポニーテールを揺らして颯爽と去っていった。    「もう遅いし帰ろうか?」 と須坂くんがきっかけを作り、帰り支度をして部室の鍵をかけ一緒に帰った。  途中の駅で稜子ちゃんを見送り、心の中で「今はまだ話せないからごめん」と謝った。    梅ヶ丘駅で地下鉄を降りると、そこは須坂くんの地元なので黙ってついていく。  駅のターミナルビルに別の学校の生徒で賑わうハンバーガー屋があったのでそこに入るのか?と思ったら、その店には見向きもせず通り過ぎる。  表通りに出ると2つ目の角を曲がって奥に入っていくと、3ブロックほど入ったところにこぢんまりとした喫茶店がある。  「木兎(みみずく)珈琲館」と書かれた木彫りの大きな看板が入口の横にある。  全体的にシックな佇まいだ。落ち着いた感じでいい。 「この店に入ろう。  僕の行きつけの店だから大丈夫だよ。  全席禁煙だし、お客さんも常連が多くて静かだ。  ゆっくり話をするにはもってこいだ。  入るよ。」 「うん」  私は頷いて店内に入る。  店内も落ち着いた雰囲気で、年季が入った調度品が心地よい。  お店にはカウンターに1人、テーブル席2つにそれぞれに3人ずつのお客さんがいる。  確かに騒がしくはない。  店主と恐らくはその奥さんのふたりでやっているお店のようだ。  ちょうど奥の方のテーブル席が空いていたのでそこに座る。 「ここのブレンドは美味しいよ。  ケーキもおすすめだ」  私はブレンドコーヒーを頼み、須坂くんはブレンドコーヒーとモンブランのセットを頼む。    周りからは私たちって、どう見られているのだろう?などと考えると赤面してしまうが、別にやましいこともないので考えないようにする。  しばらくするとコーヒーとケーキが運ばれてくる。 「ごゆっくりどうぞ」 と女性の方の店員さんが声をかけてくれる。  一口飲むと確かに美味しい。  このお店に須坂くんが通うのはわかる。  須坂くんはお腹が空いていたのか無言でモンブランを食べる。  スウィーツが好きなのね。  モンブランを食べ終わると、コーヒーを一口飲み 「で、話って何?」 ときっかけを作ってくれる。  私は言葉を選びながら、ゆっくりと私が入学以来抱えてきた疑問について話した。  須坂くんはそれを黙って聞いてくれた。  私が話し終わると、しばらく腕組みして考え込んだ後、 「言いたいことはわかったよ」 とまずは言葉を発する。  私が訳のわからないことを話しているのではないと伝わったようで、内心ホッとした。 「井沢さん、よくひとりでそこまで調べたね。  すごいよ。  それにしてもその大町くん、だったっけ?が去年のパンフレットを持ってて付箋が付いていたってのが驚きだよ。  偶然なんて軽々しいものじゃない。  まさしく『天啓』と表現してもいいんじゃないかな?」  などと大袈裟な表現をしているが、須坂くんの表情は真剣だ。  続けて、 「僕もね、文芸部には何かあるなってずっと感じてたんだ。  部誌なんてものはいくら手狭になったからって普通は近々の何年か分くらい置いておくだろう?  新入生に読ませたいだろうし、初めて書く時のお手本になるもんね。  その時点で不自然だって思ったよ。  井沢さんの意見には僕も同感だ。  気になるなら気の済むまで調べればいいよ。  あくまで穏便にね。  その辺りは、井沢さんは賢明だね。  ただ、調べた結果として判明した『隠された真実』がもしも誰かを傷つけるようなものなら、その時にはふたりだけの秘密にすれば良い。  僕は喜んで協力するよ。  ただくれぐれも内密にね」 と協力を約束してくれた。  ああ、私の選択は間違っていなかった。  目の前にいる人の、その小さな背中は頼っていいものだったんだ。  私はつい涙ぐんで、須坂くんを慌てさせた。  店内にいた人たちから見たら、きっと別れ話で女の子を泣かせた男の子に見えたに違いない。  私は少し落ち着いてから須坂くんと「佐倉真莉耶」という謎の人物についてあれこれと仮説を立てた。  無論、仮説をいくら立てたところで、真実は見えない。  真実はまだまだ気の遠くなるくらい深い闇の中にあるに違いない。    帰りにお会計をするときに、店主の奥さんと思しき方から 「あなた、大丈夫ですか?」 と言葉をかけられた。  私は先ほど涙ぐんだのをすっかり忘れていたので、慌てて「実は嬉しいことがあったんです」と伝えた。  そうでもしなければ、次から須坂くんがこんないいお店に来づらくなってしまうからね。  店の外に出るともう月が出ていた。  夏目漱石を好きな私がここで 「月が綺麗ですね」 などというと、ややこしい事態になるので口にはしなかったが、その時に見た半月は今までに見たどんな満月よりも美しかった。   (続く)
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