39人が本棚に入れています
本棚に追加
【夏は夜:06】釈迦の掌の孫悟空
もうすぐ夏休みだ。
この学校は宿題もないし、涼しい自宅で本でも読みながらのんびり過ごそう、という私、井沢景の思惑は、1年D組の文化祭での小劇場演劇「Round Bound Wound」で演出助手を仰せつかった時点で早くも打ち砕かれた。
おまけに、部誌の「季刊・暁天」と「文芸・東雲」にも新作の原稿を寄稿しなければならない。
自分の意思で決めたこととは言え、今まで経験したことのない「創作」という領域に踏み込もうとしている私の心には「不安」の2文字しかない。
夏目漱石は「草枕」の中でこう書いている。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
私は、知恵を絞って「佐倉真莉耶」という謎の人物の書いた自分が心を奪われた作品、戯曲「輝く夕焼けを眺める日」について調べていたら文芸部の先輩たちに対して角が立ち、川上くんに頼まれたからという理由でクラスの舞台の演出助手を引き受け、そんな状況でありながらも何としても「佐倉真莉耶」のことを調べてみせようと心が詰まるような思いをしている。
まだ入学して3ヶ月しか経っていないというのに学校生活がいささかキツくなってきた。
水曜の6限には「クラブの時間」がある。
その日は夏休み前の最後の「クラブの時間」だったので、本来であれば「季刊・暁天」に掲載する新作を先輩たちに読んでチェックしてもらうはずだったのだが、どうしても書けなくて先輩に謝る。
きつく叱られることを覚悟してその日は朝から胃が痛かったのだが、「無い袖は振れない」と許してもらえた。
先輩たちにとっては想定の範囲内だったようだ。
意外にも須坂くんも寄稿する作品を書き上げられなかったので、私と同じく、次の全校出校日までに書いて来るように指示を受けた。
須坂くんの場合はネット小説の連載を2本抱えており、しかも「季刊・暁天」と文化祭で販売する「文芸・東雲」に掲載する作品を並行作業で執筆していたそうだ。
本来ならば途中書きでも持ってこないといけないのだが、須坂くんについては作品を完結させる実力があることはわかっているので「執筆途中の原稿を提出したくない」という彼のプライドを尊重してくれたのだ。
同じ不提出でも私とはレベルが違うのである。
もう1人の1年生部員である筑間|稜子さんは、プロットと途中まで書き上げた原稿を部長の飯山先輩に提出し、「このままプロット通りに書くと仮定すると推定原稿枚数は指定したページ数の3倍以上の量になる」との指摘を受けていた。
書き過ぎって何?
道理でいつ見ても書き続けていたわけである。
その原稿は電子書籍の「季刊・暁天」の方なので枚数オーバーは大目に見よう、とそのままのペースで書き続けて次の全校出校日までに書き上がった分の原稿を持って来るように言われていた。
稜子ちゃん、須坂くん、私にその執筆推進力を分けてよ。
助け舟を出そうと名乗り出てくれたミステリーが専門の3年生・松本先輩と2年生・岡谷先輩のふたりに私はプロット作りの相談に乗ってもらった。
稜子ちゃんは書き上げた原稿について、飯山先輩からアドバイスを受けている。
須坂くんはいつものようにポメラでどの原稿なのか分からないけれどともかく執筆に集中している。
2年生の中野先輩は、クラスの文化祭の演劇の準備で毎日お忙しいようでご自身の原稿の進行が遅れており、部室に入ってきてからひたすら原稿を書いている。
そんな状況が30分ほどたち6限終了のチャイムが鳴ると同時に、1人の来訪者があった。
ノックの後
「失礼します」
と挨拶が聞こえたので、入り口に近い席の中野先輩が、
「どうぞ」
と返事をする。
すると現れたのは、1人の女子生徒、背は私くらいで前髪を揃えた大きな瞳の印象的な子だ。
「失礼します。映画研究部、部長で監督もしております、2年の宮田麻里と申します。
今日は文芸部さんにお願いがあって参りました。
お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
飯山先輩は訝しがって
「映画研究部がうちになんのご用でしょうか?」
とややキツい口調で尋ねる。
宮田先輩は
「はい。ご説明させていただきます」
と負けじと答える。
「まあまあ、立ち話もなんだから、どうぞ座って。
お茶でも出しましょう」
と松本先輩が間に入って、余った椅子を共用コンピュータが置かれている場所とは反対側のお誕生日席に置き宮田先輩に座っていただく。
すかさず稜子ちゃんがお茶とお菓子を出し、宮田先輩は形ばかりに口をつけると、おっとり刀で切り出した。
「今年の文化祭では、例年通り映画研究部は短編映画を撮る予定になっています。
ただ、いささか問題があって企画段階で暗礁に乗り上げております」
「いささかの問題?」
飯山先輩の眉間に皺がよる。
宮田先輩は、明らかに部長の飯山先輩に対して話をしていたので、他の者は口を挟めない。
宮田先輩は少し間を置いて続ける。
「はい。
2年生の私が部長をしていることからお察しいただけると思いますが、うちの部には現在、3年生がおりません。
しかも、、、、脚本を書ける人材がおりません」
飯山先輩が無表情になる。
宮田先輩はさらに間を置いて続ける。
「それで、、、文芸部の方にオリジナルの脚本を書いていただけないかと、お願いに参りました」
そして、立ち上がって深々とお辞儀をする。
飯山先輩は答える。
「頭を上げてください。
お返事はすぐにいたしましょう。
お断りいたします」
宮田先輩はなおも抗う。
「無理を言っているのは承知しています。
しかし、私たちには他の選択肢がないのです。
人助けだと思ってお願いします」
飯山先輩は、
「うちの部員はご覧の通り7人だけ。
部員はみんな手が塞がっています。
みんな部誌2冊に掲載する原稿を執筆しています。
クラスの文化祭の準備で重責を担っている生徒もいます。
自分の責務を果たすだけで精一杯です。
脚本家を探すのであれば、うちよりも演劇部の方がよろしいのでは?」
といなす。
宮田先輩は、唇をぐっと噛み締めて飯山先輩の言葉を聞く。
悔しそうだ。
だが、正論すぎて反論できない。
すると今度は、宮田先輩は須坂くんの方を向いて話し出す。
「飯山先輩の仰ることはごもっともです。
しかし、文芸部じゃないと、いや、須坂公太くんじゃないと駄目なんです。
私の撮る映画には須坂公太くんの世界観じゃないと駄目なんです。
そんな理由ではいけませんか?」
一同が一斉に須坂くんを見る。
私が「知り合い?」と目線を送ると、「いやいや違う違う」と首を横に振る。
そんな我々の動揺に構わず、宮田先輩は話を続ける。
「おそらくこれはここで話していいことだと思います。
みなさん、須坂くんがネットで小説を発表されていることはご存知ですよね」
文芸部の部員全員が頷く。
本人が自己紹介で話していたくらいだから、秘密どころか、公然の事実である。
「私は、サカスコータ先生の小説のファンで、SNSでもよく好きな映画の話をしてます。
アカウント名は『まりみや@映画好き』です」
すると、須坂くんが
「あ~!」
と声をあげた。
「あの、まりみやさんなの?
結構なハードな内容の映画が好きな人だから、てっきり男の人だと思っていたけど。
『グッドフェローズ』でデレク・アンド・ザ・ドミノスの『レイラ』の後半のインスト部分が流れるシーンのカット割りが好きなまりみやさんね」
宮田先輩は嬉しそうに
「よく覚えてましたね」
と答える。
そして、話を元に戻す。
「それで、須坂くんの小説『Run and Gun』、ガンアクション小説なんですが、その世界観で映画を撮りたいと思ってお願いに来たのです」
いきなり切り込んで来た。
つまり、文芸部ではなくて須坂くんに依頼をしに来たのだ。
ただ、文芸部の部長を通さないのはマナー違反だからと筋を通してくれているのである。
須坂くんは二つ返事で
「はい、やりたいです」
と答える。
この人はいつもそうである。
須坂くんのモットーは「考えるな 感じろ」なのではなかろうか?
飯山先輩はようやく話が飲み込めたようだが、渋い顔をしている。
「須坂くん、脚本を書いたことはありますか?」
「ありません」
「あなたには、自分がネットで書いている小説2シリーズと部誌2冊の原稿を執筆するという責務があります。
ネット小説については私は詳しくないですが、あなたの新作を待っているファンに対して、あなたは責任を負っていると思います」
「それは理解しています。
でも、理解した上で、その脚本を書かせて欲しいと思います」
と須坂くんは折れない。
思わず、松本先輩が口を挟んだ。
「あのね、須坂くん。
小説と戯曲は別物だ、と言っている人も多い。
小説家と脚本家は別の仕事だということは知っているよね。
夏休みに入ろうという段階で、急造の脚本家が1ヶ月、いや撮影の期間を考えると長くても2週間で素人でも映像作品としてなんとか形にできる脚本を書けるわけがない」
飯山先輩も加勢する。
「私も同意見よ。
あなたはジャンルこそ違え、上級生を凌ぐ書き手よ。小説家としてはね。
でも脚本家じゃないでしょ?
ならば、結果は目に見えているわ」
須坂くんは反論する。
「でも、この先輩は僕の作品を読んで自分の映画の脚本を託したいと頼みに来たんじゃないですか?
それを無下に断ることは、、、」
宮田先輩は、黙って事の成り行きを見守ることしかできない。
本来ならば一番の中心人物なのに、今や完全に蚊帳の外だ。
ため息をついてから、飯山先輩はなだめるように言う。
「私は須坂くんだけじゃなく、この文芸部員たちがうちの生徒たちの稚拙な演劇や映画の上演台本を書かされることに嫌悪感すら覚えます」
やっと出てきた、それが本音か。
3年生がいない、脚本家がいない、なんていう弱小な映画研究部に大事な部員を貸せない。
これは、相手を見下した態度ではなく、部長としての責任感が言わせた言葉だろう。
しかし、「嫌悪感」って、すごいな。
すかさず、松本先輩がフォローする
「そこまで言わなくてもいいとは思うけど、僕も基本的には飯山さんと同意見だ。
脚本家がいないというのはそもそもは映画研究部の問題じゃないか。
本来であれば、無理筋を通さずに部内で解決するか映画を作らないかの2択しかないでしょ?
今年の文化祭は過去の作品のリバイバル上映でもすれば良いじゃないか?」
松本先輩は国公立大学の医学部を目指している。
地元の大学にはとても難しくて入れないから、遠い地方の大学を最初から目指している。
自分の人生において、厳しい選択を強いられている人からすれば、今回の映画研究部の主張は「甘えるな」の一言で済ませられる程度のものだ。
それをストレートに言わないところが松本先輩も飯山先輩も根は優しい。
それでも宮田先輩は食い下がる
「映画研究部が自主制作映画を作らなくなったら何のためにあるかわからない部活になってしまいます。
私は映画を撮るために映画研究部に入部したんです」
「知ったことか!」
と私は思わず言いかけた。
だがこの言葉はあまりに不躾なので飲み込んだ。
うん、このまま押し切って、オファーをきっぱり断るのが正解だな。これは私だけの意見ではないだろう。
部室内にそうした空気が流れて話がお流れになりそうになった時に須坂くんが
「待ってください」
と声をあげた。
「この先輩は、僕を頼って来てくれたんです。
せめて、試しに、僕に、、僕に脚本を書かせてください。
もちろん、文芸部にはご迷惑をかけないよう、〆切厳守で原稿を提出します。
ネット小説も読んでくれているみんなに迷惑をかけないように更新を続けます。
ですからお願いです、僕にチャンスをください。
僕にとっても、自分の作品が映像化する初めての機会なんです。
今後もう二度とないチャンスかもしれないんです」
思わずうなだれる飯山先輩と松本先輩。
ふたりでアイコンタクトをする。
仕方がないな、と決まった瞬間であった。
須坂くんが映画研究部の脚本を担当するにあたってのいくつかの条件が設けられた。
(1)8月の第1週にある全校出校日までに脚本の第1稿を上げる。
(2)それまでに脚本の第1稿が上がらなければ、映画研究部にはその時点で諦めてもらう。
(3)上がったら文芸部と宮田先輩で脚本をチェックする。よくなかったらそこで諦めてもらう。
(4)脚本のクオリティーが良ければ、完成稿まで仕上げ、あとの制作過程は全て映画研究部に受け渡して映画制作を行ってもらう。
(5)交換条件として、その戯曲を掲載した「文芸・東雲」を映画研究部で買い取ってもらって販売してもらう。
(6)須坂くんが無理をして体調を崩すようなことがあれば、脚本の執筆は即刻中止。映画制作は諦めてもらう。
以上のような条件で、文芸部と映画研究部との間に合意が成立した。
飯山先輩は終始、渋い顔だった。
さて、これを須坂くん1人にさせるのはどうか?という意見が松本先輩から出た。
3年生は受験勉強もあるのでもちろん協力できない。
2年生は自分の原稿とクラスの演劇の方の責務で手一杯だという。2年生の演劇ってそんなに大変なのね。
となると、お鉢が回って来たのが1年生。
私は、先日、須坂くんに救われたこともあって、断れないし、断りたくない。
「はい、手伝います!」
と快諾した。
もうクラスの演劇の演出助手の仕事と自分の原稿の執筆で手一杯なんだけれどね、トホホ。
意外にも、というか当たり前のように稜子ちゃんは「後学のために」とお手伝いを快諾。
三人寄れば文殊の知恵、毛利家の三本の矢、とにかくメンバーが増えた方が須坂くんの負担が軽いでしょう。
という「須坂くん脚本執筆体制」を整えていると、お誕生日席の宮田先輩が泣いている。
「大丈夫ですか?」
と声をかけると
「すみません。
嬉しいのと、文芸部の皆さんが頼りになるのとで、涙が止まらなくて」
とのこと。
その涙のわけは、翌日にわかるのであった。
さて、その翌日。
脚本会議が映画研究部の部室である視聴覚室で行われた。
メンバーは、映画研究部の部長で監督の宮田先輩、そして文芸部から須坂くん、稜子ちゃん、そして私という4人。
「映画研究部の他の部員の皆さんは参加されなくていいんですか?」
と尋ねると、
「いいのよ。
他の部員たちははカメラマン、役者と兼任の照明、役者専任の4人なのでこのメンバーで話を詰めてしまって大丈夫よ」
とあっけらかんと答える。
映画研究部っていうのは一体どんな中央集権、否、絶対王政なのよ!
他の部員たちに基本的人権はちゃんと与えられているのかなあ?
須坂くんは早速尋ねる
「まりみやさんはどんな映画のジャンルを撮りたいんですか?」
こら、アカウント名で会話するのはやめようよ!
稜子ちゃんがぽかーんとしちゃってるじゃない。
宮田先輩は間髪入れずに答える
「撮りたい映画のジャンルはね、サスペンス、心理系、会話劇。
クエンティン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』みたいなの」
なんか具体名が出てたけど、私はその映画を知らない。
エイブラハム・リンカーンからの手紙とか知らない。「シチューの味は変わらない」とか知らない。
後日、テレビで放送していたのを録画して観た後になってようやくイメージが掴めた。
宮田先輩は続けて、更なる要望を伝える。
「私はサカスコータ先生の『Run and Gun』の大ファンなので、できたら私の好きなクエン・タランが主人公の映画が撮りたい」
宮田先輩、帰って来て~、虚構と現実が入り乱れてしまってますよ~。
上級生が後輩のことを「先生」って読んじゃってますよ~。
気のせいか「クエン」「タラン」という音の並びを少し前に耳にした気もするが、私は深く考えるのをやめた。
私も稜子ちゃんも置いてけぼりで会議、もとい、相談、否、対話が続く。
で、さんざっぱらふたりでプロットを練ってた結果を私たちに報告された。
私たちは要らないんじゃないかな?
知らない映画のタイトルとか銃の名前とかがいっぱい出て来て、日本語じゃないみたいな会話だった。
須坂くんが要約すると
「ということで、5人の役者が出て来て、S&WのM36が一丁、密室劇、会話劇、サスペンスで決まりだね。
主人公はクエン・タランで、クリス・ノールと出会う前のエピソードね。
タイトルは5人の会話劇だから『Five and Tongues』でいいね」
とのことだ。なんのことやらさっぱりわからない。
作品のプロットってそんな感じて決めちゃえるのね。参考になった。
「じゃあ、とりあえず夏休みの最初の全校出校日までに脚本を書いてくるね」
と言って立ち去ろうとする須坂くんを、宮田先輩が呼び止めて
「どうぞこれを参考になさってください。
歴代の部員が使ったもので綺麗な本ではありませんが」
と映画研究部にあった「映画シナリオ入門」といういかにも使い込まれた本を借りて行くことに。
ついには宮田先輩が敬語使っちゃっている。
サカスコータ先生は私が思っているよりもずっと偉大な作家さんなのかもしれない。多分そうなのだろう。
現段階で、須坂くんが抱え込んだ仕事を整理しよう。
(1)ネット小説「Run and Gun」(連載中)
(2)ネット小説「俺が創世した新世界に繁栄あれ!」(連載中)
(3)部誌の季刊・暁天に寄稿する新作短編か中編
(4)文化祭で販売する部誌「文芸・東雲」に寄稿する中編
それに加えて
(5)「Run and Gun」のスピンオフ設定にした戯曲「Five and Tongues」(映画研究部の文化祭上映作品用)
これはいくら何でも、完全にオーバーワークだよ。
周りに人がいないのを確認してから、渡り廊下で須坂くんに
「なんでそんなに無理してまで、映画研究部の脚本を引き受けたの?」
と改めて尋ねた。
彼は、穏やかな表情でこう答えた。
「昨日、部室で話した通りだよ。
宮田先輩が僕のファンだから。
僕なんかの書いた作品が実写化されるチャンスだから。
それに、単純にやったことないことをやってみたいから。
最後に、あそこまでみんなに『やめろ!』と言われると逆にやってみたくなるから」
須坂くんはどこまでも自分に素直で、そして自分を曲げない。
稜子ちゃんも、
「最後のは、私もわかります」
と同意していた。
稜子ちゃんも芯が強そうだからなあ。
私は自分も文芸部の先輩たちからよく思われていないと思しき調査をしている。
しかも須坂くんまで巻き込んでいる。
私も稜子ちゃんと似て強情なところがあるかもしれないが、彼女が家庭の事情とは言え、大好きなテニスを自ら絶ってしまった覚悟のようなものは私にはない。
私は何者でもないし、何者にもなれないかもしれない。でも自分というものを失わない「意思」だけは持っていようと思う。
私もクラスの舞台「Round Bound Wound」の演出助手で忙しいけれど、可能な限り「須坂くんが我を通す」ための手伝いをしようと決めた。
その後どうなったかといえば、文化祭のクラス演劇に備えて脚本の勉強をしている私なら少しは手伝えることもあったと思うけれど、部室で須坂くんと一緒に脚本の執筆作業をする機会はあまりなくて、すぐに夏休みに入ってしまった。
8月上旬、夏休み最初の全校出校日になった。
放課後に文芸部の部室に行くと須坂くんがすでに来ていた。
私は罪悪感を抱きながら
「ほとんど手伝えなくてごめんね。
で、どうだったかな?」
と恐る恐る尋ねると、無言で胸を張って、USBメモリを胸ポケットから取り出した。
本当に書けたの?
すごいよ、須坂くん!
実は私もようやく「季刊・暁天」へ投稿する作品の第1稿を完成させていたのだが、その話はまた別の機会に。
須坂くんの脚本の第1稿はちゃんとできていた。
そればかりか、「季刊・暁天」と「文芸・東雲」に寄稿する作品まで完成稿を提出した。
さすがにネット小説の方は更新速度が落ちているが、優先順位から考えれば仕方がない。
この一件でわかったことがある。
須坂くんはかなりの速筆なのだ。
その後、三々五々文芸部の部員が集まり、宮田先輩もやって来た。
全員で出来上がった脚本を読んだ。
一同が口々に「良い」と褒めた。
特に松本先輩、岡谷先輩、宮田先輩、そして私というエンタメ小説の好きなメンバーは絶賛した。
須坂くんが書いて来た脚本は「Five and Tongues」という作品。
ネットで連載している「Run and Gun」という小説の主人公の拳銃使いクリス・ノールの相棒であるクエン・タランが本編でクリス・ノールと出会う前に経験したとある屋敷での舌戦(デスゲーム)を描く。
<あらすじ>
愛銃のH&K USPを手にする前のクエン・タランは、5発の弾丸の装填されたS&W M36をとある街のガン・ショップで購入する。
その銃の持ち主は早死にする、というジンクスがあったが、それを教えず店主はクエンに叩き売った。
ある吹雪の晩、道に迷い、人里離れた場所にある山荘を見つけ、一晩の暖を求める。
しかし、そこで行われていたのは、イタリア系、ロシア系、中華系、メキシコ系のマフィアの4人の幹部の集う会合で、運の悪いことに、ちょうど交渉が決裂しかけていた時だった。
本来は非武装での会合だったので、クエンの持っていたリボルバー銃が問題となった。
当然、没収され残弾が装填された5発しかないことを確認される。
呪われたS&W M36は大広間の中央のテーブルへ置かれる。
4人の幹部はそのテーブルの4辺に座り、なおも話し合いを続ける。
クエンは広間の出入り口に椅子を置いて座る。
「お前が逃げるのは問題ない」という扱いだ。
朝になればそれぞれのマフィアの部下たちが迎えに来る。
それまで誰も寝てはいけない、隙を見せたら殺られるという状況で、クエンは中立の立場を保ちながら、打開策を練る。
様々な会話の応酬が続いて心理戦が繰り広げられ、やがてひとり、またひとり、と次々に死んで行き、クエンだけがその山荘から生きて出て行ったのであった。
そんなストーリーだった。
この映画だったら私も見てみたいなあ。素直に喜んだ。
その後、完成稿を上げるために、須坂くんは宮田先輩とその場でカット割りの相談や台詞回しの調整をして、一部の技術的に映像化できない箇所の修正を求められていた。
宮田先輩が映画研究部に戻り、文芸部室から居なくなった後で、飯山先輩は須坂くんにこう告げた。
「完成稿を仕上げた後は映画研究部の問題だから、須坂くんは自分の執筆活動に専念しなさい」
あ~、そういうことか。なんとなく私は理解した。
しかし、飯山先輩の真意を須坂くんは理解していなかった。
だから、引かない。
「でも、撮影に立ち会ったり編集に関わったり、まだ完成までに脚本担当者にできることはあります」
飯山先輩は須坂くんのその言葉を受けて、しばらく俯き、口を真一文字に結んだまま震えていた。
やがて顔を上げて、目に涙を浮かべながら懇願した。
「お願いだから、もうやめて。
過度の期待が絶望に変わり、君が傷つく姿を私は見たくないのよ」
その場に居合わせた全員が息を飲んだ。
須坂くんは拳を握りしめて、そして、歯を食いしばって、一言
「わかりました」
という言葉だけをなんとか絞り出した。
須坂くんは飯山先輩のこの言葉を忸怩たる思いで聞き、理屈としてはわかっていながら認めたくなかった、見えないフリをしていた事実を突きつけられ、そのアドバイスが正しいと理解せざるを得なかったのだ、と思われる。
実際、須坂くんは完成稿を宮田先輩に渡した後、映画の撮影現場へ行ったり、編集に関わったりしなかっただけでなく、文化祭期間中に上映されていた映画「Five and Tongues」を観に行くこともしなかった。
須坂くんは
「智に働けども角が立たず。己の感情に棹させども流されぬ。意地を通せど爽快だ。とかくに人の世は住みやすし」
とばかりに、いかなるややこしい状況に置かれても、彼なりのバランス感覚で思うがままに突き進んで行く。
見た目は柔和で物腰はソフトだが、非常に芯の強い人なのだ。
今回の一件で飯山先輩の優しさから出た言葉が須坂くんの心に残した傷跡が、きっと須坂くんという人間の芯をさらに強く、折れにくいものにすると私は願いたい。
そして、私は気づく。
飯山先輩の見せた涙こそが私の求める答えの緒だと。
(続く)
最初のコメントを投稿しよう!